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全力でダラダラする緑間君と猫とコタツとみかんのお話

12 31 *2013 | text

年末のイチャイチャする高緑さんのご様子。猫が苦手な緑間君が猫を拾うお話のコネタみたいな感じです。今回猫さんは出番少な目。


続き


 ――年末である。
 クリスマスの賑やかな雰囲気も終わりを告げ、街は正月に向けた厳かな飾り付けへと一瞬で変貌を遂げる。
 師も走ると言われるほど忙しくなる12月だが、比較的時間に余裕がある大学生、特に一年生ともなれば忙しさとはまだ無縁だ。高校の頃はバスケ漬けの毎日で、冬休みも基本的に部活に明け暮れた高尾和成も、課題のレポートやバイトなどがあるものの、久しぶりにゆったりした年末を迎えていた。
 それは先日、漸く想いを交し合った緑間真太郎も同様で、医学生のため他学部に較べると多忙な身の上ではあるものの、それでもまだ座学中心のおかげか、ゆとりはあるようだった。
 そんな二人が大学生になって、恋人になって始めての年末である。
 大晦日に実家へ戻る前に二人で鍋でもつつくかという話になり、緑間と高尾は買出しに来ていた。鍋は緑間のリクエストで、鶏団子鍋である。実家に帰る前なこともあって、食べきる量だけを買い込む。
 野菜は、年末の挨拶も兼ねて、いつも世話になっている木村の八百屋で仕入れた。
「みかん……旨そうですね」
「おう。丁度食べ頃だぜ。オレも食ったけど、今年のみかんは特別甘いぞ」
「ほう……。どれが木村先輩のオススメですか?」
 店先に盛られているツヤツヤとした橙色のみかんは、冬場の醍醐味だろう。あまりにも美味しそうだったので、軒先で緑間は木村とみかん話に花を咲かせる。
 緑間が暫くみかんに目移りしていたところ、気がつけば隣にいたはずの高尾が、いつの間にやらいなくなっていた。購入した荷物は置いたままだったので、一体どこに行ってしまったのか。行動が未だに読めない高尾を訝しみつつ、緑間は鍋で使う野菜と一緒に、みかんも包んでもらった。
「しんちゃーん!! 見て見て! 猫!」
 するとどこからともなく、高尾が茶色いトラ猫を両手で抱えて現れた。人懐っこく、首輪も付けているので、おそらく近所で飼われている外猫だろう。
「……っ!」
 しかし猫を見るや否や、緑間は表情をさっと青ざめさせ、ぴしりと全身を強張らせてその場に立ち尽くしてしまった。
「……あれ? おーい、真ちゃん?」
 高尾は抱えた猫の腕を取って、緑間に向けてぶんぶんと手を振る。ピンク色の肉球が大変キュートであるが、緑間はそれどころではない。同様に高尾へと手を振るが、緑間からはしっしっと追い払うリアクションである。
「そ、そいつを近づけるんじゃないのだよ、高尾……っ!」
「あれ、緑間って猫苦手なんじゃなかったのか?」
「いや、こないだから猫飼い始めたんっすよ、真ちゃん」
「はぁ、緑間が!? おいおい、天変地異の前触れじゃねーだろうな……」
「ブッフォ!! 木村サンったらヒデー。まあそんなわけで、猫大丈夫になったかなーって思ったんすけど……」
 高尾と木村は、冷や汗を流しながら石像よろしく固まっている緑間に視線を向けた。そして、左右に首を振った。
「無理だろ」
「無理でしたね……」
「でも悲鳴を上げなくなっただけ進歩したな」
「でしょー!? オレも最初びっくりしましたもん」
「とりあえずそいつ放してこいよ、高尾。緑間が置物になってるぞ」
「置物って!」
 木村に指示されて、笑いを堪えながらぴっと猫の腕を繰って敬礼のポーズをとった高尾は、三軒隣くらいまで走ってから、猫を解放してやった。それを見て、漸く緑間がほっと胸を撫で下ろして緊張を解いた。心なしか安堵によろめいたのを、木村はばっちり見ていた。
「おい……高尾、貴様……!」
 戻ってきた高尾を、親の敵でも見るような目で睨みつける緑間に、高尾は苦笑を漏らした。
「だって真ちゃん、すげーあいつ猫っかわいがりしてるじゃーん。だからもう平気かなって思ってさ」
「あんなにでかくねーのだよ! それに、あいつは特別なのだよ!」
「ふーん、猫苦手な真ちゃんの特別、ねえ。ふーん」
 緑間の言葉に、によによと高尾の唇が緩む。はっとなった緑間は目元を赤らめた。からかわれている。羞恥心にかられた緑間がぽかりと高尾の頭頂部を叩くと、高尾はげらげらと可笑しそうに腹を抱えて笑った。
「お前ら、相変わらず仲いいな」
 木村がため息混じりに、それでも楽しげに目を細めながら、購入した商品を手渡してくれる。
 流石にこの時期商売をやっているところは、どこもかきいれ時だ。あまり軒先で騒いで、長居をしても迷惑だろう。先ほどから夕飯の買い物中の奥様方が、じゃれあっている男共に好奇の視線を寄越しながら、くすくすと微笑んで通り過ぎていく。緑間と高尾は置きっぱなしになっていた荷物を手に取って、ぺこりと頭を下げた。
「オマケいれといてやったからな」
「いつもありがとうございまっす! んじゃオレらはこれで。木村サン良いお年を!」
「良いお年を」
「おう、来年もご贔屓によろしくな! 良いお年を」
 木村と年末の挨拶を交わして、二人は八百屋から離脱した。
 無事必要な買い物を終え、緑間のマンションへと帰る道すがら、高尾は野菜の入ったビニル袋をごそごそと漁り始めた。
「木村サン、おまけ何くれたんだろうな? みかん?」
「それはオレが購入したものだ」
「いつの間に」
「お前が猫と戯れている時だ。おまけはこれだろう、すだちなのだよ」
 緑間が袋から取り出したのは、みかんの奥に隠れていた鮮やかな緑色をした小さな果物だ。酸味のある清々しい香りが、つんと鼻を突いた。
「ぶっは、さすが木村サン。これ、鍋に使おうぜ。でもいいねえ、みかん。やっぱコタツには、断然みかんだよなあ」
 緑間からすだちを受け取って、高尾は袋に丁寧に戻した。お互いに持っている買い物袋は一つずつ。右を歩く緑間は左手が、左を歩く高尾は右手が空いている。
 夕暮れ時の、オレンジ色に染まった街路樹の脇を通る。緑間のマンションは駅から近いものの、一本入った閑静な住宅街にある。足を延ばして木村のところまで行く時は、ちょっとした散歩だ。
 先ほどから、高尾はフンフンと鼻歌を歌っている。高校生の頃、高尾が好んで口にしていた曲で、ねだられてたまにピアノで伴奏をつけたことがあった。
「どうした。随分とご機嫌だな」
「うん。なんかさ、こういうの、いいなーって」
「こういうのというのは何なのだよ」
「お前と一緒にのんびり年末を過ごせるってこと!」
 小首を傾げた緑間に、高尾は身体を寄せてそっと指を絡めてきた。互いに手袋をはめているので、ごわごわした感覚が伝わる。
「おい、高尾っ!? ここは外だぞ!?」
 咎めるように焦って緑間が声を漏らすと、高尾は悪戯めいた表情で口角を上げた。
「大丈夫だって。人がいないのは、『鷹の目』で確認済みだから。ちょっとだけ、な」
 高尾におねだりされると、緑間は滅法弱くなる。惚れた弱みというやつなのだろうか。うっと息を詰めて、自らも周囲をきょろきょろと確認した後、緑間は照れ隠しなのか眼鏡のブリッジをかちゃりと上げた。
「仕方のないヤツめ……。いいか、人が来たらすぐに離すのだよ」
「わーってるって」
 つーんとつれない態度を取る緑間の表情は見づらかったが、彼の耳朶は朱に染まっている。それは決して、夕陽だけのせいではなかった。


* * *


 帰宅までの数分、ちょっとしたデート気分を味わいつつ、緑間のマンションに辿り着く。扉を開けば、寒々しい部屋に鈴の音とにゃーんという鳴き声が響いた。
「ただいまなのだよ、タカオ」
 緑間は瞳を細めて、玄関先で出迎えてくれた黒猫――飼い猫のタカオの頭を撫でやった。
 猫が苦手な緑間が、唯一触れる猫。それがこのタカオである。名前の由来は、緑間の後ろにいる高尾だ。おは朝のお告げから捨て猫だったタカオを拾い、意図せず高尾の名前を貰うことになり、タカオの存在からお互いの想いが通じあっていることが判明したので、ある意味二人の恋の立役者である。
 タカオを奥へと促しつつ、緑間と高尾は部屋に上がり、キッチンで購入してきた荷物を下ろした。高尾が慣れた手つきで、次々と冷蔵庫に食品を放り込んでいく。
 みかんだけは緑間がキープをし、普段茶菓子を入れるのに使っている籠に盛り、リビングにどんと存在を主張しているコタツの上に置いた。完璧なシチュエーションである。緑間はふふんと満足げに鼻を鳴らした。
「真ちゃーん。ちょっと休んだら、夕飯の支度すんね。とりあえず飲み物淹れるけど、何がいい?」
「甘いカフェオレがいいのだよ」
「オッケー! 待っててな」
 高尾がにかっと笑ってキッチンに取って返す。ほぼ毎日の勢いで訪れてくるこの部屋のキッチンは、もはや高尾のテリトリー状態だ。緑間以上に、何がどこにあるのかを把握しているし、気がつくとキッチン用品が増えているのだから侮れない。
 高尾がコーヒーをドリップしている間に、緑間はコタツと暖房を入れた。寒々しかった空気が温められていく。ほう、と緑間の口からため息が漏れた。徐々に室温が上がってきたので、緑間はコートとマフラーを脱いで自室のクローゼットに収納する。ついでに1冊本棚から未読だった本を抜き取って、リビングに踵を返しコタツに陣取った。
 足をいれると、もふりとつま先が既にコタツの住人となっているタカオに当たる。荷物を仕分けている間、つまらないとばかりにソファで寝そべっていたタカオは、緑間がスイッチを入れるや否や、素早くコタツに潜り込んで暖を取っていた。
 緑間が掛布団を軽くまくり、コタツの中を覗き込んでちょいちょいと両の掌を広げると、寂しかったのかタカオはアーモンド型をしたオレンジ色の虹彩を細めて、嬉しそうに鳴いた。もそもそと緑間の指にじゃれついた後、胡坐をかく彼の膝の間に収まって丸まる。掛布団を元に整えつつ、膝元にいるタカオの艶やかな毛並みを撫でてやれば、まだほんのり温い体温が緑間の肌を伝う。何度か手を滑らせてやると、タカオは気持ちよさそうにグルグルと喉を鳴らした。
 タカオを構っていると、コーヒーを淹れ終えた高尾が、マグカップを手にリビングへとやってくる。緑間にオレンジ色のマグを、相向かいのスペースに緑色のマグを置く。
 いただきますと呟いてから、緑間はカフェオレを口にした。緑間の好みを熟知している高尾だ。乳白色の強いカフェオレは、丁度よい口当たりに調整してある。
 高尾は未だ着用していたコートとマフラーを脱いで、いそいそとコタツに足を入れた。
「はー。コタツあったけー」
 マグカップを掌で包むと、陶器から熱が肌に伝わっていく。お互い暫く無言で飲み物を啜った。
 ふーと高尾が一息ついて、落ち着いたのを見計らってから、緑間はおもむろに唇を開いた。
「高尾、話があるのだよ」
「えっ。急に改まって何事?」
 背中を丸めて、些かだらしなくマグカップを傾けていた高尾が、緑間の言にしゃんと背筋を伸ばした。
「今年は随分とゆっくりできる年末年始だろう?」
「そうだな」
「だがオレは学年が上がるにつれて、休みといえどそこまで余裕があるとは限らなくなってくるのだよ。こんなにのんびりできるのは、多分今のうちだけかもしれない」
 この先臨床実習や、多くのレポート、ゼミ、加えて国試の勉強など、医学生は多忙になってくるだろう。大方予想のできる未来に、高尾は頷いた。
「そこでだ。一度やってみたかったことを叶えるには、今しかないと思ったのだよ」
「……一体何がそんなにしたいんだよ?」
 コタツの天板の上に肘をつき、口元で指を組みいつになく真剣な表情で語る緑間に、高尾はごくりと息を呑んだ。
「全力でダラダラしてみたい」
「へ?」
「オレは人事を尽くして、全力でダラダラするのだよ……!」
「わざわざ全力をかけてするこっちゃねーよ!」
 緑間の唇から出てきた言葉は、正直予想以上に斜め上のものだった。
 高尾は思わずツッコミを入れた後、じわじわツボに入ったようで、身体を震わせながら天板に頭を乗せて撃沈した。堪えきれない笑いが漏れて、掌でバンバンと天板を叩く。音に驚いたタカオが何事かとコタツから姿を覗かせたが、高尾が騒いでいるのだとわかると、「なーん……」と低く鳴いて非難を露わにしてから、すぐに顔を引っ込めた。
 高尾に爆笑されることは、想定済みだったのだろう。緑間は腕を組んでつんとそっぽを向いた。
「ふん、笑いたくば笑え。オレは決めたのだよ」
「ふはっ……真ちゃん真面目だなぁ。あれだろ? お前ダラダラするために、大掃除とか年賀状とか、やること全部片付けまくったクチだろ?」
「ぐ」
 図星だったようだ。高尾の指摘に、緑間は言葉を詰まらせた。それがまた高尾の笑いを誘った。
 普段から綺麗好きの緑間ではあったが、道理で普段以上に部屋の中が整然とし、キッチンだの床だの窓だの、随分ぴかぴかに磨かれているわけだ。腑に落ちた。
「ま、まあそういうわけだ。後は頼むのだよ、高尾」
 若干居心地悪そう咳払いをして、緑間はもぞもぞと上半身までコタツに埋めて、身体を横たえた。
「えっ。オレがいるのに、今から一人でダラダラすんの!?」
「当たり前なのだよ」
「うへぇ。真ちゃんひでぇ! 知ってた!」
 高尾の存在など何のその。マイペースに緑間は傍らに準備してあった本を手にして、ぱらりとめくり始める。まずはダラダラと読書を行う模様だ。
 いつもの緑間であれば、こんな風に姿勢を崩して本を読んだりしない。
 慣れないせいか、どうにも本に目を通しづらいようで、体勢や本の位置を何度も変えたりと、悪戦苦闘を強いられているのが何となく間抜けだ。
 高尾はコーヒーを飲みながら、ぼんやりと頬杖をついて、ダラダラを試行錯誤している貴重な緑間の姿を目に焼き付ける。
(なんつーか、いちいち可愛いよな、真ちゃんって)
 あばたもえくぼ。
 緑間の気質的に、どうせ長くは続くまい。高尾はそう結論付けて、暫く彼のやりたいようにやらせることにした。


* * *


 本人曰く全力でダラダラしている緑間を尻目に、高尾はてきぱきと行動を開始した。緑間に後を任されたので、ハイスペックの腕の見せ所だ。高尾は洗濯物を取り込み、風呂に水を張り、夕飯の下ごしらえをしながら、絶賛ダラダラ読書中の緑間の「高尾、茶が飲みたいのだよ」という要求にも、はいはいと二つ返事で応えてやった。
 料理以外に関して、緑間は率先して家事を行うので、ここまで上げ膳据え膳なのは高校以来のことだった。下僕よろしく、あれやこれやと緑間の世話をやいていた頃が懐かしい。まだ卒業して1年も経っていないのに。高尾はぶはっと吹き出した。
 鍋自体の準備は簡単なので、付け合せに春雨サラダや出し巻き卵も一緒に作ってやる。メインとなる鍋の肉団子をまるめ、野菜をせっせと切り、薬味を刻み、おかずの品数を増やしていたところ、気がつけばもうすぐ夕飯の時間に丁度いい頃合になっていた。高尾は棚にしまい込まれていたカセットコンロを引っ張り出した。
「しーんちゃん、そろそろゆう……っと!」
 夕食の支度が終わったので、リビングに顔を出した高尾は目を瞠った後、ふっと唇を綻ばせた。
 読書をしていた緑間は、いつの間にか寝落ちしてしまったらしい。クッションを枕に、すやすやと寝息を立てている。折り目正しく、居眠りする姿など殆ど見たことのなかった緑間であったが、コタツの魔力にはさしもの彼も勝てなかったというわけか。読みかけだった本は、敷布団の上で開いたまま放置されていた。
 高尾はカセットコンロをコタツの上にセットし、拾い上げた本にしおりを挟んでやり、寝ている緑間を覗き込んだ。
「あーあ……眼鏡かけたまま寝ちまって……」
 仕方ないなあと呟く割に、高尾の声は慈しみに溢れて、幸せそうな様子でずれていた眼鏡をそっと直してやっている。
 コタツが少し熱いのか、緑間の頬はうっすらと朱に染まっていた。ほんのり寝苦しそうに、唇を微かに開いてふうふうと息を漏らしている。それがどこからしら色っぽくてどきりとするが、緑間を寝苦しくさせている原因に、高尾はじとりと険しい視線を向けた。
「つーかあ……」
 何だこの状況。
 緑間の胸の上とコタツ掛布団との間で、暢気に眠っているのはタカオだ。猫はコタツで緑間と一緒に丸くなっていた。
(転寝する真ちゃん可愛い! 猫を乗せて寝てる真ちゃん可愛い! だが羨ましいぞこの野郎!)
 緑間とタカオは、ぴったりくっついて微睡んでいる。一人と一匹の仲睦まじい姿は悶えたくなるほど愛くるしくはあるが、まだ高尾だって、緑間と一緒に寝たことなどないというのに。
 高尾はぶうと大人気なく頬を膨らませた。
 猫に嫉妬するなど恰好悪い。とはいえ、この猫は高尾と同じ名前を貰って、緑間の傍にずっといて可愛がられているのだ。何せ高尾に似ているからと緑間が拾ってきた猫で、言わば高尾の分身のような存在である。ずるいと思ってしまうのも無理はない。
(情けねーの……)
 しかしタカオはあくまでも緑間の家族だ。頭ではわかっていても、狭量になってしまう自分にため息をついて、高尾は小さく肩を落とす。
 それでも緑間とタカオの転寝ツーショットはあまりにも初々しくレアだったので、ジーンズのポケットから取り出したスマホで写真を数枚こっそり撮ってから、気を取り直して高尾は緑間の肩に手をかけた。
「真ちゃん、起きてー。夕飯できたよー?」
 何度か身体を揺さぶってやると、緑間が瞼を痙攣させて、ゆっくりと覚醒した。伏せられた長い睫毛が、羽のようにふわふわと上下する。目覚めたばかりでぼんやりしているのか、緑間は気だるげに目を擦りながら身を起こした。緑間の胸の上で屈託なく寝ていたタカオは、彼が上半身を傾けたことで、バランスを崩してごろんと床に転がった。ぶにゃ、と不細工な声が上がる。
「ああっ!? タカオ、大丈夫か!」
 緑間が慌ててタカオを抱き上げる。当のタカオは、何があったのかとばかりにきょろきょろと首を巡らせて、びっくりした様子で目を瞬かせている。
「ぶっは、間抜けな顔してんな、コイツ。ほい、真ちゃん」
 その姿があまりにも滑稽だったので、ぷっと吹きだしつつ、タカオは緑間に水の入ったコップを差し出した。コタツで寝ていたせいで、喉がカラカラだろう。
「すまない」
「夕飯の準備できたけど、食べられそう?」
「……あと5分程待つのだよ」
 タカオを床に下ろし、高尾から受け取ったコップの水を飲んで、緑間はふうと一心地付いた。腹は減っているのだが、流石に起きぬけで飯は喉を通らないらしい。それとコタツで寝てしまったせいで、身体が固まってしまったようだ。緑間は眉を顰めつつ首を左右に傾けたり、肩を回している。
「あいよ。配膳して、カセットコンロでのんびりあっため直したら、丁度いいくらいかな」
「高尾。あとタカオの餌……」
「心配すんなって。ちゃんと用意してあるって」
 高尾の言葉に、タカオは安心したようににゃーんと一声鳴いて尻尾を揺らめかせた。


* * *


 締めの雑炊に至るまで鶏団子鍋を食べつくして、身体もぽかぽかに暖まり、腹も満たされた二人は幸せな気分でいっぱいだった。木村からもらったすだちを利用して作った高尾手作りのポン酢は、さっぱりとした口当たりで緑間が大変お気に召していた。作り置いたので、また年が明けたら鍋に使えばいい。
 食器を片付け、ほうじ茶を淹れて持っていくと、大きな身体を丸めるようにしてコタツに座っていた緑間が、待ってましたとばかりに背筋を伸ばした。
「高尾、みかん!」
「へいへい」
 オレがみかんかよ、と突っ込みたくなったのをぐっと堪える。意外なことに、まだ緑間の全力でダラダラ時間は続いているらしい。
 湯飲みを置いて、高尾はコタツに座すると、コタツの中央にでんと鎮座する籠に盛られたみかんを一つ手にとった。ぐにぐにと掌でみかんを軽く揉んで剥きやすくする。弾力があり、色艶やかななみかんはとても美味しそうだ。みかんのへそに指を入れると、柑橘系の爽やかであまずっぱい香りが、ふわりと鼻腔を掠めた。
「筋もきちんと取るのだよ」
 剥いてもらっている立場のくせに、緑間は一々注文をつけてくる。
「わーってるって。つか筋に栄養があんだぜー?」
「そんなことくらい知っている。だが、もさもさするから嫌なのだよ……」
 緑間がむむっと眉間に皺を寄せた。緑間は変なところで子供みたいだ。
 高尾が緑間のためにいそいそとみかんを剥いてあげている間、彼は膝の上にタカオを乗せて、鼻筋や喉下、耳の後ろを指先で撫でてやっている。タカオが気持ちよさそうに首を巡らせるたび、ちりちりと涼やかに首輪の鈴が音を立てた。
 黙々とみかんの白い筋を丁寧に取り除きながら、高尾はその様子をちらりと窺う。酷く穏やかな表情で、緑間はタカオと遊んでいる。タカオを構っている時、自然と緑間の唇は優しく綻んでいることに、きっと彼は気づいていない。こんな顔を緑間にさせているのが、自分でなく猫だという事実が、ほんの少しだけ悔しかったりするのはここだけの話だ。
「はいよ、真ちゃん。みかん剥けたぜ」
「ああ」
 綺麗に剥いてあげたみかんを、開いた皮の上に乗せて緑間の方へと置いてやる。緑間はみかんを手にとって、それを四つに割り始めた。
 高尾は籠からもう一つみかんを取る。今度は自分の分を剥こうと、皮に手をかけたその時だった。
「高尾」
 緑間に呼ばれ顔を上げると、唇に冷たい感触が触れる。
「むぐ」
 突然、しかも無理矢理突っ込まれたので、反射的に噛んでしまう。じわ、と口腔内ではじけた甘く軽い酸味のある果肉に、高尾はそれがみかんであると漸く理解した。
 目の前の緑間が、腕を伸ばして高尾の口にみかんを押し込んだのだ。いわゆる(一方的な)あーんである。
「ひんひゃん?」
「おい、垂れたじゃないか」
 呆然としながらも高尾がみかんを口に含んだのを見て、手を引いた緑間はぶつくさ文句を零しつつ、みかん汁で濡れた指先をぺろりと舌で舐めた。伏目がちに舌を出す緑間が酷く淫靡で、高尾は思わず口内に残っていたみかんをそのまま飲み下してしまった。
「えっ、何今の何」
「……みかんを剥いてくれたのはお前だろう。だから最初にみかんを食べさせてやっただけなのだよ」
 少しだけしてやったりという顔をして、ふふんと勝ち誇ったような笑みを浮かべる緑間がとても可愛くて。
 ああもうどうしてくれよう。
 高尾は剥きかけていたみかんをそのまま放置して、コタツから立ち上がる。おもむろに立ち上がった高尾に、緑間は何事かと仰いで目を瞬かせた。
「真ちゃん」
 緑間の隣に正座をし、高尾は彼の膝の上でゆったりと毛づくろいをしていたタカオを丁重に抱き上げ、よいせと退かした。タカオはやれやれといった表情で、にゃんと鳴いて寝室の方へと姿を消した。緑間よりよっぽど察しがいい。
「……何をしているのだよ」
「あいつばっかじゃなくて、そろそろオレも構って欲しいんだけど」
「オレは全力でダラダラしている最中なのだよ」
「そこにイチャイチャを付け加えてくれたっていいっしょ?」
「イチャ……っ!?」
「オレと一緒にイチャイチャダラダラしようぜー!」
 高尾はぶつかるようにして緑間に抱きついた。突然のことに反応できず、反動で緑間は後ろに倒れこんでしまう。頭を打たないよう高尾が緑間の後頭部に腕を回し、さっきまで使っていたクッションを引き寄せつつ、緑間の上に乗って押し倒す。そのままちゅっと唇を啄ばみ始めた。
「ん……んっ…」
 何度かちゅっちゅと音を立てた口付けを繰り返していると、緑間の身体の力がゆるゆると抜けていくのが分かる。唇を食んだり、長めの口付けを施してやれば、やがて控えめに高尾の背中に指が回る。
「は……っ」
 暫くキスを堪能して、息継ぎのために唇を離すと、高尾の下にいる緑間は頬を桃色に上気させ、翡翠の瞳をとろんと潤ませて熱い吐息を漏らしていた。まだキスに慣れない緑間は、軽いものだけでもこんな状態になってしまう。
 初心な辺りがとても可愛いなあなんて悦に浸っていたせいで、惜しくもそこで我に返ってしまった緑間が、力を振り絞って高尾を押し返してきた。
「おわっ!?」
「重い……っ!」
 抗し切れなかったせいで、中途半端にごろりと緑間の上から退かされる。まるで先ほど緑間の胸の上から転げ落ちたタカオと同じだ。
 緑間の隣に横たわりながら、にへへと、いたずらっ子のように高尾が相好を崩す。緑間は顔を赤くしながらも、目元を険しくし高尾を睨み付けた。
「おい……オレはみかんが食べたいのだよ。邪魔だ」
「みかんなら、オレが食べさせてやるよ」
「そのくらい一人で食べられる!」
「ええー、だって真ちゃんダラダラしたいんでしょ? オレがぜーんぶお世話してやるってー」
 鷹の目を使って天板へ後ろ手を伸ばし、緑間が食べかけていたみかんを手にする。そのうちの一房を取り分けて、高尾はにやにやと口元を緩めながら緑間の唇にみかんを運ぶ。
「はい、あーん?」
 つり上がった双眸を三日月のように細めて楽しげに笑う高尾は、本当に甘えたのタカオそっくりである。
 こうなった高尾は案外頑固で、言うことを聞かなかったりするから厄介だ。緑間はやれやれと諦めの境地に達して、高尾が差し出したみかんをぱくりと口に含んだ。みかんはじわりと舌の上で甘さを広げた。さすが木村オススメのものだ。
「高尾。……するなら人事を尽くすのだよ」
「へっ!?」
 みかんを咀嚼した緑間が恥ずかしげに口ごもりながら言葉を紡ぐと、つんと視線を逸らして高尾から身体ごと反転させる。
 きょとんとしていた高尾は、目を輝かせて緑間の背中にひっついた。
「仰せのままに!」

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