新年早々私は緑間君をどこに向かわせようとしているのだろうかと自問自答をした作品。ご近所さんから愛される緑間君のまったり系小話です。緑間家ご近所のモブさんが沢山出てきますのでご注意をば。高緑要素はほんの少しです。ここは本当に東京なの…?という内容ですが(笑)。
「緑間真太郎の印象は?」と問われて、返ってくるキーワードといえば、我儘、変人、偏屈、生意気、女王様、コミュ障、秀徳のエース、キセキの世代の3Pシューター、おは朝信者などなど、良い言葉から悪い言葉まで多種多様だろう。事実、緑間真太郎を表すものとして、先に挙がった単語は一つとして間違ってはいまい。
しかし人が人に垣間見せる姿など、実のところ氷山の一角に過ぎない。見る角度が変われば、人の印象も変わってくるものなのだ。
真っ青に晴れ渡った快晴の日曜日。緑間はいつもの通り規則正しく起床し、休日だけ行うロードワークをきっちりとこなして、軽く朝食をとってから外出をした。
今日の蟹座の順位は5位、ラッキーアイテムはスキャナー。緑間はA3サイズも読み取りできる大きなスキャナーを、しっかりと小脇に抱える。
朝の空気に触れひやりと冷たい門扉を開けて道路に出る。先ほどから微かに鳥の鳴き声が聞こえてくる。時折庭に降り立つ雀が、羽でも休めているのだろうか。緑間が耳を傾けていると、斜向かいの田中家のドアが開いた。家から出てきたのは、大きなお腹を抱えた身重の女性だった。
「おはようございます」
「あら、真太郎君、おはよう。昨日はどうもありがとう、助かっちゃったわ。お友達にもよろしく伝えてね?」
緑間が礼儀正しく挨拶をすれば、女性も人懐っこい笑顔で緑間に挨拶を返した。彼女は緑間がスモックを着ている頃から何かとお世話になっている、田中のお兄さんのお嫁さんだ。昨日、高尾とチャリアカーで部活に出かけようとした時に、丁度重そうな不燃ごみを抱えていたのに出くわし、身重なのにそれはよくないと、彼女に代わって緑間と高尾は不燃ごみを裏庭まで運んであげたのである。
「いえ。当然のことをしたまでです」
「ふふ。真太郎君はいい子ね。今日はどこかへお出かけ? スキャナがちょっと大きいから大変ね」
「ええ。でも今日は佐藤のおじいちゃんとの約束なので、大きくても問題ないです」
「ということはまた将棋? 本当、佐藤のおじいちゃんは、真太郎君のことが大好きよね」
田中のお嫁さんと、端から見ればちょっと斜めな会話をする。普通なら持ち歩くにはそぐわない剥き出しの大きなスキャナーに対して、ツッコミだの不審の目だのを向けられようものであろうが、この近隣一帯で緑間のラッキーアイテムに対して今更言及する人間などいなかった。それらのアイテムが、緑間の命綱だと誰もが知っているからである。
流石に彼女も嫁に来た当初は、斜向かいに住む少年が不思議なアイテムを大小様々毎日抱えて登校している姿にきょとんとしていたものだが、人間とは慣れる生き物だ。
遠慮したのにも関わらず、「お友達と一緒に食べてね」と昨日のお礼としてクッキーを渡され、緑間はお辞儀をしてその場を後にした。
いつもならばチャリアカーで賑やかに疾走する路地を、緑間は長閑な気分で歩いた。小学生以来通学路として親しんでいる道は、区画整理を受けることもなく、今も変わらず古めかしくも暖かみのある様相を呈している。
緑間家は、この土地で代々続く医者の家系だ。
自宅から少し離れたところで昔から診療所を営んでおり、周辺一帯のかかりつけ医として地域に密着している。
祖父母は医者として、そして個人的にもご近所から厚い信頼を受けていた。そのせいもあって、ご近所の方々は大先生の大事な孫であり、人形のように見目麗しく賢い緑間のことを、幼い頃からとても可愛がってくれていた。それは緑間が中学生の時に祖父母が立て続けに亡くなり、若先生と呼ばれていた父が医院を継いでも変わることはなかった。
近隣は年季の入った建物が多く、緑間家同様昔から在住している人が多い。今のご時世二世帯住宅というのもなかなか受け入れ難く、例に漏れず両親と同居せずに娘や息子が家を出てしまった家庭がほとんどで、どちらかというと年齢層の高めな住宅地だった。故に、今のところこの界隈での最年少は緑間の妹、次いで緑間という具合だ。田中のお嫁さんが出産すれば、その子が久しぶりの最年少更新となる。
近隣に同年代の子がいなかった環境も、緑間の人見知りやコミュニケーションの偏りに拍車をかけたのだろう。年上からは意外にも受けのいい緑間であるが、現状からもわかる通り、同年代への対応は致命的なまでに苦手であった。
暫く歩いて目的地である、緑間宅から8軒先の佐藤家に着いた。途中、犬の散歩中だった、病院のお隣に住んでいる鈴木のおじいさんに引き止められて、ぽつぽつと世間話を交わしてしまったので、約束の時間ギリギリになってしまった。
佐藤家は純和風の邸宅で、木造の屋敷の佇まいもさることながら、丁寧に刈り込まれた垣根が、とても緑間好みのお家だ。佐藤一家は祖父の代から特に親交が深く、緑間を慈しんでくれる代表格だった。
ピンポンとチャイムを鳴らすと、品の良い身なりをした佐藤夫人ががらがらと玄関の戸を引いて顔を見せた。
「おはようございます」
「まあ、真太郎ちゃん、いらっしゃい。あの人、真太郎ちゃんのことそわそわと待っていたわよ」
「じゃあ縁側に回りますね」
「どうぞ。後でおしるこを持っていってあげるわね」
「ありがとうなのだよ」
ぺこりと夫人に会釈をして、勝手知ったる縁側まで敷かれた砂利を踏みしめて足を進める。幼年期からそう呼ばれているとはいえ、195センチもある高校生に「真太郎ちゃん」はそろそろ勘弁して欲しいと再三お願いをしているのだが、聞き届けてもらえたことは未だない。
縁側に辿り着くと、佐藤のおじいさんは将棋盤の前でのんびりと日本茶を啜っている。緑間の姿を目に入れるや否や、しわしわの顔を更にくしゃりと綻ばせた。
「おう、真太郎ちゃん! 待っていたぜ」
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
「最近、真太郎ちゃんってばバスケばっかりで、オレとの将棋に飽きちまったのかと思ったよ」
「飽きていたら、こうして遊びに来たりしませんよ。久しぶりですが、今日もオレが勝ちます」
かちゃりと眼鏡のブリッジを押し上げて、緑間がふふんと不敵に微笑めば、佐藤のおじいさんは矍鑠とした様子で声を立てた。
「ははは! 相変わらず老人に花を持たせてくれないねえ、真太郎ちゃんは」
「だって手を抜いたら怒るじゃないですか……」
「あったりまえだ!」
緑間の心なし不遜な態度も、年の功なのか、はたまた小さな頃から成長を見守られているおかげなのか、佐藤のおじいさんは全く気にする素振りもない。
緑間は、スキャナを傍らに置いて佐藤のおじいさんの相向かいに腰をかけた。既に将棋盤には、駒が配置されている。
先手は佐藤のおじいさんだ。一般的に先手有利とされる将棋なので、前回の勝者が後手というローカルルールを敷いている。それ以外のハンデはない。
幼少の砌より祖父とその友人たちが執り行っていた将棋に巻き込まれていたので、緑間も将棋はかなり指せる方だ。それでも中学時代、一度たりとて赤司には勝てなかったのだから、赤司の先読みの力には脱帽するばかりである。
ぱちん、ぱちん、と静かな縁側で、将棋の駒を進める音だけが響き渡る。
途中、佐藤夫人が緑間のために緑茶とおしるこを持ってきてくれた。佐藤夫人の作るおしるこは、緑間家のよりも糖分控えめだが、長年慣れ親しんだ味だ。口に含むと、仄かに小豆の形が残った餡が程よく崩れ、舌先にじんわりと素朴な甘さが広がる。緑間はふっと目を細めた。
バスケに没頭している時のがむしゃらな感覚も緑間を高揚させるが、こういった緩やかな時間に身を委ねるのも好きだった。元々趣味はインドア寄りな男である。
緑間の振り飛車から一進一退の接戦を繰り広げていたが、125手で佐藤のおじいさんが頭を下げて投了した。
「参りました! やっぱり真太郎ちゃんは強いなあ」
「でも今回はオレもかなり追い詰められました……。おじいちゃんの穴熊、堅牢で厄介でしたよ」
序盤の悪手がなかったら、多分負けていたのは緑間だっただろう。
緑間が素直に賞賛すると、佐藤のおじいさんは、嬉しげににこーっと唇を三日月にして、ばしばしと緑間の肩を叩いた。
「はっはっは! 真太郎ちゃんが毎日バスケで頑張ってるんだ、オレだって負けてらんねーよ。やー、真太郎ちゃんと一緒だと楽しくていいなあ。どうだ、やっぱりオレの孫を嫁にしないか?」
「……おじいちゃん。それは以前にもお断りしたのだよ」
「いやいや、オレは諦めねーぜ! やっぱり、オレは真太郎ちゃんなら、可愛い孫娘を任せられると思うんだよ!」
「孫娘と言っても、あの子はまだ4歳なのだよ……!」
以前将棋を指していた際に、たまたま遊びにきていた佐藤のおじいさんの孫娘の顔をおぼろげに思い浮かべる。せがまれて一緒に遊んであげたところ、とても喜んでくれたのだが、彼女は緑間の妹と大して変わらない年齢である。佐藤一家にとっては遅くにできた初孫なので、彼女への可愛がりようが半端ないのは知っているが、いくらなんでも幼稚園児を嫁に推してくるなと、緑間はため息を付いた。一般的に考えて、高校生が幼稚園児とどうこうとか完全に犯罪である。そして残念ながら、緑間はロリコンではない。
「だってよお、こないだ陽ちゃんの孫も是非嫁に!っていう話になったそうじゃないか。真太郎ちゃんと一番可仲良しなのはオレなんだから、うちの孫娘と結婚するんだい! なあお前!」
「そうですねえ。真太郎ちゃんなら、安心して任せられますものね」
対局に一段落ついたのを見計らって、佐藤夫人が淹れ直したお茶を運んで来てくれる。佐藤のおじいちゃんが振った話に、夫人もにこにこと笑みを深めて同意した。ここに緑間の味方はいない。
「全く、みなさん冗談が過ぎますよ……。というか、高橋のおばあちゃんの話、どこから流れたんですか」
「緑間医院の待合室」
自分ちの病院が発信源だった。「oh……」と緑間は額に掌を当てて項垂れる。とかく病院の待合室は、ご老人方の寄り合い所になりやすい。婚約者候補は引く手数多だが、陽ちゃんこと高橋のおばあさんの孫も若干7歳のランドセルを背負った小学生である。モテてもあまり嬉しくはない。
果たして一体これで何回目の「うちの孫を是非嫁に」コールとなるのだろうか。軽く片手の指は折れている気がする。緑間が遠い目をしていると、不意に垣根越しに声をかけられた。生け垣の向こうで手を振っているのは、この先の角にある小林家のおじいさんだった。
「よお、真太郎ちゃんじゃないか!」
「こんにちは、小林のおじいちゃん。風邪のお加減はいかがですか?」
「おお! 若先生のおかげでばっちりだよ! ありがとな! んだよ、ゼンさんちにいるならいるって言ってくれりゃあいいのに」
「今日、真太郎ちゃんと将棋を指すのはオレなんだよ!」
「何だと! 真太郎ちゃんを独り占めすんなよ、ずるいぞゼンさん!」
などと、瞬く間に大人気ない小競り合いが起こる。いつものことなので、対応としては放置がベターである。
「あらあら、二人とも真太郎ちゃんが大好きね」
「ありがたいやら、困ったやらなのだよ……」
そんな二人を見守りながら、佐藤夫人は唇に手を当て、緑間に向けてふふと微笑むのだった。
結局、緑間が佐藤家で対局しているという話を聞きつけたご近所さん方が、こぞって縁側に押しかけてきて、緑間はみんなと和気藹々、将棋やら囲碁やらに興じる。
慎み深く、見目麗しく、真面目で賢く、紳士で優しいとご近所ですこぶる評判の緑間真太郎は、おじいちゃん、おばあちゃんのアイドルであった。
――こんな姿を、緑間は偏屈で変人で我儘だと言う同年代の者たちが見たら、きっと目を剥くに違いない。
* * *
まったりと近隣の方々と心温まる交流で日曜日を過ごした次の月曜日。
緑間は田中のお嫁さんからいただいたクッキーを高尾に分け与えつつ、のんびり昼食を堪能していた。
きっかけは、どういう話題だったのだろう。クラスの伊東が、先ほど別クラスの女子に呼び出しを食らったという話からだっただろうか。やかましい高尾の話を半分くらい聞き流していた緑間は、ふと耳に入ってきた発言にぴくりと柳眉を逆立てた。
「だけどさー、真ちゃんってばそんなんじゃいつまで経っても彼女できないよー?」
高尾は残り僅かなパンを咀嚼しながら、ケラケラと楽しげに笑っている。
「む」
別に緑間とて、彼女が欲しいとは思っていない。今はバスケが一番だし、彼女を作ったとしても構ってやれる暇などない。そんな時間があったら、並み居るライバルたちを倒すために練習したほうが有意義だと考えている。そこに間違いはないし、高尾の指摘も最もだろう。お調子者の高尾が振ってくる、他愛のない話題の一つでしかないのは重々承知している。
しかし興味がないからといって、それを馬鹿にされるのは心外だ。
にこやかに話を続けている高尾の声を遮り、緑間は顎をしゃくって鼻を鳴らした。
「フン。彼女はいないが、婚約者候補なら、オレにだって何人かいるのだよ」
反射的に緑間は嘯いてしまった。高尾にからかわれたことに対する意趣返しと、ちょっとした見栄もあったからだ。それに是非孫の婿にと熱いおじいちゃんおばあちゃんからのラブコールを、何度も受けているのである。言っていることは間違っていない。ただ、全貌を明かしていないだけで。
「は?」
案の定、高尾は大きく目を見開いた。動揺のためか、残り2口程だったパンがぽろりと机の上に落下する。そこまで驚かれるとは思わず、緑間は眉を顰めた。
「高尾、パンが落ちた。汚いのだよ」
「パンとかどうでもいいし!! っていうかさっきのどういうことなの、真ちゃん!? オレ聞いてないよ!?」
「……別に言う必要もなかったからな」
当たり前である。緑間の言う婚約者候補が、幼稚園児だの小学生だのと知れたら、高尾に何と言って笑われるかわかったもんじゃない。
「そんな……まさか……真ちゃんに……」
予想以上に慌てふためいて顔色まで失っている高尾に、緑間の溜飲も下る。ここまで高尾がショックを受けるとは想定外すぎて、何だか可哀想になってきた。
すっかり腹の虫もおさまった緑間は、全身を小刻みに震わせている高尾に向けて、どうにか真実をぼかしつつ上手に誤魔化すべく口を開こうとしたところで、がしりと肩を鬼気迫る勢いで捕まれた。
「……なあ、緑間」
何をすると言いかけて、高尾の視線の険しさに圧倒される。いつの間にか高尾の瞳からは笑みが消え、射抜かれそうな眼差しに緑間はうっと息を飲み込んだ。
「その婚約者候補って、どんな子なの?」
「そ、そうだな……。愛らしくて(幼女だが)、年下で(幼女だが)、ちょっとばかりお転婆なのだが(幼女だが)、こんなオレにも良く懐いてくれるのだよ(幼女だが)」
繰り返すが、一つも緑間は嘘を言っていない。
痛いほどの沈黙が、二人の間に降りる。
高尾は緑間の発言を暫くかみ締めると、突如俯いてぶつぶつと何事かと呟き始めた。消え入りそうな声なので、断片的にしか耳は拾ってくれないが、「……学外か、ちっ、盲点だった」とか「どこの馬の骨だ」とか、随分と不穏な単語が漏れ聞こえてくる。ぶっちゃけ、恐い。
緑間は若干口元を引き攣らせながら、それでも現状をどうにかしようとこほんと軽く咳払いをした。
「ま、まあ候補は候補だ。勘違いするな、オレは婚約するつもりなど毛頭ないのだよ」
そう緑間が宣言した途端、高尾が垂れ流していた威圧感は跡形もなく霧散し、頭を上げた彼の表情は晴れ晴れとしていた。
「そっかー! そうだよね、婚約者とかまだ高校生のオレたちには早すぎるよな。もー、驚かせんなよー、真ちゃんってば!」
「……元はといえば、お前がああいうことを言うからいけないのだよ」
「そうだなー、ワリィワリィ。つーか、真ちゃんにはオレがいるから問題ないもんなっ!」
「ああ? そうだな」
「……っ!?」
さっきのあれは一体何だったのだろう。だがしかし開けてはならない扉があることくらい、空気の読めない緑間とてわかる。緑間は頭を微かに振って、潔く先ほどの高尾について見なかったことにした。
そんなことを考えていたせいで、何事かを言っている高尾に対して上の空で言葉を返してしまったのだが、それが緑間にとって致命的な悪手になるのは後の話である。
その後、事の真相を把握した高尾が、安定のHSKっぷりを発揮し、緑間家だけでなくご近所さんまで外堀を埋めて、最終的に「和ちゃんになら、安心して真太郎ちゃんを嫁に出せるな!」とおじいちゃんおばあちゃんからお墨付きをもらう状態にまで持ち込むのだろうなあとぼんやり(笑)。
ご覧いただきましてありがとうございました!