ワートリ・辻ひゃみ
「何だか、ひゃみさんに避けられている気がするんです……」
二宮隊作戦室のテーブルに両肘を置き眼前で手を組むと、辻はどんよりと重たい空気をまとって呟いた。
犬飼はぱちりと目を瞬かせて、いじっていた携帯から手を離して頬杖をつく。
「ひゃみちゃんと喧嘩でもした?」
「いえ、そんな記憶はないんですけど」
「心当たりもないの?」
「はい。ただ、視線を合わせてもらえないというか……。たまに凄く泣きそうな顔しているし……」
辻はため息をついて、力なく項垂れている。
はて、氷見の様子はどうだっただろうか。犬飼は、今しがた作戦室を出て行った話題の彼女を思い浮かべる。先ほどまでオペレーターパソコンに向かって、二宮から頼まれていた書類をてきぱきと処理していた氷見は、提出のため事務室に足を運んでいる真っ最中だ。
室内で二、三やり取りをしたけれども、犬飼に対する対応はいつも通りだった。辻との話にも耳を傾けていたが、会話自体取り立てておかしいと感じることはなかった。別段気にかけていたわけではないので、見落としているのかもしれない。
ただ、辻は何か思うところがあったのだろう。
犬飼は、腕を組んで小さく唸った。
そもそも表情の変化に乏しく、物静かな氷見は、二宮同様内心が読みづらい。考えてはみたものの、さっぱりわからなくてお手上げである。
「無意識のうちで、俺は何かひゃみさんに嫌なことをしてしまったのでしょうか……」
「うーん、いつからそんな感じなの?」
「鳩原先輩が戻って、やっと落ち着いた辺りでふと気づいたって感じ……でしょうか」
近界に密航していた鳩原が戻り、すったもんだの末にボーダー、ひいては隊に再度所属する流れになったのはつい最近の話で。二宮隊にとって正念場の一つでもあったから、収まるところに収まったのは正直に喜ぶべきことであった。
そんな風に、暫く続いた鳩原絡みのごたごたや、いわれのない噂による喧騒も薄れ、心穏やかな日々を送れるようになった頃。
氷見の視線が、ふとした瞬間に辻から外れているのに気がついたのだという。あれこれと忙しさにかまけていたせいか、鳩原が近界から帰ってきた辺りは全く意識ができなかったし、そんな余裕もなかった。
もちろん、最初は気のせいかなとも、自意識過剰とも思ったらしい。だが、よくよく観察してみると、やはり目を合わせてもらえない。身長差があるので、彼女が辻を見てくれていないことは明白だった。
しかも、無視をされているというわけでもない。会話は普通にかわしているにもかかわらず、氷見は俯いたまま辻に接している。
先ほどだって、パソコンのディスプレイ越しでのやり取りだから違和感がなかっただけだと辻は言う。
「よくそんなところまで見ているね!?」
「……一度気になってしまったら、ずっと目で追ってしまって」
口ごもる辻に対して、犬飼はにんまりと唇を歪めた。
「辻ちゃんってば、ひゃみちゃんに恋しちゃってるみたい~?」
「なっ……!」
「あはは。わかりやすいなあ」
犬飼のツッコミに、辻はかっと頬を朱に染める。犬飼はやれやれと肩を竦めた。
まあ辻の気持ちなんて、犬飼からすればバレバレなのだけれども。
異性が大の苦手で、まともな会話すら困難な辻が、一番親しくしている女の子が氷見だ。何かあった時に頼りになって、辻の情けないところなどたくさん見ているのに、呆れずに優しく励ましてくれる。氷見自身、あがり症が酷くてろくに人と喋れないという難があったから、余計に辻に対して親身になってくれるのだろう。表情豊かとは言えないけれど、しっかり者で、ちょっとミーハーなところもある、たまに笑うととても可愛い子。そんな氷見に、辻が恋してしまうのは道理だろう。
「えーえー、辻ちゃんてばひゃみちゃんのどこが好きなの~?」
「犬飼先輩……本題はそこじゃなくて……」
えいえいと肘でつつきながら、目元に朱の残る辻を弄っていると、作戦室のドアが音を立てて開いた。入室してきたのは、くだんの鳩原だった。
「お疲れ様です」
「あ、鳩原。お疲れ~」
「鳩原先輩、お疲れ様です」
「……って、どうしたの? 辻くん。何だか暗いよ?」
椅子に腰掛けながら、鳩原が沈んでいる辻の様子を心配げに窺う。
「んー? 辻ちゃんてば、ひゃみちゃんがここのところずっと目を合わせてくれないらしくて、ヘコんでんの。可愛いでしょ」
「ちょ、犬飼先輩!」
まさかこんなにあっさりと他人にばらされるとは思ってもみなかったのか、辻が泡を食って口を塞ごうとするがもう遅い。
いくら鈍い鳩原とて、辻の気持ちに気づいていないわけではなかろう。それに、氷見は鳩原に懐いているから、情報が引き出せないかという目算もあった。
男二人が取っ組み合い状態でじゃれあっていると、案の定鳩原は珍妙な顔をした。
「あー……」
「お前、何か知ってんの?」
ビンゴ。犬飼の狙い通りの反応を見せた鳩原は、どうしたものかと躊躇いを見せている。
「知っているというか……ええと」
「お願いします、教えてください! 鳩原先輩!」
ぐわ、と身を乗り出して食いついてきた辻に、若干鳩原も引き気味だ。背をのけぞらせて辻から距離を置くと、鳩原は両手を振って違う違うと意思表示した。
「別にね、辻くんが悪いわけじゃないの。ただ、ひゃみちゃんの意識の問題だから」
「ひゃみさんの……?」
曖昧な物言いをして、鳩原が作り笑いを浮かべる。あからさまにがっかりと落ち込んだ辻に、さすがにちょっと鳩原も可哀想になったのだろう。
「ううーん……でも、そうね。せっかくだし、一つヒントをあげようか」
「ありがとうございます!」
与えられた慈悲にぱっと表情を輝かせた辻は、居住まいを正して背筋を伸ばす。期待から熱い視線を注がれて、鳩原は戸惑い気味に後頭部へと手を当てた。
何を話したらいいのかを吟味しているようで、鳩原は唸りながら少し考え込んだ後、ゆっくりと唇を開いた。
「ええと、ひゃみちゃんて、元々あがり症でしょう? 基本的に人と目を合わせたり、喋ったりって、そんなに得意じゃないんだよね」
「それは知っています。確か鳩原先輩に、『烏丸くん相手にくらべたら、他の人は緊張しないでしょ』って言われて克服したんですよね」
「そう。要するに『好きな人』を前にするよりマシでしょって話ね。ほら、発表会の時とか、観客をかぼちゃだと思えってよく言うじゃない」
「つまり、俺はひゃみちゃんにかぼちゃと思われていたのか……」
犬飼が茶々をいれると、鳩原が清々しい笑顔で首を振った。
「あ、犬飼くんはまんま犬だって言っていたよ」
「ひゃみちゃん酷い! ……ん? かぼちゃよりはましなのか?」
「犬飼先輩空気読んでください」
「はぁい」
場の空気を和らげるべく合いの手を入れたのに、辻の殺気丸出しの鋭い視線が黙れと言っている。余計なお世話だったか。犬飼は「おお恐……」と首を竦めて、ホールドアップする。一応犬飼は先輩なのだが、氷見絡みのことで辻はいっぱいいっぱいみたいだ。
「あはは。まあ、そんなわけで、ひゃみちゃんには、どうしても緊張しちゃって、上手にやりとりできなくなっちゃう人がいるの。視線を合わせられなかったり、俯いちゃったり、どもっちゃったり。それがまた可愛いかったりするんだけど、本人的にはやっぱり死活問題でね」
困ったものだと苦笑した鳩原のヒントはヒントではなく、ほぼ答えそのものだった。
いくら異性が苦手だとはいえ、これがわからないほど辻も恋愛偏差値が低いわけではない。鳩原の言葉を噛み砕いて、嘘ではないかと目を瞬かせている。
「……それって」
「あたしが言えるのはこのくらいかな」
「で、でも、ひゃみさんは烏丸くんのことが……」
「そこは、本人の口から聞かなきゃ意味なくない?」
がたり、と倒れんばかりに椅子が勢いよく後ろに引かれる。辻はそのまま立ち上がると、居ても立ってもいられないとばかりに出入り口へ向かう。扉が開く時間すらもどかしいのか、身体を隙間に無理やりねじ込ませて、廊下に飛び出した。
「わっ! 二宮さん、すみません!」
「おい、辻!?」
開き切っていないドアから、廊下で交わされた会話が響いてくる。そして、二宮が首をひねりながら、辻と入れ替わりで入室してきた。タイミングがいいのか悪いのか、丁度出会い頭に鉢合わせたようだ。
「……? あんなに慌てて、辻はどうしたんだ?」
「青春ってヤツをしにいきました」
「多分、ひゃみちゃんも一緒に暫く戻ってこないと思うので、ミーティング先に進めちゃいましょう」
息の合ったテンポの良い犬飼と鳩原からの返事に、二宮は胡乱げに眉をひそめる。
「……お前ら、何を焚きつけた」
「いやですよ、焚きつけただなんて人聞きの悪い」
「そうそう。後輩の幸せを願ってですから」
「ねー」
にこにこと上機嫌に笑いながら顔を見合わせる二人に、二宮はやれやれと額に手を当てて大きくため息をついた。
* * *
辻は、ただひたすらに廊下を走った。普段、落ち着いた身のこなしをしている辻が、女子が絡んでいるわけでもないのに随分と慌てた様子なので、何があったのかと好奇の視線を集めた。
二宮隊作戦室と事務室のあるエリアは、ほぼ対面の区画になるため少々遠い。だが、迂回でもしない限り基本的なルートは一つなので、辿っていけば嫌でも氷見に会えるはずだ。
作戦室フロアを抜け、念のためエレベーターが上昇していないことを確認してから、階段を一気に下りた。女性と同伴する可能性の高いエレベーターは、辻にとって鬼門すぎて、乗れる状況になるまで待ってなどいられなかった。
向かいの棟と繋がる連絡通路を通る頃には、すっかり人気が減っている。これが書類提出締切のある月末だったら、隊長やオペレーターたちがふらふらしていたりもするのだが、あいにく月半ばなこともあってか、事務室のエリアに用のある者はほとんどいなかった。
早く早く。逸る気持ちを抑えて、辻が角を曲がる。すると、書類を胸にこちらへ歩いてくる氷見が視界に入った。
「ひゃみさん!」
「つ、辻くん……!?」
氷見はぴたり、とその場にフリーズする。
よかった、やっと会えた。そう辻が安堵に気を抜いた瞬間、氷見は踵を返すと、元来た道へ一目散に駆け出してしまった。
「ちょ、ひゃみさん!?」
焦ったのは辻の方である。まさか顔を合わせた途端にターンされるとは露とも思わず、慌てて氷見を追いかける。
それなりに距離が開いてしまったけれども、まだ辻には余裕があった。男女の歩幅の差も大きいが、そもそも氷見は壊滅的に運動が苦手だ。更にオペレーターの制服を着用しているため、タイト気味のスカートに加え足元がヒールという、全くもって走るに向かないスタイルをしている。一生懸命全力疾走しているものの、ただでさえ遅い足が、益々もたついていた。
かつかつ、とヒールが立てる音が、静かな廊下に響く。幸いなことに、周囲に誰もいなくてよかった。女の子を追いかけ回している姿なんて、衆目を集めてしまう。
ちらりと背後を窺った氷見が、追いかけてくる辻を視界に映して、顔をさっと青褪めさせた。
「やだ! ど、どうして追いかけてくるのよ!?」
「ひゃみさんが逃げるからだろ!」
「逃げて、ないわ……よっ!」
「なら、止まってよ! ひゃみさんに話したいことがあるんだ!」
「だ、だめ! 待って! 来ないで!」
「どうして? 俺と話したくない?」
「そ、そうじゃないけど、今は無理、なのっ!」
拒否をされて、少なからずぐさりと辻の心にナイフが突き刺さる。できることなら、氷見の懇願を聞き届けてはあげたかった。でも、辻も今更引いてなどいられない。
僅かに息の弾んだ氷見の声は、いやにか細く震えていた。
持久力も、瞬発力も乏しい彼女のことだ。もしかしたらもう体力の限界なのかもしれない。早すぎる。それに、辻に追いかけられているというこの状況が、妙な焦りを生んで、彼女は少しパニックに陥っているのかもしれない。
まずいな、と辻は内心で舌を打った。
ふらふらと心もとなく揺れる氷見の背中を見る。彼女は書類を胸に抱えているので、走り方がとても不安定だった。このままでは、バランスを崩して前のめりに倒れこんでしまいかねない。
追いかけ続けていれば、そのうち氷見を捕まえることは容易いが、急いだほうがよさそうだと判断を下す。
辻は強硬手段に出ることにした。
「トリガー機動」
「ずるっ……!」
辻の呟きを聞いた氷見が、泣きそうな悲鳴を上げた。
刹那のうちに、足から首元にかけて、私服が真っ黒なスーツへと塗り替えられる。トリオン体へと換装すれば、身体能力は一気に上がる。生身よりも更にスピードを上げて、辻は氷見への距離をぐんと詰めた。
「きゃあっ!?」
あと少しというところで、やっぱり足にきたのか、かくんと氷見の身体がよろけた。
氷見の手から離れた書類が、空中にひらひらと舞う。
「あぶな……っ!」
寸でのところで追いつき、辻は氷見の身体に手を伸ばす。背後から腹に手をまわして、どうにか重心を支えた。辻のほうへと抱きこむようにして体勢を引き上げれば、ひゃあと色気のない呻き声が聞こえた。顔から廊下にダイブする羽目になるよりは、ずっとマシだろう。
からくも難を逃れて、深く深くため息が零れた。
「……ひゃみさん、大丈夫?」
「ど、どうにか……。あり、がと……」
はあはあと荒く息を切らせながら、氷見はこくんと頷いた。このままへたり込んでしまいそうなほどへろへろになっているから、流石にもう逃げる気力もないだろう。
無残にも周辺にばらまかれてしまった書類は気になるものの、それは後回しだ。
「やっと捕まえた」
氷見決死の逃亡も、あえなく辻に捕らえられた。短い追いかけっこは、もうお終い。
辻の言葉に、氷見はぎくりと身を強張らせた。だが、辻は容赦なく氷見の身体を反転し、対面させる。ここのところ、ずっと合わなかった視線を、きっちりと合わせた。
氷見はきょとんとした表情で辻を見上げていたが、次の瞬間、ぼっと火がついたように真っ赤になった。可愛い。走ったからというだけの顔の赤さでは決してなく、辻の中で確信が生まれる。
「わ、わ、あっ、あの、私、えっと……」
舌がもつれ、ろれつがまわっていない。あわあわと可哀想なくらい視線が彷徨っている。氷見は声を上ずらせて、今にも泣きそうだ。きゅ、と両手を胸の前で組んで、身を縮めこませている。
そんなに萎縮しないで。震えないで。恐がらないで。あまりに小さな氷見の姿に、何だか辻の胸が痛んだ。女性を前にした自分もこんな感じになってしまうから、余計に。
「大丈夫だよ、ひゃみさん」
ぽんぽんとあやすようにして、肩を叩いてあげる。
大丈夫だよ、辻くん。女性に寄られてパニックに陥った辻を宥めるため、背中をさすりながら、氷見がよく口にする言葉だ。
「落ち着いて」
「で、でも、あの」
「ほら、深呼吸して。ゆっくりでいいから、ね。慌てなくても平気。ひゃみさんをいじめたいわけじゃないんだ」
「は、はい……」
諭すみたいに穏やかに囁きかければ、こくりと頷く。少し冷静さを取り戻したのか、氷見は辻の言葉に従って、吸って吐いてを繰り返す。
束の間、深呼吸を続けた氷見は、一つ大きく息をつくと、漸く肩の力を抜いた。
「逃げちゃって、ごめん、ね。あの……その、本当にどうしていいか、わからなく、なっちゃって……えっと……」
まだ視線は逸らされたまま。たどたどしさも依然残る。それでも氷見は、辻に向けて必死に言葉を紡いだ。
いつも冷静沈着な彼女が、こんなにも動揺するさまはなかなか見られるものではない。辻が二宮隊に入る前に、氷見のあがり症は鳩原によって改善されていたから、生で体験するのは初めてだった。普段は、氷見が女子に狼狽する辻を世話しているのに、すっかり立場が逆転している。珍しい彼女の一面に感動しながらも、今の状態だって氷見を構成する一部だと思うと、酷く愛おしかった。それを目の当たりにできるのが、自分だけかもしれないとなれば、尚更だ。
「ね、ねえ。ちょっと、近すぎ、ない?」
「そうかな? ひゃみさんが俺を落ち着かせてくれる時とか、こんなものじゃない?」
「う、うう……」
氷見の混乱に乗じ、身体を支えた勢いで密着に近い形になっているのに、辻はしれっと返す。
「ねえ、ひゃみさん。どうして逃げたの」
「……っ、あ、あの」
するり、と氷見の頬に手を這わせ、滑らかな肌を撫でる。彼女の肩が、可哀想なほど跳ねた。氷見の唇は、ぱくぱくと開閉を繰り返しわなないている。
「どうして、そんなに顔を赤くしているの」
「そ、れは……」
さながら、赤ずきんのように尋ねる。童話と異なり、喰らうのも問うた側の辻なのだけれど。
掌から伝わる氷見の体温は、酷く熱くて。女の子は苦手だが、氷見だけには触れていたい。そんな衝動にとらわれてしまいそうなくらい、目の前の少女は無防備だった。
後ろ髪ひかれつつも、辻は掌をゆるりと外す。先ほども言ったが、別に氷見をいじめたいわけではない。ちょっと目覚めかけたことは秘密であるが。
あからさまにほっとした氷見に若干の不満を覚えるものの、本題を見失ってはいけない。
俯いた氷見の、つるりと艶をもつ髪を眺めながら、辻は唇を開いた。
「俺、己惚れてもいいのかな。ひゃみさんから見て、俺は大勢のかぼちゃの一つなんかじゃないって」
一瞬ぽかんと氷見が小首を傾げる。真剣な声色なのに、どこか笑みを誘う辻の発言を噛み砕いた氷見は、ぷはっと弾かれたように吹き出した。
「……なぁに、それ!」
辻とて酷い言葉選びだとは思ったのだが、目論見通り氷見の緊張を溶かすことはできたみたいで。
「よかった。やっと笑ってくれた」
「鳩原先輩から聞いたの? やだ、もう……!」
恥ずかしさに、わっと氷見が顔を両手で覆う。僅かに覗いた耳元は、熟れた林檎のように真っ赤になっている。
「ひゃみさんは、烏丸くんのことしか、見ていないんだと思っていた」
「か、烏丸くんは、元々憧れっていうか……その……」
「……っ! なら、期待しちゃうよ? ひゃみさんが、俺と同じ気持ちだって」
こくり、と息を呑む。緊張の空気が緩んだとはいえ、喉はからからだった。確信は得られたといっても、ドキドキしないわけがない。辻とて、異性とろくな接触をもたないまま成長してきた、恋愛初心者なのだ。さっきから、心臓が破裂しそうだった。
意を決したのか、氷見がそろそろと視線を上げる。その瞳は僅かに潤み、目元には鮮やかに朱を残している。まだまだ、あがり症から来るぎこちなさでいっぱいの彼女。
それでも、氷見は辻をしっかりと見つめて、柔らかく微笑んで頷いてくれた。