まだくっ付いていない高尾ちゃんと緑間さんの小話。寝ている緑間さんに高尾ちゃんが独白してるだけのポエミー入ったお話です。緑間くんが女体化していますのでご注意ください。
降り積もれ
バタバタバタと、忙しなく高尾和成は廊下を走っていた。
授業終了のチャイムから随分経過した放課後の校舎はやや薄暗く、高尾の影だけが廊下に長く伸びて後を追いかけてくる。すれ違う生徒の姿も殆どない。
(うわー……やっべぇ。真ちゃん怒ってるかなー)
窓から覗く夕焼けを横目に、高尾は予想以上に遅くなってしまったことに焦りを覚えていた。
今日は体育館設備の点検のため部活動が休みだったのだが、偶々高尾の所属する委員会の会議が放課後に入ってしまったのだ。久しぶりの平日の部活休みで、どこか寄り道でもして帰ろうかと緑間に誘いをかけていただけにタイミングが悪い。
「真ちゃん悪い。ちょっと待っててもらってもいい?」
「構わないのだよ。丁度読みたかった本があるから、ここで待っている」
いつも緑間をチャリアカーで送迎している高尾は、申し訳ないとぱんっと顔の前で掌を合わせたのだが、緑間は特別気にした風もなく、鞄から一冊の文庫本を取り出してめくり始めた。
「すぐ帰ってくるからね、真ちゃん!」
会議の時間も迫っていたため、高尾はそう告げて教室を出て行く。文庫本に目を落としたまま、緑間はさっさと行けとばかりにしっしっと鬱陶しげに手を振り払うだけだった。
どうせ連絡事項程度の委員会召集だから早く戻れるだろうと、その時は高尾もタカを括っていたのだ。
けれども、会議は踊る、されど進まず。
どうでもいいところで話がもたつき、あれよあれよという間に無駄に時間が経過して、ご覧の有様である。
漸く見えてきた自分の教室に、高尾はほっと安堵する。走る足に力をこめ、ラストスパートをかけた。
「真ちゃんごめん! お待たせ!」
勢いのまま教室に駆け込んだ。ばん、と騒々しくドアを開け放つ。
「高尾、煩い黙れ」
てっきりそんな声が飛んでくると思っていたのだが、予想に反して、教室はしんと静まり返っていた。
「……あれ?」
高尾が目を瞬かせる。
教室の一番奥。高尾の後ろの席。
窓から差し込む夕陽を浴びながら、緑間はたった一人、机に伏して眠っているようだった。
「うわ、珍しい……」
起こさないように気をつけて、ひっそりと緑間の傍に忍び寄る。
先ほど随分と大きな音を立てたのだが、緑間は起きる気配がない。すうすうと規則正しく小さな呼吸だけが聞こえる。すっかり寝入ってしまっているようだった。
待ちくたびれてしまったのだろうか。文庫本は閉じられ、緑間の手の下敷きになっていた。
緑間の方へと身体を向けて、そろそろと自分の席に腰を下ろす。イスの背凭れに頬杖を付いて、高尾はじっと緑間へ視線を向けた。
「真ちゃんの寝顔とかちょー貴重じゃん……」
いつだって折り目正しい緑間が、机で居眠りするだなんて。普段、隙のない緑間が見せる、隙。
オレンジ色のキラキラした光の中で安らかに眠る美しい少女の姿は、あたかも冒してはならない神聖な一枚絵のようで。
暫くの間、時間も忘れて思わず見惚れた。
「可愛いなあ……」
肩の力を抜くと、ふふっと高尾は小さく笑みを零した。自然と頬が緩んでしまうのは仕方あるまい。
僅かに窺える緑間の表情は、いつもの高潔で硬質な印象を与えるそれよりもほんのりとあどけない。眼鏡が少しだけずれているのはご愛嬌。その奥の閉じられた瞼からすっと伸びる睫毛はうっとりするほど長い。ただ、常に真っ直ぐ高尾を貫いてくる翡翠色の瞳が見えないことだけが、何となく寂しかった。
「真ちゃーん、眼鏡の跡、付いちゃうよー」
全く起こす気などなく、囁くような声で呼びかける。
当たり前だが、緑間からの反応はない。
「……つーか、いつから寝てたんだ?」
緑間がこんな気の緩んだ姿をクラスメイトに見せるとは到底思えないので、多分誰もいなくなってからだとは想像できる。とはいえ、こんなところで一人眠るだなんて警戒心がなさ過ぎる。誰が入ってくるとも限らないのに。
元々、緑間がそういう機微に疎いのは百も承知なのだが、彼女に好意を抱いている高尾にしてみれば気が気ではない。
何より、こんな緑間の姿を見るのは自分だけがいい。
あまりにも無防備な姿を晒す少女に、若干の苛立ちと独占欲を覚える。それと同時に、むくむくと悪戯心がわいてくる。据え膳という単語が頭をよぎった。
けれども、寝込みを襲うのはいくらなんでもフェアではない。
欲望と理性の狭間でぐるぐるした後、高尾はからくもこみ上げる欲望をぐっとこらえることに成功した。
いかんいかんと迷走する思考に叱責を浴びせ、はぁと深くため息を付く。そんな高尾の一報的な葛藤など知る由もない緑間を見やれば、寝てしまったせいか髪の毛が幾分もつれていることに気が付いた。
周囲に誰もいないことなどわかっていたけれども、鷹の目でもう一度確認する。多分それはちょっとした後ろめたさからだった。
緑間の艶やかな長い髪を絡め取ってみる。夕陽に透けた髪の毛は、高尾の手を滑ってさらさらと指の間を抜けていった。
その光景を綺麗だなと感じたら、何だかたまらなくなってしまった。このくらいなら許されるよなと自分に言い訳をして、高尾は緑間の髪を一房掬って口付けた。
「真ちゃん」
緑間は、気付かない。
「……好きだよ」
ゆるりと目を細めて、高尾は熱を帯びた声音で呟く。それは、愛おしさの中に切なさを孕んでいた。
言葉にしたら胸の中にとめどなく気持ちが溢れてきて、高尾は想いのままに口を開いた。
「好きだ」
この新緑色の瑞々しい髪も。
「好きだ」
ふるりと揺れる長い睫毛も。
「好きだ」
眼鏡の奥から覗く、凛としたエメラルドみたいな虹彩も。
「好きだ」
普段のクールで無愛想な顔も、綻ぶともっともっと愛らしくなる笑顔も。
「好きだ」
すらりと伸びた華奢な身体も。
「好きだ」
清廉で偏屈で素直じゃない性格も。
「好きだ」
でも実は凄く面倒見がよくて優しいところも。
「好きだ」
バスケに対する人事を尽くした姿勢と情熱も。
「好きだ」
高い放物線を描いて射抜くようにゴールに突き刺さるシュートも。
「好きだ」
君の全部が――。
「好きだ、緑間……」
最後に一度身を乗り出して、そっと緑間の旋毛にキスを落とした。
眠る緑間へ一つ一つ慈しみを綴るように、高尾はぽつりと言葉を紡ぎ出す。唇から想いを乗せて、何度も何度も繰り返し。
(言葉が、真ちゃんの中に降り積もればいいのに)
――オレが降り注いだ『好き』っていう気持ちで、真ちゃんの中をいっぱいにできたらいいのに。
「ん……」
やがて眠りが浅くなってきたのだろうか。くぐもった声が漏れ、微かに瞼が震える。緑間の覚醒が近い。
高尾は髪の毛を掌から解放して整えると、いつの間にか詰めていた息を吐き出した。
「――真ちゃん、こんなところで寝ていたら風邪引いちゃうぜ?」
そうして、何事もなかったかのように普段通りの口調で、高尾はゆっくりと緑間の肩に手をかけた。