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緑間さんと高尾くんの秀徳高校文化祭・リハーサル

04 20 *2013 | text

まだくっついていない緑間さんと高尾くんとの文化祭リハーサルでのドタバタ話。緑間くんが女体化、モブ女子が出てきておりますのでご注意ください。





続き




 その日、おは朝の蟹座の運勢は最低の一二位だった。
 かろうじて手に入ったラッキーアイテムで運気の補正は行っているものの、やはり運勢が最低の時の緑間の不運っぷりは尋常ではない。
 だから、クラスの文化祭の出し物が、委員長がくじ引きで勝ち取ってきた人気の喫茶店になったのも。
 喫茶店はコスプレ喫茶にしようとクラスが盛り上がってしまったのも。
 誰が何の役職をするのか阿弥陀をしたところ、緑間が大当たりの『メイド服でホール担当』を引いてしまったのも。
 どれもこれもきっと運勢が悪かったせいなのだ。
 ――ああ、無常なりおは朝。


 緑間がメイド服を引き当てた瞬間、高尾が盛大にガッツポーズを取っていたので、思わず一発殴ってしまったのだが、決して八つ当たりでないことだけは、ここに注記しておく。




緑間さんと高尾くんの秀徳高校文化祭・リハーサル




 秀徳高校文化祭前日。
 今日一日は授業自体がなくなり、文化祭の準備に当てられている。
 明日に本番を控え、学校全体がすっかりお祭りムードに染まっていた。
 校門にはアーチが作られ、生徒会役員と文化祭実行委員が、あちこちで指示を飛ばしている声が聞こえる。また、各クラスや部活では、それぞれの催し物の用意が着々と行われていた。
 屋上から流れてくる吹奏楽部のリハーサルをバックミュージックに、緑間と高尾のクラスも準備で賑わいを見せていた。廊下に美術部員力作の看板を設置し、黒板には装飾が施され、書道部員の綺麗な字でメニューが書き込まれている。机は白いクロスをかけて、ちょっとした花を設置すればテーブルへと早代わりする。高校文化祭の程度とはいえ、中々喫茶店らしく見栄えの良くなった教室は、飾りつけ班のクラスメイトたちの傑作だ。
 普段とは異なる教室の様子に、クラスのみんなも心なしかそわそわしているようだった。
 そんな最中、演劇出し物のために空いている隣のクラスを、着替え部屋として間借りしていた衣装班の女子たちからわっと歓声があがった。
「きゃー! 緑間さん可愛い!」
 緑間という単語に、自らの衣装合わせを既に終えて設営を手伝っていた高尾の耳がぴくりと反応する。
 一番最後に行われていた緑間の衣装合わせが済んだのだろうか。気になって手伝っていたクラスメイトに断ってから、高尾はいそいそと隣のクラスへ出向いた。
「なーなー、高尾ちゃんだけど入ってもいーい?」
 着替えをしている可能性もあったので、コンコンと扉をノックしてお伺いを立てる。
「ばっ、バカ尾! 絶対に入ってくるんじゃないのだよ!」
 と、即座に緑間の慌てた声が返ってきたが、他の女子から盛大などうぞコールがかかったので、高尾は苦笑しつつも遠慮なくドアを引いた。
「どうよ~真ちゃん?」
 軽い気持ちで入室した高尾の目が、驚きに見開かれる。圧倒的な存在感を放つ緑間に視線を完全に奪われた。
 教室の中央では、衣装班の女子に囲まれメイド服を纏った緑間が、身体を抱え込むように両腕を回して居心地悪そうに立っていた。
 クラシックな紺のメイド服は、レースのあしらわれたエプロンの白とのコントラストが眩しく、背後の腰元で結ばれた大きめのリボンが愛らしい。首元のタイはオレンジで、秀徳高校バスケ部の色である。たっぷりとした膝下までの長さのスカートと黒のタイツが、緑間の清楚さを引き立てているのに、踝の細さが酷く目に付いて色っぽかった。長い新緑色の髪は一つに纏め上げられ、滑らかなうなじに吸い寄せられそうだ。頭頂部にはヘッドドレスが収まっている。足元が上履きなことだけが心の底から惜しかった。
 こんな緑間に「お帰りなさいませ、ご主人様」などといわれて、暴走しない自信があるだろうか。いや、ない(反語)。
 正直想像以上だった。上から下まで無遠慮に眺めて脳裏に焼き付けて、高尾は思わず感嘆のため息を漏らした。
「入ってくるなと言っただろう!」
 緑間は非難交じりの強い眼差しで高尾を睨みつけてくるが、恥ずかしさのためか頬が上気しているので全然迫力がない。むしろ可愛い。
「うっわー……真ちゃんちょー可愛いじゃん。似合いすぎ。あ、写真撮っていい? っていうか撮るわ、はーい真ちゃんこっち向いて~?」
 速攻で制服から携帯を取り出すと、高尾は緑間の返事を待たずにあっという間にカシャカシャと撮影を開始する。最終調整のため、今まさに衣装に針が入っているせいで身動きが取れない緑間は、歯噛みしながら柳眉を顰めた。
「おい、バカ尾! やめるのだよ!」
「だーめ。あー真ちゃん可愛いわー。永久保存版だわ」
「高尾君ってば行動早すぎでしょ、さすが」
「衣装班グッジョブ、頑張ったなぁ!」
「グッジョブいただきました~やったね!」
 親指を立てて素直に衣装班へ賛辞を送れば、女子たちはパチンとハイタッチで喜びを露わにした。
 衣装は基本的に各自持っているものを利用したり、演劇部から借りる予定であった。しかし、緑間がメイド服を引き当てた瞬間に、クラスの心は一丸となった。美人で有名な緑間がメイドをするとなったら絶対に話題になるし、出し物総合優勝を狙えるかもしれない、賞品である食券五十枚も夢じゃないかもしれない、と。あと純粋に緑間のメイド服姿とか何それ見てみたい。そんなノリだけの勢いと、女子にしては長身な緑間のサイズに合うメイド服がなかったこともあって、クラスメイトの演劇部員と家庭科部員が、日夜頑張りすぎた結果、目出度く完成したしたのが、この特注品メイド服であった。
 因みに、余談ではあるが当初背の高さと愛想のなさからメイド服でホール担当など無理だと拒んでいた緑間であったが、衣装班が頑張っている姿を見せ付ければ絆されると、彼女の優しさにつけこんだ入れ知恵したのは何を隠そう高尾である。
「でもスカート短くないんだね?」
「うん。緑間さんだったら、長いほうが絶対に似合うって思ったの。コスプレ喫茶だし、どうせなら色々なパターンの衣装があるほうがいいかなって。短いメイド服は他の子に任せて、あえてクラシックにしてみました」
「あー、わかるわー」
 長身で姿勢が良く端整な顔立ちの緑間がすっと立っているだけでも、涼やかで凛とした印象を与え人目を引く。そのくせ、今回の衣装は徹底的に緑間の肌を晒しておらず、見せないことが返ってストイックな色気を醸し出している。短いスカートで緑間の引き締まった綺麗な足を強調するのも良いが、どちらかというとぱっと見大人しい印象を与える彼女の雰囲気には、正統派のメイド服のほうが似合っていた。さすがは衣装班、良くわかっている。もう一度心の中で高尾はグッジョブを出した。
「はい、これで衣装は大丈夫。お疲れ様、緑間さん」
「ありがとうなのだよ」
 体型に合わせて服を詰めていた家庭科部女子の言葉に、緑間は肩の力を抜いて、ほっと緊張を解いた。拷問とまでは言わないが、緑間にとって苦痛に近い時間が漸く終わったのだ。
 そもそもこんなに大きくて可愛げのない女にメイド服などを着せて楽しいものなのだろうか。自分が似合っているなどとは到底思っていない緑間は、みなの感性に首を捻るばかりであった。
 緑間はかちゃりと眼鏡のブリッジを押し上げてから、高尾に向けてしっしと手を振った。
「着替えるから、お前はさっさとここを出ていくのだよ」
「ええー? オレはもっとメイドさんな真ちゃんを堪能したいな~」
「お前は何を言っているのだよ」
 蔑んだ視線を投げかければ、高尾はいやんと冗談めかして肩を竦める。殴るか……と緑間がぐっと拳を振り上げると、二人のやり取りに割り込むようにして声がかかった。
「ちょっと待って、緑間さん。まだ終わってないわよ?」
「は?」
 どういうことだと目を白黒させる緑間に、女子たちはにっこりといい笑顔を見せた。
「時間もまだあるし、折角だからメイクもリハしよう?」
 その手にはメイクボックスが握られていて。
 緑間にはまるで死刑宣告のように感じられた。さーっと血の気が引いていく。
「えっ、遠慮する……!」
「はいはい、逃げないの。座って座って」
「ちょっ、おい、人の話を聞くのだよ!」
 逃走を試みた緑間の両脇をいつの間にやら女子二人が取り囲み、腕をがっちりと掴んでホールドされた。その隙にもう一人がイスを用意して、緑間を無理やり着席させる。
 このクラスのコンビネーションの良さはおかしい。緑間はくらりと眩暈を覚えた。
「だって折角の文化祭だし、とことん緑間さんを綺麗にしてみんなで思い出作りたいなって……」
「駄目かなぁ?」
「うっ……」
 かわいらしいおねだり攻撃に緑間がたじろいだ。
 中学までの緑間は、言動で誤解されやすかったことと単独行動を好む故に女子の友達が殆どいなかった。更にキセキの男性陣とつるんでいたせいもあって、やっかみから嫌われる方が多く、特に女子に良い印象がなかった。
 それが今はどうだ。不本意ではあるものの、高尾が『緑間は少し変だけどツンデレで素直な表現が苦手な面白い女の子』という印象を植え付けたおかげで、無愛想な緑間にもクラスメイトの女子たちはとても友好的に接してくれる。それが密かに嬉しくて、徐々にクラスにも馴染んできた緑間は、簡単に無碍にできない程度には彼女たちに弱かった。
「えっ! いいないいなー。リハなら真ちゃんにメイク、オレがしてみたーい!」
 はいはいはいと元気良く手を上げて、何故か高尾が立候補する。
「はぁっ、高尾がか!?」
「高尾君、メイクなんて出来るの?」
「うん。中三の時の文化祭で女装劇やってさぁ! 面白がられて母親とかクラスの女子にこれでもかって仕込まれた」
「何それー。高尾君の女装姿とか見てみたい」
「じゃあ後で卒アルもって来るわ。驚くなよ? すっごい良く出来たんだぜ~。あと妹ちゃんが最近色気づいてきてね……あれこれ教えてくれるんだよね……おにーちゃんちょっと寂しい……」
「高尾君、妹さんがいるの?」
「おうよ。オレの妹ちゃん、ちょー可愛いんだぜ!!」
「緑間厨でシスコンとか、キャラ濃すぎだわー、高尾君」
「酷ぇ! でも否定できねぇ!」
 わいわいと緑間そっちのけでにして盛り上がっている最中ならば、あるいはこっそりと逃げられるのではないかとそっと腰を浮かせたのだが、黒子のミスディレクションすらも看破する男から容易に姿をくらますことなどできるはずがなかった。
 ぽん、と両肩に手を置かれて、再び緑間はイスに座らせられる。
「まぁそういうワケで?」
 にやりと高尾は不敵に微笑む。
「あっ!」
「観念してね? 真ちゃん」
 緑間の命綱と同じ意味を持つ眼鏡をさっと取り上げたのだった。




 眼鏡を取られ、ぼんやりとした視界はこれ以上もなく心もとない。諦めと疲れから投げやりな気持ちになって、緑間は大人しくされるがままになっていた。
 そんな緑間の心情を知って知らずか、高尾と衣装班の女子たちは楽しそうに緑間の顔を弄り始めた。化粧水を含んだコットンを肌に滑らされる。ひんやりと冷たい。
「おー……真ちゃんのお肌すっべすべじゃん」
「キメ細かくてうらやましいなあ」
「どれどれ」
「わー、柔らかい」
 ふにふに、と頬を四方からつつかれる。スキンシップ慣れしていない緑間には、こんな些細なことが恥ずかしくて仕方がない。
「……やっ、やめるのだよ!」
「やだ、赤くなった。緑間さん可愛い~」
「オレのエース様はいつだって可愛いんだぜ!」
「高尾煩い黙れ」
「はい」
 若干ドスの利かせた声に高尾は大人しく黙り込んで、粛々とベースメイクを行う。そんな二人のやりとりに、周囲の女子はおかしそうにふふっと表情を綻ばせた。
 化粧水、乳液とついで、下地が緑間の顔へと伸ばされる。高尾のほんのりと暖かい指が、するすると緑間の肌に器用に触れていくのが何だか心地よかった。
「緑間さん、肌白いからファンデの色はこの辺かな?」
「クマとかないし、コンシーラーは必要なさそうだね~」
「軽くパウダーはたいた方がよくない?」
「こらっ、真ちゃんは目を閉じてて!」
「眉は整えるまでもないか。綺麗だしブラシ程度でいいよね」
 高尾と衣装班の子たちは、先ほどからきゃっきゃと話に花を咲かせている。女子に交ざっているというのに、彼のコミュニケーション能力は一切劣ることなどなかった。ハイスペック恐るべし。
 メイクのことなど全くわからない緑間は、静かに会話に耳を傾けているだけだった。どうせ眼鏡を奪われたままでは周囲の状況などさっぱりなのだから、こうなったらもうどうにでもなれと半ばやけっぱちな気分で先ほどから目を閉じたままだ。
「やっぱり真ちゃんは睫毛長くて綺麗だね」
「これならビューラーいらないね」
「んじゃアイシャドウとアイラインやっちゃいますか。真ちゃん、そのまま軽く目を瞑っててね?」
 念を押されて、緑間はこくりと頷いた。高尾の親指が、瞼をたどって睫毛をするりと撫でていく。
 耳をそばだてていると、アイシャドウの色を何色にするかで暫くもめていたようだったが、清楚系メイドのナチュラルメイクというコンセプトで決まったらしく、ベージュ系の優しい色合いにして柔らかくしようとまとまったらしい。
 指示があってうっすらと目を開けると、いつの間にやらかろうじて顔が判別できる程度に高尾の顔が傍にある。高尾の真剣な表情に、緑間はなんだかドキドキした。
「わー高尾君、アイライン引くの上手いね!?」
「でしょでしょ? まーかせて!」
「コツとか今度教えてよ」
「オレでよければいいよ~」
「ありがと!」
 高尾は何故そんなに自然とメイクの話題に加われるのだろうか。何でも小器用にこなす男の頭は相変わらずよくわからない。
 周囲でみんなが談笑しているというのに、緑間はただ人形のようにじっとして施されるだけ。何となく疎外感を味わって、胸がちくりと痛んだ。
 不意にこみ上げてくる息苦しさに眉を顰めると、タイミングよく高尾の指が眉間をつついた。
「しわ寄ってる。可愛い顔が台無しになるぜ、真ちゃん」
「……さっさと終わらせろ。そろそろ疲れてきたのだよ」
「はいはい。仰せのままにってね~」
 顔を上げているせいで、ささやかでも緑間の表情の変化は高尾に筒抜けだ。それがいたたまれなくて、不機嫌に返す緑間に、高尾は軽く微笑んだようだった。
「チーク何色がいいかなあ」
「髪の色も考えると、やっぱりほんのりピンクを乗せる程度とか? 可愛いし」
「オレンジだときつくなっちゃうかもね」
「ピンクなー。オッケ」
 ふんわりと大きなブラシが緑間の頬を這う。掠める毛先がこそばゆくて、反射的に首を竦めてしまった。
「くすぐったかった? ごめんなー」
「す、すまない……」
「もうちょいだから頑張ってな。終わったらお汁粉おごってやっからさ」
「……お汁粉」
 頭を優しくぽんぽんとあやすように撫でられる。それが子ども扱いされているみたいで何だか妙に気恥ずかしくて、唇を尖らせた緑間はふいと俯く。だが、お汁粉の一言で口元がついつい弧を描いてしまう。
 高尾がくつくつと漏れる笑いを堪えている雰囲気を感じ取り、緑間はまたむっとなって緩んだ表情を引き締めた。
 そんな光景を見ていた衣装班女子たちが、お汁粉一つで緑間さんチョロすぎる危ないとざわついたのはここだけの話だ。
「はい、んじゃこれでラストな。グロス塗るから顎あげるよ~」
 そう言って高尾は緑間の頤を指でくいと持ち上げた。親指で緑間の唇の形をたどってから、ささっとリップクリームを塗る。
「真ちゃん、軽く唇開いてくれる?」
「ん……」
 高尾は緑間の唇の中央にグロスを乗せて塗り広げ、ぷっくりと艶やかな唇に仕上げていく。
 端から見ているとグロスをつけている姿は、何だかキスを迫っているようにも見える。高尾が酷くニヤつきながらも、穏やかな面持ちで緑間にメイクを施しているから、何だかとても恥ずかしいものを見ている心持ちだ。
 メイクももう終わりということで、二人の傍からやや離れていた衣装班の女子たちは、お互い顔を見合わせて小さく吹きだした。
 あれで付き合ってないんだもんねーという囁きは、緑間の耳には届かなかった。
「できた! 真ちゃん、楽にしていいよ」
 前髪を押さえていたピンを引き抜いて軽く手で整えてから、ふーと高尾が息をつくと共に、緑間も僅かに強張っていた肩の力をゆるゆると抜いた。
「お疲れ様。高尾ちゃん、渾身の力作だぜ!」
 緑間はずっと閉じていた瞳をゆっくりと開いた。眼鏡のない視界は相変わらず頼りなく、緑間からははっきりとは周囲の様子を窺うことはできない。
 ただ不思議なことに、息を呑む音と同時に教室から声が途絶えた。しん、と瞬時に賑やかさの消えた教室には、周囲の喧騒と吹奏楽部の奏でる音楽だけが響いている。
「……どうした?」
 怪訝に思って、みんなが集まっている方へ向けて首を傾げる。痛いほどの視線を感じるのに、誰も声を発しない。何だかそれがとても心細くなる。
(……やっぱり化粧など私には似合わないのではないだろうか)
 そんなネガティブな気持ちに襲われて、緑間はぎゅっとエプロン越しにスカートを握り締めた。今自分がどうなっているのかわからないから、いっそう緑間は不安にかられる。
 しかし緑間の戸惑いは、方々からのうっとりとした溜め息によって破られた。
「緑間さん、凄く綺麗……」
「高尾君のメイク、衣装ともばっちりはまってて可愛いね!」
「はー……やっぱり美人はナチュラルメイクでも映えるわねえ」
「真ちゃんが可愛すぎて、高尾ちゃんのライフはもうゼロよ!」
「ちょっと、高尾君。のん気にうずくまってる場合じゃないわよ、これ」
「余裕もいい加減にしたら?」
 あーうーと高尾の呻き声が聞こえる。どうも頭を抱えてしゃがみこんでいるらしく、おぼつかない緑間の視力では、高尾と思わしき人物が女性陣に何故か小突かれている風に見えるだけだった。
 何だかよくわからないが、化粧が酷かったというわけではなく、クラスメイトの感想は大変好意的だったので、緑間はほっと安堵に胸を撫で下ろした。
「高尾、そろそろ眼鏡を返すのだよ」
 さすがにいい加減視界をクリアにして状況を把握したい。緑間が催促とばかりに手を伸ばす。
 けれどもその手に置かれたのは、緑間の眼鏡ではなく、高尾の掌だった。
「高尾?」
「あのさあ、悪いけど真ちゃんこのまま借りてくね」
 高尾は手を握ると、力任せに緑間をぐいと立ち上がらせられた。高尾の行動の意図を掴みかねて、緑間はしきりに困惑するばかりである。とにかく眼鏡を返せとねめつけてみるものの、高尾には全く通じなかった。
 クラスの女子たちは、頑張れだのファイトだのと手を振りながら高尾に声援を送っているようだった。一体何を頑張るというのだろう。
「真ちゃん、ごめんね。ちょっと付き合って?」
「高尾っ! もうっ! さっきから何なのだよ!?」
 くんと腕を引かれるままに、緑間は高尾に連れられて教室を出た。どこに向かうというのか、高尾は無言で足早に先を行く。普段、気を遣って緑間の歩幅にペースを合わせてゆっくりと歩いてくれる高尾は、そこにはいなかった。
「高尾!」
 呼んでも振り返らない背中をじっと見つめる。
 緑間は非難の声を上げながら、慣れない衣装と霞んだ視界のせいで転ばないよう注意しつつ、高尾に合わせて必死に足を動かした。




 ――余裕なんてあるはずなかった。
 あんな緑間を目の前にして、理性とか優越感とか我慢なんて一斉にぶっ飛んだ。
 さっきからこっち、高尾と緑間の二人とすれ違う生徒に無遠慮な視線を浴びせられている。メイド姿に対する好奇のものも含まれているのだろうが、それ以上に緑間の艶姿に皆釘付けになっているのだ。
 酷い苛立ちが高尾の胸をじりじりと焦がして、自然と足早になる。
 背後から緑間が抗議してくるが、内心で謝罪をしてそのまま手を引いた。
 やがて見えてきたのは多目的教室だ。不必要なイスや机を、文化祭の最中一時的に収納する役割で今日は開放されている。
 そこに緑間を押し込んで、高尾は邪魔が入らないよう後ろ手にかちりと鍵をかけた。
「高尾……一体どうしたのだよ」
 振り回されっぱなしの緑間は、不機嫌なことも眼鏡がないために凝視することもあってか、ずっと眉間にしわが刻まれている。行動の意図が読めないせいか、訝しげに高尾を窺ってくる。視界がぼやけているはずなのに、それでも緑間の翡翠を思わせる強い光沢を帯びた瞳は、きっちりと高尾を捉えていた。
 駄目だなあと、高尾は苦笑して降参の白旗を上げた。
 自ら施した化粧は、元々美しかった緑間を更に引き立てた。白磁の柔らかく弾力のある肌に触れる度、胸が高鳴った。緑間が全てを委ねてメイクを許してくれる、その信頼感も高尾をひっそりと喜ばせた。
 徐々に色を乗せて、彩られていく緑間は、段々と艶を孕んでいく。長く豊かな睫毛を強調した切れ長の目元、まろやかな丸みを帯び生き生きとした桃色の頬、なまめかしく濡れたふっくらとした唇。緑間が鮮やかな緑色の虹彩を見せた瞬間、高尾は目も心も、呼吸さえも奪われていた。
 例えるならばまだ蕾だった大輪の花がゆっくりと綻んでいく、派手ではないがそんな凛とした艶やかさを兼ね備えて緑間は開花した。
 この先、彼女はもっともっと綺麗になっていくのだろう。その時、緑間の隣に立っているのは一体誰なのだろう。そう考えたら今一番近い場所にいるだけの一方的な優越感など木っ端微塵に吹き飛んで、焦燥感に駆られるしかなかった。
 高尾ははーと全身の力を抜いてため息をついた。もう一度ゆっくりと息を吸い込んで、真剣な面持ちに改めてから緑間を見据えた。
「ごめんな、真ちゃん」
 先ほどまでのおふざけを含んだ口調とは様子が違うと緑間も気が付いたのだろう。彼女も背筋をすっと伸ばした。
「今のこの関係が居心地良くて、壊れてしまうかもしれないことがちょっとだけ恐かったんだ」
「……たかお? 何を言って……」
 緑間の瞳が動揺に揺れる。何か言いたげに彼女の言葉に被せるようにして、高尾は話を続けた。
「元々綺麗だけど、メイクしてもっともっと綺麗になった真ちゃんを見たら、いてもたってもいられなくなった。きっと上辺だけしか見ない奴らが、絶対真ちゃんに纏わり付いてくるに決まってる。そんなの真ちゃんの良さを全然わかってなくて腹立つし……何よりオレが嫌だ。こんな綺麗な真ちゃんを見るのは、オレだけじゃなきゃ嫌だ」
 胸にわだかまっていた感情を、一気に捲くし立てる。
「……お前の隣にいるのは、オレじゃなきゃ、嫌だ」
 酷い独占欲を吐露してしまった。もう後には引けない。
 高尾はポケットに収めたままだった緑間の眼鏡を取り出すと、丁重な仕草でテンプルを開いて緑間の耳にかけてやる。やっとクリアになった視界に、緑間が焦点を合わせるためか目を瞬かせてから、やはり戸惑いを浮かべた面持ちで高尾をじっと見た。
「やっぱりこっちのが真ちゃんらしいな」
 眼鏡のない緑間も勿論可愛いけれども、見慣れた眼鏡姿の緑間がやっぱり一番良い。
 高尾はふ、と相好を僅かに崩してから、真っ直ぐ貫くように緑間に視線を絡ませた。
「好きだ、緑間」
 高尾の告白に、緑間は暫し呆然としていた。双眸がぎこちなく見開かれた後、ゆっくりと頬が朱に染まっていく。耳まで赤くなって慌てている様子を、素直に愛らしいと思った。
「真ちゃん、可愛い……」
「ばっ、馬鹿……! からかうな」
「からかってない」
 高尾の熱っぽい声音に益々うろたえて、そわそわと視線を彷徨わせると緑間は無言で俯いた。
 困らせてしまったのだろうか。親友で相棒だと思っていた男にいきなり告白されたのだ、普通に考えたら困りもするだろう。
 焦りにかられた行動であることに間違いはなかったけれども、それでも想いを伝えたことに後悔はなかった。
「なあ、真ちゃんはオレのことどう思ってんの?」
 様々なものを見通す鷹の目でも、人の心まで覗くことはできない。ずっとばくばくと高鳴っている心臓に落ち着けと言い聞かせて、高尾は問いかけた。
 緑間は一度緊張にぴくんと身体を跳ねさせただけで何も応えず、暫く沈黙が落ちる。言葉を選んでいるのだろうか。高尾は彼女が声を発するのをじっと待っていた。変な緊張感に、否が応でもじっとりと掌が汗ばんでくる。逆に口腔内はカラカラと渇いていった。
 緑間が口を開くまで、大した時間はかからなかったのだろうが、高尾にとってはこの上なく長く感じられた。
「……私が、嫌いなヤツをずっと傍においておくと思うのか、馬鹿め」
「っ! それって……」
 ごくり、と高尾が息を呑んだ。意を決したのか、緑間は漸く伏せていた顔を上げる。真っ赤に熟れた肌と潤んだ翡翠の瞳。たまに緑間の表情は、言葉よりも雄弁に感情を語る。彼女の頭が一度こくんと首肯したのを、高尾は夢見心地で見やった。
「言って? ちゃんと言って?」
「……察しろ」
 こんな時でも緑間は上から目線だ。恥ずかしさもあるのだろう。でもこればかりは絶対に譲れない。夢じゃないと思いたい。
「やだ。ねぇ、言って? 真ちゃんの声で、ちゃんと聞きたい」
 緑間の両肩に手を添えてねだると、彼女はううと小さく呻いた。わななく唇を押さえ込むように引き結んでから、すっと息を吸い込む。

「……私も、高尾が好きなのだよ」

 その愛らしい声が言葉を紡いだ瞬間、高尾は緑間を抱き締めた。
「真ちゃん大好き!!」
「きゃあ!」
「ああもう、オレ嬉しすぎて死んじゃう」
 愛おしさが胸に溢れて、ぐりぐりと緑間に頬ずりする。ほんのりはにかみ気味に想いを伝えてくれた彼女が可愛くて、高尾は力加減も忘れてぎゅうぎゅうと細い腰に腕を回してはしゃいでみせた。このまま緑間を抱き上げて、ぐるぐると回りそうな勢いである。
「落ち着け! 苦しいのだよ!」
「わあっ、ごめん!」
 しかし焦った緑間にべちべちと何度か強く胸元を叩かれて、高尾は浮かれ気分から我に返った。
「真ちゃん痛い……」
「早く離さんか!」
「ええー……」
 あまりの抱き心地の良さに離し難かったのだが、緑間が渋面を作っているため、仕方なく腕から解放する。
「全く……折角の衣装が皺になってしまうだろう、この馬鹿が!」
 照れ隠しもあるのだろうか。全くお前は、などとぶつぶつと小言を呟きながら、寄った皺を伸ばすために緑間がエプロンの腰元を撫で付けている。それを一瞥して、大事な事を思い出し高尾はあーと額を押さえた。
「そういやどうしよう……」
「何がだ?」
「いや、さっきも言ったけど、オレこんなにエロい真ちゃんの姿を見せたくないんだわ」
「なっ…!」
 しげしげと緑間を見つめて真顔で呟く高尾に、緑間は思わず絶句した。
「……お前はあんなにも私がこれを着ることにノリノリだったじゃないか」
「真ちゃんがオレの彼女になったから、それとこれとは別なんですー」
 ぴしゃりと発言を封じる。緑間には不可解なのか、胡乱げに高尾を睥睨してくる。男の機微ってやつをわかってください。
 メイド服を着て、メイクを施されて、こんなにも可愛く綺麗になった緑間を衆目に晒すだなんて我慢ならない。彼女のこんなにも可愛い姿を見るのは自分だけでいいなどと、身勝手な独占欲丸出しであることは高尾も充分理解していた。
 さてどうしたものかと、高尾は緑間を上から下まで探るように眺め回す。高尾は頤に指を当ててふむと一つ頷いた。
「どうにかなるか?」
「何がだ?」
「……ちょっと屈辱だけどオレにいい考えがある」
「考え? 別にこのくらい構わないと思うのだが……」
「良くない! つーわけで真ちゃんは心配しないでいいかんね? さて、と。みんなに相談事ができたし、さすがにそろそろ戻ろっか」
「……何を企んでいる?」
「後でな!」
 高尾の言動に些か納得していない様子の緑間だったが、準備を放って教室を飛び出してから随分と時間が経過してしまったことを気にしていたのだろう。不承不承ではあったが同意を得たので、高尾はすっと彼女へ手を差し出した。意味が通じていないのか、緑間が首を傾げる。こういう情緒に、彼女は相変わらず疎い。
「手、繋いでいこっ」
 ほれほれと揺らしながら緑間の掌を催促してみれば、仕方がないなと嘆息した緑間が自分のそれを重ねた。
 高尾の眼が悪戯っ子のように輝く。と同時に、ぐいっと彼女を自分の方へ引き寄せた。反応しそびれた緑間が、バランスを僅かに崩してよろめく。
「たか……んっ!?」
 その隙に腰へと腕を回し、ちゅっと可愛らしいリップ音を立てて、緑間の唇を奪う。不意打ちで軽く触れただけの唇は、それでも暖かくて柔らかくてとても甘かった。
「真ちゃんが可愛すぎて我慢できなかったのだよ……」
 悪びれることもなく、高尾は己の唇に移った緑間のグロスをぺろりとなめ取って、にこっとご機嫌に口角を上げた。
 一瞬の出来事に、緑間はあっけに取られままで固まっている。やがて脳が状況を整理できたのか、かーっと茹蛸のように顔を真っ赤にしながら、わなわなと肩を怒らせた。
「ちょっ! 調子に乗るんじゃないのだよ!!!」
 緑間と高尾の最初のキスは、高尾が盛大に頭を殴られて終わった。








 ――そんなこんなで文化祭当日。
 緑間と高尾のクラスでは、メイド服を着るはずだった緑間が高尾の執事服をぴしりと着用し、中性的な美しさの男装姿で女子を魅了し、執事服を着るはずだった高尾が、何故か緑間のメイド服を着こなして見事にはまった女装姿で小悪魔ちっくにメイドを演じて男子を混乱に陥れ、最終的に好評を博したのは、また別のお話。

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