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緑間さんと宮地さんのデートのお話・2

06 22 *2013 | text

のんびりになりましたが2です。もうちょっと書く予定だったのですが、追加部分を入れたらなんか結構な長さになりそうだったので、諦めて途中できることにしました。最初にあげた時より、文章が追加されています。準備編終了までになります。
緑間くんと黒子っちが女体化していますのでご注意ください。





続き






 緑間真は頭を抱えていた。
 『人事を尽くして天命を待つ』を座右の銘とする彼女は、日々己を研鑚し、常に努力を重ねてきた。だから、大抵のことは人並み以上に出来たし、努力に見合った自信もあった。
 けれども、そんな緑間にも、人事を尽くしきれていない分野があった。


「服が……ないのだよ……っ!」


 宮地とのデートまで、タイムリミットは僅か一週間。
 部屋一面に散らばった洋服の海の中で、涙目になりながら緑間は途方に暮れるのだった。




緑間さんと宮地さんのデートのお話・2




 冬休みの間中、宮地へのご褒美をいくつか思案してみたものの、しっくりこなかったこともあり、結局、正月にもらった黒子のアドバイスを採用することに決めた。それ以来、忙しさの合間をぬって、緑間は宮地の好みがどういったものか、リサーチを始めた。
 宮地清志といえば、重度のドルオタである。彼が残念なイケメンとよく呼ばれているのは、それだけ宮地のアイドルに対する姿勢がガチだったからだ。まだ学生の身故、小遣いやお年玉などをやりくりしながらという制限はあるものの、CDが出れば握手会のために複数購入は当たり前、推しメンが出ている雑誌は必ずチェック、テレビに出ていれば録画は基本、推しメンがCMしている商品は優先的に購入し、ライブがあれば周囲を巻き込んでチケット取りに勤しむ。まさにオタクの鑑だった。宮地のあまりのドルオタっぷりが知れ渡ると、イケメン無罪も適応されないのか、女子からのアプローチ自体が減ったとは木村の談である。
 緑間という彼女ができてからも、宮地の行動は相変わらずで、緑間そっちのけでアイドルに夢中になっていることも多々ある。人の趣味をとやかく言うつもりもないので、緑間も別に咎めたりせず、宮地は自由気ままにドルオタを謳歌していた。
 要するに根本的にああいったアイドルの姿は、宮地の好みなのだろうと、緑間は手っ取り早く当たりをつける。わざわざ探りを入れるまでもなく、宮地の趣味がわかりやすくて良かった。
 緑間はよく名前を耳にする宮地の推しメンの少女を、インターネットで調べてみることにした。今まで全く興味がなかったので、推しメンがどんな子なのか、朧げにしか記憶になかったのである。
 検索で出てきたのは、小柄で、笑顔が眩しくて、砂糖菓子のようにふわふわとした可愛らしさの、真っ直ぐに伸びた黒髪が印象的な正統派美少女で、緑間はぱたんと机に突っ伏すしかなかった。
「私と全く正反対なのだよ!」
 だん、と机を拳で叩くと、今日のラッキーアイテムである三角定規が小さく跳ねた。
 ディスプレイの向こう側で、大輪の花のように微笑んでいる少女は、でかくて、無愛想で、素直になれず可愛げのない緑間とは雲泥の差だ。今もたまに疑問に思うのだが、本当に宮地は、一体緑間のどこが良かったのだろうか。自らの思考の深みにはまってしまい、勝手にぐさぐさとダメージを受けて、緑間の気持ちは撃沈した。胸が段々もやもやしてきて、眉を顰めながらぐりぐりと額を机に押し付ける。行儀のいい緑間にしては珍しい行動だった。
 しかし、このまま唸っているだけでは埒が明かない。無理やり気を取り直して、緑間は極力考えないようにしつつ、アイドルたちの服装が連なった写真群を見ていく。
「……これを、私が着るのか?」
 緑間は、目に入る色とりどりの華やかな衣装に、早速げんなりとしてしまった。
 少女たちの着ている服は、チェックの柄をメインとしたものが多く、ひらひらしたフリルやレース、リボンがふんだんにあしらわれている。勿論スカートの丈も短く、衣装によっては露出も高めだ。見ている分にはとても愛らしい。
 緑間は、今自分の着用している服を、まじまじと眺めてしまった。シンプルな淡い色のカットソーに、ざっくりとした毛糸のカーディガンを羽織り、膝下のゆったりとしたスカートの組み合わせ。動きやすさを重視しており、自宅にいるということを差し引いても、お洒落というには物足りなく、飾り気のない地味目の普段着である。
 ディスプレイに映る写真と、現在の服装を繰り返し見比べて、緑間は深くため息を付いた。何をしたわけではないのに、どっと疲労感が押し寄せてくる。
 ――正直ハードルが高い。
 徐々に心が弱気へ傾いていく。そもそも『可愛くてキュート』系統の少女たちと、『美人でクール』系統の緑間では、似合う服装が完全に対極だ。緑間自身、こんなフリフリした服装を身に纏った自分を想像して、違和感に眉を顰めてしまった。
(別に、ご褒美だなんて、私の自己満足なのだから、実行しなくてもいいのだろうが)
 多分、いつも通り洒落っ気のない緑間と一緒に出掛けても、宮地は特別気にしないだろう。緑間がこういう性格なのはきっちり把握しているし、宮地が愛でる対象は他にいる。
 だが、不意に、約束を交わした時に見せた、宮地のほんのり嬉しげに緩んだ顔が、緑間の脳裏を過ぎった。
(先輩は、喜んでくれるだろうか……)
 宮地のために、好みに合わせて着飾って、緑間がデートに臨んだら、彼はどういった反応を返してくれるのだろうか。
 緑間は、きゅっと唇を引き結んだ。
「……私は、まだ全然人事を尽くしていないのだよ」
 自分でも、どう転ぶかはわからない。でも、何事も行ってみる前に諦めてしまうのは、緑間の信条に反する。
「第一、これをそのまま着用するわけではないのだし。あくまでも、先輩の好きそうな服装の傾向を、分析をしているだけなのだよ」
 自分に言い聞かせるように呟く。まだ、今は事前のリサーチ段階なのだ。宮地の推しメンが身につけている服から、宮地の嗜好を探って、自分に似合う服装にアレンジして、検討するための調査だ。時間もまだあるし、焦る必要はない。
 そう考えたら、多少肩の荷が下りた気がする。深呼吸を繰り返して、心に余裕が生まれてくると、途端に現金なもので、どうにかなるのではないかという気がしてきた。
「よし、もう少し頑張ってみるのだよ」
 緑間は、むんっと意気込むと、検索を再開した。


 こうして、緑間は部活や勉強の合間に、インターネットや雑誌、受験勉強の息抜きに来た女バスの先輩たちなどから、できる限り情報収集に励んだ。緑間自身がお洒落に疎かったことなどもあり、予想以上にまとめあげるのに時間がかかってしまったが、宮地の好み調査書を作り上げて、出来の素晴らしさに鼻を高くして、悦に入っていたのがつい先ほど。
 そして、いざ自室のクローゼットを開けたところで、冒頭に戻るわけである。
「先輩好みの洋服がないなど、当たり前なのだよ……!」
 ひっぱりだした洋服を呆然と眺めながら、緑間はがっくりと肩を落とした。
 そもそも緑間はさして服装に関心がなく、自分がどんなものを所持しているのかすら、碌に覚えていない。身に着けるものは、その日の気分で、手に取ったものを適当にあわせるという程度だった。しかも、興味のない彼女の代わりに、洋服を購入してくるのは母である。「女子高校生として、それはどうなの……ミドリン」と、桃井に窘められていた過去が、ここに来て響いた。
 緑間のクローゼットには、主に母の趣味を反映した、シンプルなデザインのふんわりしたカジュアルな洋服が収められている。あとは緑間の外見に合わせた、かっちりした細身のシャツやパンツ、大人びたイメージの服装が多い。何故か、物凄い少女趣味のフリフリしたワンピースが出てきたのは、そっと見なかったことにした。
 クローゼットを隅々まで漁ってみたものの、あいにく、手持ちには宮地が好むような服は、見当たらなかった。
 宮地の嗜好を完璧に分析することに没頭してしまい、実際の洋服の調達に関してすっぽり頭から抜けていた。所詮洋服であるし、一枚や二枚くらいなら傾向の似たものがあるだろうと、タカを括っていたのも敗因だ。完全な失態だった。
「仕方ない、買いにいくか」
 明日は日曜日で、一日部活もない。必要なものは、揃えられるだろう。
 緑間は携帯を取り出すと、黒子へ買い物の同伴をお願いするメールを打ち始めた。情けない話だが、まともに洋服を購入したことのない緑間が、一人でショッピングなど出来るとは到底思えなかった。
 送信して、散らかしてしまった服を片付けているうちに、黒子からメールが返ってくる。
「……ええっ!?」
 返信に目を通して、緑間の表情が翳りを帯びた。
『すみません。明日なんですが、誠凛は桐皇と練習試合が組まれているので、買い物に付き合えません。桃井さんも、ボクたちと一緒なので無理だと思います…。せっかく頼ってくれたのに、申し訳ありません』
 黒子からの返事は、全く緑間が想定していないまさかの展開だった。練習試合では、予定を変えて欲しいなどの無理を聞いてもらうこともできない。というか、何故日曜日に練習試合を組んでいるのだよと、秀徳だって時折日曜日に部活があることを棚に上げて、緑間はつい悪態をついてしまった。
 平日も土曜日も部活があるから、明日を逃すと買い物どころではない。もう約束は、来週の日曜日なのだ。緑間の背中を、嫌な汗が伝う。
 黒子と桃井が頼みの綱だっただけに、緑間はどうしたものかと暗い表情で項垂れる。クラスメイトと仲は悪くないとはいえ、緑間には気軽に一緒にでかけられるほど、打ち解けている女友達はいない。かといって、最も親しいけれども、下僕である高尾に、かっこうの揶揄かいのネタを握られるのは、緑間のプライドが許さない。自分のコミュニケーション能力の低さを、ここまで恨んだのは初めてだった。
 服に詳しい人物、服に詳しい人物……、そこまで考えて、一番の適任がいるじゃないかとやっと閃いた。
「……黄瀬っ!」
 黄瀬は現役のモデルで、服を魅せるプロフェッショナルである。はっと顔を上げて、緑間はすぐさま電話をかけた。黄瀬を頼るだなんて、昔の自分からは考えもしないことだったが、この際瀬に腹は替えられない。
 数コール後に、いつもの軽いチャラチャラした声が耳に届いた。仕事で出られないこともあるので、運はギリギリのところで、こちらに味方をしてくれているようだ。
『緑間っち~? 新年会ぶりっス! 珍しいっスね、緑間っちがオレに電話してくるだなんて』
「黄瀬。明日は空いているか? 空いているな? よし、いいから私に付き合え」
『えええっ?! こっちの予定総無視とか、いきなり横暴すぎない!? どうしたんスか、緑間っち!?』
 有無を言わさぬ口調で畳み掛けると、流石に黄瀬も電話口で慌てているようだった。先日の会合で顔を合わせたとはいえ、普段それほど懇意にしているとは言い難い仲間から、突如電話があって、しかもわけのわからない無茶振りをされているのだ。黄瀬が困惑するのもおかしくない。だが、緑間とてもう後がないのだ。
「不測の事態なのだよ……!」
 そう呟いた声音が、緑間らしからぬ、あまりに必死なものだったからだろうか。
『ちょっと落ち着くっスよ……! スケジュール調べるから、待ってね』
 黄瀬は、仕方がないなあとばかりに苦笑して、緑間に柔らかく緑間へ言い聞かせた。沈黙が降りた電話の向こうから、ごそごそと荷物を漁っている雰囲気の後に、微かに電子音が届き始めた。仕事用の携帯でも、弄っているのだろうか。
『ええと~、明日は夕方から撮影が入っているから……、場所にもよるけど、二時か三時くらいまでで良ければ、どうにかなるっスよ!』
「本当か!?」
 光明が差して、緑間は安堵に胸を撫で下ろした。深く息をついて、思わずへなへなと床に座り込んでしまった。
『緑間っちがそんなに慌ててるなんて、本当にどうしたんスか?』
 黄瀬が首を傾げたようだった。いくら緑間が変人と名高いとはいえ、今しがたの言動は、中学からの付き合いである黄瀬からしても、滅多にない狼狽えっぷりであった。黄瀬が何事かと不思議がるのも、無理はないだろう。
「ああ……。急に服が入り用になったので、見立てて欲しいのだよ」
 緑間は、あえて濁して黄瀬に目的を伝えた。恥ずかしさが抜けないこともあって、できれば、まだ詳細は話さないままでいたい。
 緑間に彼氏ができたことを知っているキセキの面子は、黒子と桃井だけである。赤司辺りは、独自の情報網で既に把握しているかもしれないが、まだつっつかれていないので、見て見ぬ振りをしてくれているのだろう。
『買い物っスか。 黒子っちとか、桃っちとかは?』
「あの二人は、明日互いに練習試合で、都合がつかなかったのだよ」
『あちゃー。タイミング悪かったっスね』
「全くなのだよ……」
 緑間が苦虫を噛み潰したように呻く反面、黄瀬はふふっと楽しげに笑った。
『それにしても、なんか変な感じっスねー。緑間っちと二人ででかけるとか、初めてじゃないっスか?』
「そうだったか?」
『そっスよー。大体、緑間っちは、いつも赤司っちと一緒にいたし。で、オレは明日、緑間っちに洋服をコーデしてあげればいいの?』
「ああ、そうだ。詳しくは、明日話す」
『了解っス!』
「では、明日九時半に、●●駅前の待ち合わせで構わないか?」
『丁度現場もそっちだし、問題ないっスよ~』
「そうか。なら良かった。宜しくなのだよ。急にすまなかったな」
『気にしなくていいっスよ。じゃあ、おやすみなさいっス~!』
「おやすみなのだよ」
 通話を切って、緑間は携帯を衝動的にぎゅっと抱きしめた。黄瀬ならば、まず間違いないコーディネイトをしてくれるだろう。
 ほっと胸を撫で下ろして顔を上げると、床に散らかったままの洋服の山が、視界に飛び込んできた。己の人事が足りなかったことを容赦なく突きつけられているようで、緑間はどんよりと表情を曇らせた。
「……とりあえず、片付けるのだよ」
 緑間はのろのろと立ち上がると、放置された洋服を再び手に取るのだった。




 待ち合わせの時間は九時半。その五分前に到着した黄瀬は、待ち合わせによく利用されるオブジェの周辺を、きょろきょろと見回す。花緑青の髪色をした、端麗な容姿の少女は、人ごみの中でも一際目立つから、すぐに見つかった。
 少女は、眼鏡の奥の長い睫毛を伏せがちに、物憂げな様子で、ちらりと時計に目をやりながら立っていた。すっと伸びた姿勢までもたおやかで、ただその場にいるだけでも、圧倒的な存在感を放っている。――手に握られた、むき出しのフライパンのせいで。
 黄瀬には、それが今日のラッキーアイテムなのだとわかるが、端から見れば異色でしかない。そのおかげで、近づいてくる猛者はいないものの、ちらちらと周囲の男性から視線を浴びていた。だが、そんな秋波には全く気づいていないようだ。例によって、鈍い。
 黄瀬は、彼女に小さく手を振りながら駆け寄った。
「緑間ーっち! おっはよ!」
「……黄瀬。おはよう。お前は、時間にはキチンとしているな」
「そりゃあ、時間厳守は当たり前の仕事してるっスもん。緑間っちこそ、毎回早いよね。お待たせしたっス」
「いや、私もつい五分前に到着したから、大して待っていないのだよ。それよりも、珍しいな?」
 緑間がきょとんと首を傾げて、じっと黄瀬を見上げてくる。彼女の視線は、黄瀬の目元に集中している。黄瀬はにこっと笑うと、声を潜めるように掌を立て、緑間の耳元に顔を寄せた。
「変装っスよ、変装。キセリョだってバレたら、色々と面倒くせーことになるしね。帽子と眼鏡だけでも、案外わからないものなんスよ?」
 黒縁の伊達眼鏡と、ほんのり目深に被った中折帽子を指先で叩いて、変装をアピールする。これに厚手のマフラーを首に巻いていると、案外はっきりと顔がわからなくなるのだ。
 緑間は上から下まで黄瀬を眺めると、己の眼鏡のブリッジを上げながら、ふっと唇を歪めた。
「眼鏡をかけると、黄瀬でも賢そうに見えるものだな」
「酷っ!」
 緑間は、いつもの如く辛辣だ。しかし、何となくではあるが、雰囲気が少し柔らかくなった気がする。新年会の時にもおぼろげに察せられたのだが、緑間の僅かな変化を掬い上げて、黄瀬は目をぱちぱちと瞬かせた。
「どうかしたか?」
「いや、何でもないっス。それで、どんな風にコーデすればいいんスか?」
「ああ、話をしなくてはだな。では、一旦マジバにでも入るか」
「そっスね」
 連れ立って、駅から程近いマジバに入る。日曜日のやや早い時間のためか、マジバは比較的空いていた。
 律儀にも、今日の礼の一つだと言って、緑間が飲み物をおごってくれることになったので、黄瀬は遠慮なく甘えることにした。緑間はお汁粉を、黄瀬はコーヒーを購入して、奥の席に陣取る。互いにコートとマフラー――緑間はフライパンもだが――を外して、椅子にかけたり置いたりと身を落ち着けてから、緑間はカバンに手を伸ばし、中からノートを取り出した。
「ここにまとめてあるような服を、見立てて欲しいのだよ」
「へー。ちょっと見てもいいっスか?」
「ああ」
 コーデ一つに随分大仰ではあるが、緑間だから仕方ないと納得してしまうのは、彼女が変人だからだろうか。黄瀬は、コーヒーに口をつけながら、ノートを開いた。緑間が行儀が悪いのだよと言わんばかりに眉を顰めたが、気づかない振りをする。
 ぺらり、とノートをめくる。そこには、几帳面な緑間の文字の書き込みと共に、プリントアウトされた写真や、雑誌の切り抜きが、いくつも貼り付けられていた。
「……え?」
 危うく、手に持っていたコーヒーを落としそうになる。慌ててしっかり持ち直して、きちんと机に置いてから、黄瀬は改めてまじまじとノートを覗き込んだ。見間違いなどではない。ぺらぺらと、ノートの先をめくり進める。
 最後まで軽く目を通して、黄瀬は呆然と緑間を見やった。
「ええと、緑間っち?」
「言いたいことがあるなら、はっきり言え」
「何で、アイドルなんスか?」
 緑間のノートには、今流行しているアイドルの少女や、彼女たちが着用するような服の写真が貼られていたのである。アイドルなんて、緑間から最も縁遠い存在だと思っていた。それなのに、男性アイドルですら眼中になかった緑間から、よもや女性アイドル関連のスクラップが飛び出てくるとは予想外である。
 一驚を喫する黄瀬の反応は折込み済だったのか、緑間はちっと舌打ちを漏らした。
「……私が、そういった手合いのものに興味を示すのは、おかしいか?」
「そういうわけじゃないっスけど……意外っていうかぁ……」
「フン。ならつべこべ言わずに、このような感じの服を、私にコーディネイトするのだよ」
 歯切れの悪い黄瀬に、緑間は、居丈高につんと顎を逸らして睥睨してくる。尊大な態度で接してくるのは相変わらずだ。緑間は、ぽかんとしている黄瀬のことなどお構いなしに、悠然とお汁粉をすすり始める。
 だがそんな中、微かにそわそわとした気配を、黄瀬は感じ取った。先ほど待ち合わせの際にも覚えた緑間の変化が、頭をもたげてくる。怪しい。逆に、普段通りの高圧的な態度を取ることで、深く突っ込まれないよう、有耶無耶にして力押ししてしまおうという節が窺える。黄瀬のセンサーに、違和感がひっかかった。
(……不自然っスよね)
 大体、よく考えてみれば、昨夜の電話も気になるところがあったのだ。緑間は服が「欲しい」と言ったわけではなく、「入り用になった」と言っていた。つまり、緑間自身が、アイドルが着用するような服に魅力を感じて、手に入れたいわけではないことが窺える。加えて、取り出したノートを見る限り、全く関心のないアイドルについて、緑間がかなり入念な調査を行っていたのがわかる。仮に、文化祭などの催しの一環で、調達しなければならないのであれば、わざわざ理由を隠す必要がない。
 これらの不審な点から導き出されることで、ピンとくる事象が一つだけある。
「……ねえ、緑間っち」
「何だ?」
「彼氏でもできた?」
「ぶはっ……!」
 派手に緑間がむせた。タイミング悪く、お汁粉が気管にでも入ってしまったのだろう。暫く、ごほごほと可哀想な位、咳き込み続ける。漸く収まってきた頃にナプキンを手渡してやれば、緑間は自然とこみ上げてきた涙もそのままに、黄瀬を睨み付けた。
 緑間の表情は、言葉以上に雄弁に真実を語る。決して、むせたからというわけではないのがわかる程、彼女の顔は真っ赤に染まっていた。
 かけたカマに、まんまと緑間がひっかかって、黄瀬は満足げに微笑んだ。
「あっ、やっぱりビンゴっスね~。もー、緑間っちってば隅に置けないんだからー。秘密にしてるだなんて、水臭いっスよぉ!」
「なっ……何故、わかったのだよ!」
 とんとんと胸元を軽く叩き、乱れた呼吸を整えながら、緑間が困惑する。本人としては、完璧に隠しおおせると、黄瀬を見くびっていたのだろう。ここまで動揺を露にしている緑間など、滅多に見れるものではない。
「だって、緑間っちってば、全然服に興味なさそうなのに、こんなに人事尽くしちゃってるんスもん。もしかして、好きな人がアイドルとか好きだから、こういう服を着て見せてあげようしているのかなーって。となったら、やっぱり彼氏ができたのかなって、普通は思うっスよ」
 黄瀬の指摘に、緑間は唇をわななかせていたのだが、暫くして、諦めたように肩を落として、深々とため息をついた。どうやら、観念したようだった。
「緑間っちの彼氏って、高尾君?」
「どうして、どいつもこいつも、私と高尾をくっつけたがるのだよ」
「えっ!? 違うんスか?」
「あいつは、私の下僕だぞ?」
 真顔で返してくる緑間に、うわー高尾君可哀想と呆れたものの、口には出さなかった。
 それにしても、偏屈な彼女の傍で、あれやこれやとこまめに世話を焼いてやり、ハイスペックと噂に名高い高尾を差し置いて、緑間の心を射止めたのは、一体どこまで出来た人物なのだろう。俄然好奇心を刺激されて、黄瀬はテーブルに身を乗り出した。緑間が、心底嫌そうに表情を顰めたが、この際気にしない。
「じゃあ、誰なんスか」
「……先輩なのだよ」
「あー、緑間っち、年上好きっスもんねー。そんで、アイドル好きな人なの?」
「重度のドルオタなのだよ」
「うはっ。ねーねー、彼氏さんの写真とかプリクラとかないんスか? 見たいっス!」
「絶対に嫌なのだよ!」
「何でっスか」
「だって、お前、揶揄かうつもりだろう!? 桃井と反応が同じなのだよ!」
「つまり、桃っちは知ってるんスね!? ずるいっスよ~!」
「いい加減黙るのだよ、黄瀬」
 そう凄まれても、気になるものは気になる。ずるいーとしつこく駄々をこねてみたところ、緑間がこほんと咳払いをした。
「煩いと言っている。……後で、みんなにもきちんと紹介するから。もう少し、待って欲しいのだよ……」
 伏目がちに、視線をふいと逸らす。ほんのりと、頬が赤い。照れているのだろう。そんな緑間が、とても可愛く見えた。
 やはり緑間は、全体的に雰囲気が柔らかくなった。黄瀬は確信を得る。もちろん、言動は依然キツいけれども、あんなにも頑なだった緑間が、ほろほろと僅かながらでも角を落としたのは、きっと恋人のおかげなのだろう。
「……わかった。楽しみにしてるっス!」
 だから黄瀬も、瞳をゆるりと細めて笑顔で返した。
「まあ、何だ。そういうわけだから、きっちり服を選ぶのだよ、黄瀬」
 決まりの悪さを誤魔化すためか、緑間はしおらしい振舞から一転、尊大に腕を組んで深く椅子の背にもたれた。
 蓋を開けてみれば、随分けなげな理由で服を欲しがっているので、つい黄瀬の口元が緩んでしまう。あの恋愛になど見向きもしなかった緑間が、である。気分はまさに、娘の成長を見守る親だ。にやけている黄瀬を見咎めて、緑間がむっと視線を険しくした。けれども、この不遜な態度が、実は照れ隠しなのだとわかれば、恐くも不快でもない。
「緑間っちは、着飾りがいがありそうっスね~」
 突き刺さるような眼差しをいなしながら、黄瀬はワクワクしていた。素材は一流なのに、お洒落に一切関心を持っていなかった緑間である。飾り立てたら、さぞかし見違えることであろう。緑間のオーダーを考慮して、自分だったらどう服を合わせるか、頬杖をつきながら、ノートをぺらぺらめくって想像し始めたところで、黄瀬ははた、と重大なことに気づいてしまった。緑間を窺うように、恐る恐る口を開く。
「……あのさー、緑間っち。約束を受けておいて今更だけど、オレがコーデするの、絶対にオススメしないっス」
「どうしてなのだよ? ファッションは、お前の得意分野だろう」
「それはそうなんスけどぉ」
「私では、どうコーディネイトしていいのか、さっぱりわからないからな。お前に任せるのだよ」
 緑間が、こんな風に信頼を寄せてくれるだなんて。ずっと懐いてくれなかった猫が、そっと手を舐めてくれた時みたいな感動だ。黄瀬は、密かに歓喜に打ち震える。が、それとこれとは話が別である。
「でも、彼氏さんが怒らないかなって」
「何故なのだよ? ……ああ。やはり、私がこういう服を着たら、推しメンとやらを冒涜してしまうからだろうか? 似合わないのは、わかりきっているのだよ……」
「違う違う! そうじゃなくってー! ああもう! アンタ、本当に面倒くせーっスね!」
「きゅっ、急に何なのだよ!?」
 びくり、と緑間が肩を震わせる。あさってな緑間の返答に、さしもの黄瀬も、額に手を当て、首を振り、天を仰いだ。
 そうだ、緑間は殊恋愛に関して猿並だった。案の定、彼氏以外の男と二人で一緒に出かけ、あまつさえ洋服を選んでもらうことのリスクを、全く理解していない。しかも、この様子では、黄瀬と買い物に行くということを、意図的にではないにせよ、彼氏に知らせていないはずだ。別に間違いが起こるような関係ではないが、それが彼氏に素直に通用するとは限らない。誤解を生んでしまう可能性だって捨てきれない。もしバレてしまったら、やっぱりマズいのではないだろうかと、黄瀬は自らの経験を持ってして、無駄にハラハラしてしまう。
「とにかく、やめておいたほうが無難だと思うんスけど」
 やんわりと注意を促してみたが、黄瀬の杞憂をよそに、緑間は腰に手を当てて胸を張った。フンと鼻を鳴らす。
「黄瀬のくせに、何をごちゃごちゃ考えているのだよ。私も今日中に服を手に入れたいから、四の五の言わずにコーディネイトしてくれればいい。お前は、この後仕事なのだろう? さっさとしないと、時間がなくなってしまうのだよ!」
 緑間が携帯で時間を確認すると、もうとっくに十時半を廻っていた。随分とおしゃべりに興じてしまったものだ。
 黄瀬は、何とも言いがたい表情のまま、思考を巡らせる。
 もはや緑間は、自分の目的を遂行することしか頭にない。そして全く、男の機微をわかっていない。かくなる上は、緑間と彼氏の間で万が一行き違いが起こってしまったとしても、恋愛経験としてみるべきなのだろう。あまりにも、緑間の意識が甘すぎる。少しは経験を積んで、身をもって理解したほうがいいのかもしれない。もし、騒動が起こる羽目になったとしたら、その時は全力でフォローしてあげよう。
 黄瀬は腹を括って、一つ頷いた。
「……わかったっス。こうなったら、とことん緑間っちを可愛くコーデしてあげるっスよ!」
 そうと決まれば、ファッション業界に在籍する身として、存分にやってやろうじゃないか。頼られたことで、黄瀬のプロ根性に火がついたし、純粋に見目麗しい緑間を飾り立ててみたいという気持ちもむくむくと沸いてくる。
 黄瀬は、自分の携帯を取り出すと、目当ての番号を探し出して、電話をかけ始めた。
「ちょっと失礼するっスね」
「黄瀬? 何をしているのだよ?」
 黄瀬の意図がわからず、緑間は首を傾げる。黄瀬は、悪戯っぽく片目をつぶってウィンクを投げると、唇に人差し指を立てて、静かにとジェスチャーを見せた。
「おはようございます。黄瀬です。お久しぶりです、お元気でしたか?」
 普段の砕けた口調とは異なり、目上の人に対するきちんとした電話応対をすると、緑間が驚いたように目を白黒させていた。流石に、この程度の対応ができなくては、業界で生き残ってなどいけない。
「はい。その節は、ありがとうございました。急な電話ですみません。実は、ちょっとお願いがありまして……」
 手短に話を通してみれば、突然の依頼だったにも関わらず、相手から良い返事をもらえた。良い仕事をしたと、内心自分で自分を褒め称えながら電話を切ると、緑間が胡散臭そうに瞳を細めて、黄瀬を凝視していた。
「黄瀬、今の電話は……」
「うん。聞いての通りっス。オレがお世話になったデザイナーさんが、レディースラインで丁度、緑間っちが欲しい感じの服を出してるんスよね~。事情を話したら、面白いって快諾してくれたから、折角だし、その人のアトリエで、上から下まで着せ替えしよ?」
「はぁっ? 着せ替えだと!? 何もそこまでしなくても……」
 緑間の表情が、さっと青褪めていく。多分、こんな大事に発展するとは、予想もしていなかったのだろう。尻込みしている。
「緑間っちは、色々と似合いそうだから楽しみっスね~! 大丈夫、オレに任せるっスよ。彼氏さんがびっくりするほど、可愛くしてあげるからね! 腕が鳴るっスよ~。じゃあ、そろそろ移動しよっか」
「おい! 黄瀬!! 人の話を聞くのだよ!!」
 浮き足立った気分のまま、いそいそとコートとマフラーを着込む。空の紙コップが乗ったトレイを手にとって立ち上がると、緑間が若干不安を孕んだ面持ちで、焦って黄瀬の裾を引いた。
「彼氏さんのために、頑張るんスよね? さ、行こ?」
 にやりと意地悪く笑って促してやれば、緑間はぐっと言葉を詰まらせるのだった。






 二日間のセンター試験を終え、宮地は未だかつてない手ごたえを感じていた。自己採点の結果も文句なし。会心の出来だった。
 センターが終わったら、緑間とデート。それを人参にして頑張ってみたところ、この結果である。何だこれ。自分でも、調子の良さにちょっと引く。
 まだ、この先二次や私立大学の受験が控えているので、うかうかしてはいられないが、一先ずこれで一段落だ。宮地は肩からいくらか荷物が下りたことに、ほっとため息をついた。
 自己採点の結果が良かったことに、浮かれて高揚していたこともあるのだろう。宮地は携帯を手に取る。時計を見ると、九時を回ったところ。この時間帯なら、丁度いいくらいだろう。宮地は、緑間に電話をかけた。
『はい。宮地先輩? どうされましたか』
 数コールの後、落ち着いた様子で緑間が電話に出た。試験が近いこともあり、学校と予備校と自宅を往復するだけで、ここのところ緑間とはメールでのやりとりしかできていなかった。だからだろうか。久しぶりに耳に届いた彼女の声が、何だか酷く心地よかった。
「おう。センター終わった」
『お疲れ様でした。自己採点はいかがでしたか?』
「俺を誰だと思ってんだよ。バッチリだったぜ」
『それは良かったです』
 緑間も安堵したのか、ぱっとトーンが明るくなった。
「お前が、正月に神頼みしてくれたのが効いたのかもな」
『宮地先輩が、人事を尽くした結果ですよ』
「ははっ。まあ、これでやっと第一関門突破だな。暫く勉強漬けだったから、ちょっとバスケしてーわ」
『なら、部活に顔を出して下さいよ。高尾や男バスの連中が、きっと喜びます』
 高尾の名が出たことに、ぴくりと眉が上がる。そこで何故『私』と言わずに、高尾の名を出すのか。いや、単純に高尾が宮地のことを話題にしていたとか、そういった理由からかもしれないけれども、宮地としては面白くない。
「お前は?」
『え?』
「お前は、喜んでくんねーの?」
 問えば、緑間が口ごもる。降りた沈黙に耐え切れなくなったのは緑間が先で、『うう……』と小さく呻くような音が漏れた。
『……宮地先輩』
「ん?」
『……当たり前のことを、わざわざ聞かないで下さい』
 少し拗ねた口ぶりで緑間が言うので、宮地は嬉しくなって、くしゃりと顔を歪めて笑った。これが電話越しで良かった。だらしなく緩んだ自分の顔なんて、緑間に見せられやしない。
「聞きてーんだよ、バーカ。当たり前のことでも、ちゃんと言葉にしろや」
『……ぜっ、善処するのだよ』
「おう。んじゃ明日辺り、ちょっと覗いてみっか」
 素直でない彼女を、あまりいじめすぎても酷か。弄り倒すのもそれはそれで魅力的だが、本題がまだである。宮地は、話題を切り替えることにした。
「で、緑間」
『はい?』
「正月の約束、覚えているか?」
『……わ、忘れるわけないのだよ!』
 緑間の口調が、妙に堅くなったのが気になった。そんなに緊張感を孕むような話ではないはずなのだが。
「どうかしたか?」
『え? いえ、あの、何でもないです。今度の日曜日の約束のことですよね』
 不審に感じて、宮地は尋ねたのだが、緑間は慌てて誤魔化してきた。こうなると、緑間に口を割らせるのは中々難しい。
「? 覚えてるなら、まあいいけど。待ち合わせ、▲▲駅の時計前に、十時で大丈夫か?」
『構わないのだよ』
「どっかお前は、行きたいところねーの?」
『先輩の息抜きが目的なのですから、先輩の行きたいところでいいですよ』
「そっか? なら、昼に何食いたいかだけ考えとけよ」
『わかりました。では朝練があるので、私はそろそろ……』
「ああ、もうそんな時間か? 練習、頑張れよ」
『はい。先輩は、まだ勉強されるんですか? 風邪引かないように、暖かくして下さいね』
「ん、サンキュ。じゃあ、お休み」
『お休みなさい』
 ぷつり、と通話が終わる。束の間、不通音を耳に余韻を楽しんでから、宮地も電話を切った。
 大したことのない雑談。時間的にもそんなに長くない会話。でも、緑間の声を聞いただけで、無性に会いたくなってしまった。我ながら、どれだけ緑間のことが好きなのかと、恥ずかしくなる。宮地はいたたまれなくて、唸りながら、前髪にぐしゃりと手を入れた。
「放課後、アイツの3Pを久しぶりに見れんのか」
 そう呟いたら、自然と唇が綻んだ。
 すっと背筋が伸びるような、真っ直ぐで、緑間の本質をそのまま表したかのような美しい3P。あれを眺めている一瞬、まさに時が止まったかの如き錯覚を覚える程、宮地は惹きつけられる。今まで色々な人のシュートを見てきたが、宮地は緑間の3Pが一番好きだった。
「とりあえず高尾は扱く」
 ぽいと携帯をベッドの上に放り投げると、宮地は明日のために、Tシャツとジャージとタオルを引っ張り出して、エナメルに詰め込み始めた。

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