2に入りきらなかった、宮地さんのターンの部分です。緑間くんが女体化していますのでご注意ください。これは明らかにタイトル詐欺だろうなあって気持ちがむくむくとわいてきています、すみません。そしてこれから緑間君誕生日祝いのテキストにとりかかるために、またちょっと続きは先になります。
さて、とうとう約束の日曜日がやってきた。
雨も雪も降ることもなく、雲間からは、ほんのりと冬の柔らかな日差しが降り注いでいる。天気が崩れなくて良かった。暖房で暑いくらいの電車から降りた宮地は、ホームに飛び込んできた冷たい風に、ぶるりと身を震わせた。
改札を出て、待ち合わせ場所に到着した宮地は、ぐるりと首を巡らせて、緑間を探す。が、どこにいても目立つ少女の姿は、今日に限って見つからなかった。
宮地は、頭上にある時計を見上げた。時刻は、九時五十分。約束は十時だから、まだ少し早いものの、几帳面な緑間は、いつだって遅くても待ち合わせの十分前には到着して待っている。珍しいこともあるものだ。
緑間が利用する路線に、遅延でも出ているのだろうか。携帯を引っ張り出してみるが、特別彼女からのメールもないので、とりあえず宮地は待つことにした。
携帯を弄って、推しメンのブログや呟きに目を通していると、あっという間に約束の十時を過ぎた。
しかし緑間は、まだ来ない。
(何かあったのか?)
きちんとしている緑間が、連絡もなく時間に遅れるなんて、流石におかしい。宮地がブラウジングをやめ、電話をかけようとしたその時だった。
「しつこいと言っているのだよ!」
苛立ち交じりの聞き覚えのある声が、喧騒の中、微かに宮地の耳に届いた。
「ちょっとお茶するくらいいいじゃん~」
「だから! 私は約束があるから、お前に付き合ってなどいられないのだよ!」
「約束って友達? なら一緒でも構わないし。何なら、オレも友達呼ぶからさぁ!」
「何故そうなるのだよ!?」
途切れ途切れに響いてくる声から察するに、どうも、タチの悪いヤツに執拗に絡まれているらしい。かなりぞんざいな対応されているにも関わらず、食い下がる根性だけは見事だ。しかし、とんだ迷惑には違いない。
押し問答が聞こえた方へ目を向けると、丁度駅中から出てきた緑間は、一人の男に付きまとわれていた。かつかつと、やけに響くヒールの音が、不愉快を如実に表している。ナンパ男には、無視を決め込むことにしたのか、唇を真一文字に引き結び、仏頂面を隠しもしないで、緑間は待ち合わせの場所を目指して歩いてきていた。
そんな緑間の姿に、宮地は瞳を奪われて、あんぐりと口を開けた。危うく、携帯を取り落としそうになる程の衝撃だった。
緑間は、キラキラした繊維のまじった、襟ぐりの大きく開いているピンクベージュのふんわりとしたセーターを着ていた。インナーは、清楚な白のブラウスで、襟元に結ばれたリボンは、スカートとお揃いの柄。肩から胸の間に、ショルダーバックの紐を通してかけているせいで、着やせする緑間の胸が、しっかり主張されていた。宮地が、口を酸っぱく警戒心のなさを説いているにも関わらず、これなのだからあまりにも隙だらけだ。
下は、グリーンを基調としたタータンチェックの、ひだが沢山入った柔らかいフリルプリーツスカート。二段ティアードになっており、裾は濃い目のレースで飾られている。普段、緑間は、膝下の丈を好んで着ているのだが、今日ばかりは膝上のミニである。
靴は、ブラウンの編み上げロングブーツ。ヒールは少し高めで、緑間のすらりと長い足を強調している。スカートとブーツの間に出来た領域は、黒のタイツで覆われているものの、見事に引き締まった、緑間の太ももから膝のなだらかなラインを、惜しげもなく晒していた。
前を締めないで、開いたままの白のファー付きダッフルコートが、大人びた緑間自身を甘く仕上げている。
髪は、毛先だけゆるく巻かれ、いわゆるお嬢様結びでまとめられている。今日の蟹座のラッキーアイテムである、リボン型のバレッタがとめられていた。
――眼鏡だけが、いつもの緑間のままだった。
誰だ、このモデル顔負けといっても過言でない美少女は。元々、美人な緑間は、よくよく衆目の的となっているが、服装が普段と違うだけで、こんなにも華やかに印象が変わってしまうとは、女は恐い。
周辺にいる男性たちも、緑間の存在にざわつき始める。とんだ美少女が現れたのだ。けれども、視線を一身に集める緑間だけが、その秋波を意識していない。
普段の、服装に興味なさげな緑間とのギャップに、あっけに取られて固まったままでいると、緑間が宮地に気づいた。依然めげないナンパ男に絡まれているためか、イライラで険しくなっていた表情が、宮地を見つけたことで、ぱあっと明るくなった。どこか安心した様子が窺える。
「宮地先輩っ!」
名を呼んで、緑間が宮地に駆け寄ってくる。ひらりと、新緑色の髪がなびいた。
緑間は、素早く宮地の横に廻り、宮地の右腕をぎゅっと掴むと、ナンパ男を睨み付けた。
「私は、この人との約束があるのだよ! だから、さっさと消えろ」
流石に、これは自分の出番だろう。本当なら、もっと早く助けてやれればよかったのだが、緑間の身なりに度肝を抜かれて動けなかったなんて、心の内に秘めておきたいところだ。
今更ではあるが、緑間を庇って後ろに下げると、宮地は身体を前に出す。一九〇超の男から向けられる威圧に、粘っていたナンパ男も怯んでいるようだった。
「あ? 俺の女に何か? 轢くぞ」
あえてガラ悪くぎっと凄んでやれば、男はひっと喉を鳴らして、この場から立ち去った。塩でもあったら撒いてやりたいくらいだ。ついでとばかりに、宮地は、こちらを注目している連中に対しても、これは俺のだと、威嚇の視線を送って蹴散らしておく。
緑間は、ナンパ男が逃げていくのを見送って、漸くはーっと全身でため息をついた。あんな野郎に絡まれては、ご愁傷様としか言いようがない。
「大丈夫か?」
そう問いかけると、緑間はこくんと頷いた。そして改めて、宮地を見上げてから、深々と頭を下げた。
「……遅刻してしまって、すみませんでした、宮地先輩」
「お前のせいじゃないだろ。あれは仕方ねーよ。随分しつこかったみたいだしな」
「本当に……」
緑間は、既に気力を奪われてか、げんなりと疲れた様子を見せていた。
こんなことなら、待ち合わせでなく、家に迎えに行ってやればよかったか。緑間の出で立ちに、すっかり見惚れて行動が遅れたせいとはいえ、自分以外の男に付き纏われているのを目の当たりにするのは、正直気分のいいものではない。緑間が悪いわけではないのだが、宮地の心も、何だかささくれ立ってしまう。
「今日は、何なのですか……。あれで、声をかけられたのが、三人目なのだよ」
「はぁ!?」
三人目。緑間の告白に、宮地の頬がひくりと引きつった。さっきの男を含めて三人。それを相手になんぞしていたら、そりゃあ遅れるし、緑間の気力も削がれるだろう。
しかし緑間は、何故自分が今日に限って声をかけられたのか、理由を全く理解していないのか、朝からの災難を嘆くばかりである。
「お前が、そんな恰好してるからだろーが! 刺すぞ!」
「……え?」
「つーか、急にどうしたんだよ、それ」
遠目からだった緑間の姿を、今度は目の前で、上から下まで、じっくりと眺めて堪能する。宮地の推しメンを意識した服装なのだろうか。そのせいで、緑間にしては甘めのコーディネイトになっているが、彼女の大人びた雰囲気を崩さないようバランス配慮がされている。
化粧を施していないのも、宮地的に好感度が高い。唇だけが、つやつやと仄かなピンク色のリップクリームで潤っているのが、また色っぽさを増してぐっとくる。
つまるところ、今の緑間は完全に宮地のドストライクであり、この上もなく可愛かった。ここが往来でなかったら、思わず抱きしめていたかもしれない。
「あ、あの……」
じーっと宮地に凝視されて、居心地が悪いのか、緑間は微かに頬を朱に染めて、視線を逸らし俯いた。どこか緊張した面持ちで、唇を引き結んでいる。
「……似合いませんか?」
「……すげー似合ってるよ」
「本当ですか!?」
目を輝かせた緑間が、勢い良くばっと宮地を仰いだ。
上手い表現が出てこなくて、陳腐な言葉しかかけられなかったのに、緑間はほぅと、胸に手を当てて、安堵に胸を撫で下ろしていた。強張っていた全身の力も程よく抜けたのか、表情も柔らかくなっていく。自然と浮かんだ、はにかむような緑間の笑顔に、宮地の胸が高鳴った。何だろう、緑間の恰好が普段とかけ離れているせいか、一挙一動にドキドキしてしまう。
「宮地先輩、こういうの、好きかなと思いまして……」
「へ?」
緑間のまさかの言葉に、宮地は、ぱちぱちと目を瞬かせた。
「だから! ……黒子に、服装に対して、気合が入っていないと言われたのと……あと、先輩が、今日を楽しみにしてくれていたみたいなので、センター試験お疲れ様でしたの意味も込めて。ご褒美になるかどうかは、わかりませんが……その……人事を尽くしてみたのだよ」
緑間にしては珍しく、歯切れが悪かった。途切れ途切れに紡がれる言葉は、もごもごしていて、最後の方など消え入りそうにか細くなっていく。それでも、かろうじて耳に届いた声に、宮地の理性は吹き飛ばされてしまうかと思った。さっきから、彼女には驚かされてばかりだ。
当の緑間は、羞恥心からか、先ほど以上に顔を上気させている。
(待て待て待て、落ち着け、落ち着くんだ、宮地清志)
緑間から、ぽんと飛び出した最大級のデレに、宮地も混乱を極めてくる。
もしかして緑間は、正月のちょっとした宮地のボヤキを、気に留めていてくれたのだろうか。確かに宮地は、初詣で約束を取り付けた時に、ご褒美だと言ったし、実際に、自分の中だけで、勝手に今日のデートをご褒美扱いにして、受験勉強を頑張っていた。よもや、そんな何気ない一言で、緑間がこんなサプライズを考えていてくれたとは、露とも知らずに。
先日の電話の際、挙動不審だったのも、このせいか。
色々なことが繋がっていく。そして、目の前にいる緑間の姿が、宮地のために尽くしてくれた結果なのだとわかったら、途端に全身が、かっと熱を持った。まんまとやられた。
さっきまで、緑間がナンパされていたり、無遠慮な男の視線に晒されたりして、無性にイラついていたことなんて、どこかにいってしまった。溜飲が下がる思いだ。
「お前さぁ……こういう不意打ちはズリぃだろ……」
宮地は、緑間の両腕をそっと掴み、肩口に額を押し当てた。広がる彼女の香りに、くらくらしそうだ。
急な宮地からのスキンシップに、慌てた緑間が身体を捩るが、逃がさない。
「せっ、先輩!? ここ人前……っ」
「うっせぇ、ちったぁ我慢しろ」
この場で力の限り抱きしめないだけでも、随分譲歩しているのだ。周囲の視線なんて、気にしてる余裕もない。
緑間が泡を食って辺りを見回すが、じろじろと注目されていることに次第に居たたまれなくなって、羞恥心に呻きそっと俯くことしかできなかった。
「何を考えているんですか、貴方は!」
「お前のことだけど?」
「……なっ!?」
位置的に耳元でひそひそと響く非難の声に、宮地は、はっと意地悪げに笑って返す。案の定、緑間は絶句して、口をパクパクとわななかせた。我ながら、頭の沸いた返答なのは、重々理解している。突っ込むな、恥ずかしい。
とうとう諦めたのか、緑間が身体の力を抜いた。諦めたというより、半ば、呆れの極地に達したという気がするが。
「……先輩が喜んでくれたのなら、良かったのだよ」
「おう」
「黄瀬に頼んだかいがありました」
「……黄瀬?」
聞き捨てならない単語に、ばっと顔を上げれば、緑間が酷く驚いた顔で、宮地を見つめてきた。
「宮地先輩?」
「今、黄瀬って言ったか? あの、キセキの世代で、モデルのキセリョ?」
「はい、その黄瀬です。先輩の嗜好は私が調べたのですが、服のことがよくわからなかったので、コーディネイトを、ヤツにお願いしたんです」
「……つまり、その服は、黄瀬が選んだのか?」
「ええ。先日、色々ありまして一緒に。あっ、私も一応ちゃんと意見したんですよ!? でもまあ、さすが黄瀬というか……。先輩も気に入ってくれたので、あいつも腐ってもモデルなのですね」
「一緒……」
宮地がどう感じるかもお構いなしに、緑間は呑気にこくりと首肯した。浮かれた気分が、一気に叩き落される。払拭されたと思っていた胸のモヤモヤが、再び苦々しくこみ上げてきた。
緑間が、己に対して歪んだ認識をしてしまっているせいで、どこか抜けていて、危機感に乏しいことは理解している。他人の機微に疎いのも、承知の上だ。それでも、どうしてわからないのかという、八つ当たりめいた気持ちは、どんどん強くなってしまう。
緑間は、偏屈で、頑固で、ツンデレの変人だけど、綺麗で、真っ直ぐで、面倒見が良く、努力家のいい女だ。そんな彼女の本質を知っているのは、今はごく一部の人間だけに過ぎないとはいえ、緑間の深い部分を知る人物はみな、彼女に好意的である。その友情が、恋情に傾かない保障など、どこにもない。宮地とて、最初はあれほど毛嫌いしていたのだ。自分という前例があるせいで、気が気でなくなることが時としてある。
これは、どうしようもない不安と、醜い嫉妬でしかない。頭ではわかっている。そんな鈍い彼女を好きになったのも本心だ。でも、こみ上げてくる黒い感情が、どうしても抑えられなかった。
そんな宮地の苛立ちが、現れてしまったのだろう。
「……っ! せ、先輩? 痛い、です……」
掴んでいた緑間の腕を、無意識に強く握ってしまったらしい。緑間が、圧迫に顔を顰めた。そこで初めて、宮地の様子が急におかしくなったことに、緑間は気づいた。
「先輩? どうしたのですか?」
浮き立っていた空気から一転、突如不機嫌になってしまった宮地に、おずおずと問いかけてくる緑間は、やっぱりわかっていない。
「どうしたもこうしたも……」
言葉にならず、宮地は嘆息した後、ちっと舌打ちをした。
ひしめく雑踏のざわめきと、先ほどから寄せられる無遠慮な視線が、酷くうざったくなる。さすがに、こんな場所で話すことではないなと、妙に頭だけは冷静なのがおかしかった。
宮地は、無言で緑間の手を取った。多分今、物凄い形相をしているだろう。
「宮地先輩っ!? 何処に行くんですか!?」
そんなの、宮地にだってわからない。
応えもせず、苛立ちを隠しもしない宮地に、緑間は怯えてしまったのか、びくりと小刻みな震えが指越しに伝わった。緑間は、わけもわからず引っ張られるがままに、宮地の後をついて来る。最初に僅かにあった抵抗は、もうない。
時折、心細さからか声をかけてくるのだが、全て黙殺しているうちに、やがて緑間も何も言わなくなった。
――互いに黙り込んで、重苦しい雰囲気の中、緑間を連れ回すこと十数分。
人気のあまりない場所まで出て、雑居ビルと雑居ビルの間にある、狭い路地を見つける。丁度いい。宮地は緑間を引き込むと、とんとビルの壁に押し付けた。
「せんぱ……」
即座に緑間が見上げてくるが、宮地の鋭い眼光に怯んで、身を竦ませる。暫く見詰め合った後、宮地は仰々しく息を付いた。
「……お前、どうしてわかんねぇの?」
「え?」
「黄瀬と二人で、服を選んだなんてよぉ……」
「……それの何がいけないんですか?」
「お前に危機感がないのはわかってるけど、そんなこと聞かされて、俺が何も感じないとでも思ってんのか?」
宮地は、ぐるぐると渦巻く胸の内を吐露した。声が掠れる。苦しさに、ぎゅうと眉間に皺を刻んだ。
緑間が、宮地以外の男と二人で出かけて、その男の手で可愛らしく飾り立てられただなんて、いくら自分のためにしてくれたこととはいえ、甚だ複雑だ。
ただでさえ、高尾のことで、密かにやきもきしているというのに。きょとんと首を傾げた緑間が、無防備が過ぎて、いっそ憎憎しい。
「え? だ、だって黄瀬は友達ですよ!?」
宮地の言葉に、緑間は戸惑いを隠せないようだった。
「知ってるよ! 知ってるけど、何が起こるかなんてわかんねーだろ!?」
「馬鹿な! 黄瀬は、私の大事な仲間です。それ以上でもそれ以下でもないし、まかり間違っても、私と黄瀬にそんな感情が生まれるはずがないです、絶対」
反論してくる緑間の瞳は、どこまでも真っ直ぐで凛と澄んだまま、宮地を貫いてくる。その眼差しに、余計に熱を煽られる気がしたのは、自分の抱く情念の、後ろめたさ故か。
「絶対なんて、ありえねぇだろうが!? だからどうしてお前は、わからないんだよ! さっきだって、散々ナンパされてたんだろ? お前は可愛いんだってことを、いい加減自覚してくれよ!」
言い争いをしたいわけではなかったのだが、一旦口をついてしまった思いは、次から次へと零れ落ちていく。引くに引けなくなって、積もり積もった鬱憤が、ここにきて爆発してしまった。
宮地とて、不安になることだってある。
緑間は綺麗だから、口もガラも悪く、意地を張って喧嘩になるような自分よりも、もっと優しくて、気の利く、いい男のほうが釣り合うのではないかと。そう、高尾や、黄瀬みたいな。
「俺が……どんな気持ちでいるか……っ!」
一方的に、酷い疑念をぶつけている。嫉妬から当り散らしているに過ぎないこともわかっている。それでも、言葉が止まらなくて。愛しさと、独占欲と、憤りがごちゃごちゃになって。表情を哀しげに曇らせる緑間を、見たくなくて。
宮地は勢いのまま、緑間の唇に噛み付いた。
「っ!?」
いきなり施された乱暴なキスに、とっさに反応できなかった緑間が、目を見開いて硬直する。その隙を逃さずに、素早く舌を緑間の口腔内へと滑り込ませると、縮こまった彼女のそれに絡ませる。ぴちゃと、わざとはしたない水音を立てながら、執拗に舌を嬲りこすり合わせ、上顎をなぞってやれば、緑間の肌が顕著に震えた。
「んんー!? ふ……っ!」
いやいやと首を振って拒否する緑間の後頭部を、無理矢理抱き込む。ぐっと固定して、漏れる吐息をも攫うほど、口付けを深めた。
思うがままに、柔らかな彼女の唇を蹂躙して、貪って、薄昏い優越感に浸る。
――と。
「……っつ!!」
がりっと、緑間に舌を容赦なく噛まれた。反動で唇を離して、宮地は痛みに眉を顰めた。鉄錆の味が、口内にじわじわと広がっていく。
緑間を見れば、はーはーと肩を上下させて、呼吸を荒げている。まるで手負いの獣のようだ。つけていたピンクのリップクリームは、宮地とのキスのせいで落ちてしまった。代わりに唇は、唾液にてらてらと濡れて艶かしい。
息を整えた緑間は、ぐいっと口を拭うと、一瞬だけ泣きそうな様子で瞳を潤ませ、瞼を落とした。刹那、翡翠の虹彩が再び宮地を捉えると、毅然とした表情で、酷く失望に満ちた視線を宮地に向けた。
そこでやっと、宮地は、自分がやってはならないことをやってしまったのだと、我に返った。
「見損ないました」
しかしもう後の祭り。緑間からは、冷ややかに付き離された声が発せられる。
「不実を疑われるほど、私はそんなにも信用ならないですか」
それは、静かだが 悲痛な緑間の訴えだった。
「……少し頭を冷やしてください」
緑間はそう呟くと、宮地に背を向けて、その場から走り去った。
追いかけるなんてできなかった。そんな資格など、今の宮地にあるわけがない。
宮地は、ずるりと力なくその場にしゃがみこんだ。口内が気持ち悪くて、べっと唾液を吐き出せば、血の赤が混じっていた。
「ってぇ……」
手加減なく噛まれた舌が、びりびりと痛い。でもきっとこれ以上に、緑間の方が痛かっただろう。
「……やっちまった」
殴られなかっただけましなのか。殴るほどの価値もなかったのか、わからない。ただ、致命的なまでに、緑間との間に、大きな溝を作ってしまったことを自覚して、宮地は顔を覆って、天を仰いだ。
泣くな泣くなと何度も言い聞かせて、緑間は無表情を保ったまま、懸命にヒールを響かせた。人ごみを掻き分け、ただひたすらに、足を動かした。
久しぶりに一緒に出かける約束が嬉しかったから、宮地の好みを必死でリサーチして、黄瀬にコーディネイトしてもらった服を、おかしくないかと鏡の前でこれでもかと合わせて、浮かれた気持ちでいたのが、いけなかったのだろうか。
今日のおは朝の順位はさして良くなく、ラッキーアイテムで補正を施していたにも関わらず、朝からずっとついていなかった。
宮地も、最初は喜んでくれていた様子だったのに、いつの間にかどんどん不機嫌になってしまって、酷い目に合って、挙句の果てに喧嘩別れだ。
一体、何がいけなかったのだろう。
宮地は、緑間をわかっていないと責める。けれども、緑間には責められる理由が、とんとわからない。人の気持ちに疎いと言われ続けている緑間のことだから、何かしら宮地の地雷を踏んでしまったことはわかる。今までも、幾度となく、こういった口論を繰り返してきた。けれども、ここまで酷い喧嘩に発展してしまったのは、今回が初めてだった。
「どうして、こうなってしまうのだよ……っ!」
ただ、酷く悔しかった。宮地に信用されていなかったことが、どうにも歯がゆくて、緑間はぐっと唇をかみ締めた。
一刻も早く、あの場所から逃げたかった。だから、緑間は通りを一心不乱に突き進んだ。
駅に辿り着き、何も考えずに適当に飛び乗った電車は、秀徳高校の最寄駅へと繋がる路線だった。
電車を降りると、緑間はふらふらと通学路を歩いていた。多分、自分が安心できる場所を、無意識に求めていたのだろう。
秀徳高校の近くには、小さな公園があって、緑間は、よろよろと倒れこまんばかりに、そこのベンチに腰を下ろした。どっと身体の力が抜けていく。一旦緊張が解けてしまえば、溢れんばかりの様々な感情に襲われた。
どうにもならなくて、混乱と動揺で半ばパニックに陥った緑間は、震える手で携帯を取り出す。かけた電話は、すぐに繋がった。
「――高尾……っ!」
縋るように零れた緑間の声は、あまりにもか細かった。