緑間君のお誕生日おめでとう話です。何故誕生日なのに缶蹴り…と自分でも思っているので突っ込まないでください(笑)。キャラを沢山動かすとか、未熟者の私にはなかなかハードルが高かったですが、書いている分には楽しかったです。ルールはかなり独自入ってますので、まったりご覧いただけると。秀徳さんが仲良しで、あとモブさんが数名でてきますが、流石にモブ山モブ男さんではかわいそうだったため、オリジナルで名前をつけてしまっています、ご了承ください。ついでに高尾チートです。ところで缶踏む時の掛け声は「みっけぽこぺん」だよねと友人ズに尋ねたところ、揃って「そんな呪文はしらん」っていわれてしまってあっれー?wwwってなりました。田舎だからですかね!?
あと高緑です。女体化はしていないのでご注意ください。
「――サン、見ーっけ!」
高尾がガン!と、勢い良く缶を踏みつけた。
* * * * *
梅雨が明け、雲間に隠れていた太陽が、じりじりとアスファルトを焦がしていく。梅雨の名残か、多分に湿気を含んだ空気と、急激に上がった外気温が、茹だるような暑さをもたらした。
陽炎が立ち上りそうなほど、酷く蒸し暑い、土曜日の午後。
秀徳高校体育館の中は、迸る汗が気化した、部活動特有のもわっとけぶりそうなほどの熱気が籠もっている。まるでサウナだ。ドアというドア、窓という窓を全て開け放っているというのに、涼しい風などさっぱり入ってこない。よく言えば伝統のある、しかし単純に古めかしいだけの体育館は、立地のせいか、通気があまりよろしくなかった。
昼休憩もそろそろ終わろうとしているのに、体育館内の劣悪な環境に、バスケ部員達は、午前の練習メニューだけで、ぐったりと床にへたり込んでいた。慣れてしまえば、このくらいの室温はいつものことなのだが、いかんせん、急な暑さに、まだ身体が付いていっていないのだろう。
そんな中、ダン、ダン、と規則的にボールのバウンドする音が響く。暑気あたりで、誰も練習を再開する気力もない空気の中、一人だけ、黙々とシュート練習をこなしているのは、言わずもがな、秀徳高校バスケ部エースの緑間真太郎である。
滴り落ちる汗もそのままに、緑間は空いているコートの半面を利用して、悠然とシュート練習に励んでいた。
「あちーのに、真ちゃんタフだね~」
ボール籠の横で、緑間にぽいとパスを出していた高尾が、呆れ気味に声を漏らした。高尾とて緑間に負けない努力家であるのだが、体力的に些か劣っているせいもあるのか、流石にこの暑さには辟易しているようだった。
「何を言っているのだよ。これからもっと暑くなるというのに、この程度でへばってなどいられんだろう」
「まぁな。でもよー、倒れられちゃ困るし、ちゃんと水分補給はしておけよ? 昼飯食ってから、ずっとシュート練しっぱなしじゃん、お前」
苦笑しつつ、高尾はボールの代わりに、足元においておいたスポーツドリンクのペットボトルを緑間に放った。
緑間は危なげなくそれを受け取ると、ペットボトルと高尾の顔を見比べて、むと唇を引き結ぶ。コート内での飲食は、ご法度だ。軽く肩を竦めてから、緑間は籠にかけておいたタオルを取った。午後の練習用に新しくしたタオルは、ほのかに柔軟剤の良い匂いがして、ほっと力が抜けていく。汗を拭きつつ、緑間はコート外へと足を向けた。
高尾は、へらへらと笑いながら、後を追いかけてくる。
掌で転がされるような感覚が、無性に癇に障った。緑間は、無言でキャップを開き、ペットボトルを傾けると、こくりと喉に流し込む。温い。だが、体内に水分が広がり、潤っていくような感覚になる。思ったよりも、身体は水分を欲していたのだろう。
遠慮なく、残っていた中身の半分を飲み干してやってから、ふぅと息を吐いた。すると、高尾があー!と大声を上げた。
「ちょっ、真ちゃん! 全部飲むなよ。オレのだぞ、それ!?」
「煩い。ガタガタ言うんじゃないのだよ、お前が寄越したんだろう」
「横暴!!」
ぎゃーぎゃーと、どうしようもない口論が始まる。またか、元気だなあと、部員一同は、秀徳高校エースとその相棒による、いつもながらのじゃれあいを、半笑い気味に眺めていた。
「おやおや。随分と酷い惨状だね」
と、入り口から飄々とした声がかかる。パタパタと扇子で喉元を扇ぎながら、職員室から中谷が戻ってきたのだった。
だらけた雰囲気になっている体育館内を、一通り眺めて、中谷はぱちんと扇子を閉じる。そして、背後にいる人物に、悪戯っぽく笑いかけた。
「これは、外周十周追加かな、大坪」
「ははっ。急に暑くなったから、仕方ないですよ、監督」
「てめーら、気ィ抜けすぎじゃねーか、轢くぞ!」
「差し入れに、うちの果物持ってきたから、シャキッとしろや!」
中谷の背後から、それぞれ檄が飛ぶ。聞き覚えのある声に、びくっと反応した部員たちが、慌てて背筋を伸ばして立ち上がった。
中谷の背後に立っていたのは、三月に秀徳を卒業したばかりの、元スタメン三人だった。
「大坪サン! 木村サン! 宮地サン!」
見知った三人の顔に、高尾がぱっと顔を明るくした。いの一番に、ダッシュしてばたばたと入り口へと駆け寄っていく。まるで、尻尾を振って、主人を迎える犬のようだと、高尾の背中を見送りながら、緑間はぼんやりと考えた。
「お久しぶりでっす!」
「おー高尾! 元気だったか」
「はい! ……って、ちょお! 頭! 頭!! やめてくださいって!」
わしゃわしゃと、木村、宮地にもみくちゃにされながらも、高尾は喜色満面の笑顔を見せる。
後から高尾に追いついた緑間も、世話になり、密かに懐いていた先輩たちの来訪に、ゆっくりと頭を下げた。
「お久しぶりです、大坪先輩」
「おう。緑間。お前も相変わらずそうだな」
「おかげさまで」
緑間の掌の上に鎮座する、今日の蟹座のラッキーアイテムである目覚まし時計を見て、大坪が快活に笑った。
「どうだ? お前から見て、チームの調子は」
「……今はバテっていますが……悪くはないですね」
「そうか。緑間が素直にそう言うだなんて、仕上がりは上々のようだな」
「……フン。そのくらい、きちんと出来てもらわなくては困ります」
緑間は、虚を衝かれたように目を見開くと、微かに頬を朱に染めて、ぷいとそっぽを向く。眼鏡のブリッジに手を当てて、しきりにかちゃかちゃと押し上げているのは、照れている様子を見られたくないためか。憎まれ口を叩くのも、羞恥の裏返しである。
一年という短い期間ではあったが、共にチームメイトとして戦った仲だ。手を焼かされたことも、衝突したことも、山ほどあったとはいえ、少しずつ角を落とし、本当の意味でのチームメイトとして成長していった緑間は、大坪にとって可愛い後輩の一人である。
大坪が手を伸ばして、頭をくしゃりと撫でてやれば、緑間は困ったようにその場に固まった。
「なっ……! やめてください、大坪先輩!」
「お。何だ、恥ずかしいのか? 緑間」
大坪が緑間を構っていると、高尾とじゃれていた木村と宮地が、茶々を入れて絡んでくる。
「おいおい、可愛げのある緑間とか、気持ち悪ィだけだな、埋めんぞ」
「何言ってるんすか! 真ちゃんは、いつだって可愛いっすよ!」
「歪みなさすぎだろ、高尾……」
そんな風に、楽しげに戯れる緑間・高尾と、元スタメンの様子に、部員達も、我も我もとこぞって集まってくる。元スタメンの三人は、特に人望も厚かったから、沢山の後輩に囲まれて、嬉しそうだった。
「ところで! 今日は一体どうされたんですか」
大坪のかいぐり攻撃から、ほうほうの体で逃れた緑間が、息を乱れさせつつ、小首を傾げて尋ねた。
「おう。久しぶりに、お前らの様子でも見に行くかー、ってことになってな」
「そうそう。ついでに、オレらも一緒に練習に混ざらせてもらおうぜって話になって、遊びにきたんだよ」
「本当っすか!」
木村が、手に持ったバッシュを掲げて見せれば、やりぃ!と高尾がガッツポーズを取った。
「……しっかし、これじゃあなぁ」
体育館の蒸し暑い現状と、部員達のモチベーションの低下に、げんなりした宮地が眉を顰めた。
「なら、午後練の前に、ちょっと気分転換でもするかい?」
部員たちの様子を端で見守っていた中谷が、不意に打診してくる。部員全員の視線が、一気に中谷へと集まった。みな、一様に同じことを考えているのだろう。部員の疑問を代表して、大坪が口を開く。
「気分転換、ですか?」
「例えば……そうだねえ、缶蹴りとか?」
「何でそこで缶蹴りなんすか、監督!?」
懐かしい遊びの名前に、吹き出すのをかろうじて堪えながら、すかさず高尾のツッコミが入った。
「ドロケイみたいな鬼ごっこだと、今の状況では、もっと疲れちゃうだろう? ここのところ、ずっと練習漬けだったし、ちょっとした息抜きだよ。まあバスケ以外で、手早くみんなで遊べそうなものなら、何でもいいけど」
「やっべ、缶蹴りとかすんの、小学生以来っすよ。面白そうっすね。オレ賛成! やりたいでっす!」
高尾が、はいはいと勢い良く手を上げる。他の部員たちも、茹り切った地獄のような体育館よりは、風が通る外のほうが、まだマシという気持ちがあるのだろう。部内は、すっかり缶蹴りムードになっていた。
「では缶蹴りをするとして、鬼はどうするんですか?」
「そうだねえ……」
大坪の問いかけに、中谷がぐるりと視線を巡らせると、偶々緑間と目が合った。これも一つの思し召しだろう。にこりと、中谷が愉快そうに唇を歪める。
「じゃあ緑間かな」
「はぁ!? 何故オレなんですか!?」
「気分?」
「監督!!」
中谷の適当さに、緑間がいきり立った。
「大体、オレは参加するなどとは、一言も言ってないのだよ」
「ばっか、お前は強制参加に決まってんだろ。体力有り余ってんだから」
宮地から、逃がさないとばかりに肩を組まれ、どつかれ圧力を受ける。体育会系の縦社会は、緑間といえども、ある程度は有効に働く。特に、元スタメンの三人には弱い緑間はむっと押し黙った。
「では、我儘……」
はーと嘆息した緑間が、切り札を切る。しかし、それは高尾によって、あっけなく阻止された。
「真ちゃん、今日はもう、我儘全部使いきったっしょ」
「何っ……!?」
午前中に、暑さのせいで、緑間が我儘を連発していたのが、ここにきて仇となった。既に三回使い切っていたのかと、緑間は歯噛みする。
そんな緑間に、高尾はにやあと意地の悪い微笑を浮かべて、口元に手を当てた。
「あれー? 真ちゃんてば、缶蹴りの鬼やるの、自信なかったりする?」
「馬鹿な! 缶蹴りの鬼だとて、オレは人事をきっちり尽くすのだよ!」
「んじゃ、真ちゃんが鬼で決まりね」
憤然と鼻を鳴らす緑間を、さらりと掌で転がして、言質をとる高尾の手腕は見事である。伊達に、長らくこの我儘で負けず嫌いな人間の相棒をやっていない。おーと周囲で拍手が起きた。
「監督、単に缶蹴りするだけじゃ面白くねーっすよ。どうせなら、罰ゲーム入れましょう」
「いいけど、程ほどにしておくんだよ」
宮地が率先して悪ノリをすると、高尾がそれに乗っかって合いの手を入れた。
「あ、ならこういうルールとか、どうっすかね?」
にやり、と不敵な笑みを見せた高尾の提案はこうだった。
1.制限時間は一時間。鬼が缶を蹴られたら終了の一回勝負。一時間経過して、缶をキープできた場合、鬼側の勝ち。
2.鬼は、アタッカーをきちんと視界に入れ、フルネームを呼んで、缶を踏むと捕まえることができる。
3.鬼は、缶を蹴られたら、残人数分の我儘を聞くのが罰ゲーム。
「高尾ぉぉお!!!」
高尾の発言に、緑間が非難の声を上げるが、逆にバスケ部全員はわっと沸き立った。
普段、我儘を言っている緑間に、我儘返しができるのである。こんな機会、この先あるかどうかわからない。にわかに、皆の士気が上がっていく。
「こりゃいいや。監督! オレらも参加していいっすか。大坪、木村、折角だし一緒に遊ぼうぜ」
ははっと笑って腹を抱えた宮地が、揚々と参戦を申し出る。大坪、木村も、かつて緑間の我儘に、苦い思いをさせられた身として、美味しすぎる罰ゲームに賛同し、中谷もあっさり頷いて許可を出した。
周囲が沸き立つ反面、緑間がたまったもんじゃないと、泡を食った。
「これでは、あまりにもオレが不利なのだよ! しかも何ですか、このルールは!」
横暴なのだよと噛み付く緑間に、お前が言うなと部員総出で唱和した。
とはいえ、いくらなんでも、一人で一時間、缶をキープし続けるというのは難しい。ただでさえ、アタッカーの人数が多いのだ。ずっと動かずに、缶をキープしているのも手だろうが、もし多人数で一気に特攻でもされた場合、数の暴力には敵わない。緑間の分が、悪すぎた。
猛然と抗議をすると、中谷も緑間の言い分は最もだと認めたのか、閉じた扇子をぴっと立てた。
「そうだねえ、これだと緑間側のメリットも、アタッカー側への罰ゲームもないよね。うーん……なら、鬼に捕まった部員への罰ゲームは、外周五周に、緑間へお汁粉を一つ進呈するっていうのはどうかな?」
「是非やりましょう」
「真ちゃん決断早っ!!」
「お前たちを全員駆逐して、お汁粉タワーを作ってやるのだよ」
「お汁粉wwwタワーwwwwパネェwww」
中谷の提示に、げんなりと顔を引きつらせた部員を他所に、お汁粉に釣られた緑間が、きりりと真顔で瞳を輝かせた。お汁粉一つで、あっさりと条件を飲む緑間がチョロいのか、むしろ、緑間のやる気をそこまで上げることのできるお汁粉が凄いのか。真相は定かではない。ただ一つ、わかっているのは、高尾の腹筋のライフが、瞬間的にゼロになったということだけだった。
「あと、ちょっとアタッカー側の人数が多すぎるから、緑間はもう一人鬼を選んでいいよ。鬼は二人ね」
参加するであろう人数と、鬼のバランスが悪いことを考慮して、中谷が付け加える。
「なら高尾、お前も鬼になるのだよ」
さも当然の如く、緑間はびしっと指をつきつけて、高尾を指名した。道連れにする気満々なのだろう。
誰もが、高尾は是と応えるものだと思っていた。しかし、珍しいことに、高尾が緑間に対して反抗を見せたのである。
「えー、イヤでーっす。オレだって、たまには真ちゃんに我儘聞いてもらいたいし?」
「……よもやそれが狙いか」
「ふはっ。こんな千載一遇のチャンス、逃してたまるかよ! ぜってー勝つかんな!」
笑いを収めた高尾の瞳が、きらりときらめく。口元は笑っているものの、高尾は本気だ。
エースと相棒が、視線を絡ませて、バチバチと火花を散らせる。しかし高尾は、不敵に緑間を見据えたまま、揺るがない。
緑間は、柳眉を顰めて逡巡した。
鬼としてコンビを組むにしても、やはり高尾が一番適格だ。コンビネーションが取りやすいし、アイコンタクトでの意志の疎通を行い易い。もし、高尾の代わりに、誰かを鬼に据えたとしても、高尾以上にこきつかえ……もとい、息の合う人はいないだろう。いくら遊びとはいえ、内容的に負けられない勝負なのである。
背に腹は変えられない。脳裏にイメージしていた、ゆらゆらバランスを取って揺れる天秤が、片方へと傾いたのを見て、緑間ははぁと一つため息をついた。
「……仕方ない。高尾」
「あん?」
「オレが勝ったら、お前の我儘を一つ聞いてやるのだよ。それにプラスして、明日の休みに一緒に出かけたがっていただろう? 出掛けてやるのだよ」
緑間が出してきた条件に、高尾がぽかんと口を開けた。まさかの緑間の譲歩である。
「……えっ、マジ!?」
「マジなのだよ」
「じゃあオレ鬼になる!!」
「最初っから、そう言っておけばいいのだよ。全く、手間のかかる……」
「おい、高尾おおおぉぉぉおおおおお!!!!!」
間髪入れずに、緑間サイドへ寝返った高尾に対し、バスケ部全員から盛大なブーイングが飛んだ。
しかし高尾は、部員からの顰蹙にも悪びれもせず、にかっと笑った。
「ははっ、悪ィな! オレのエース様のお願いだもん、断れるわけないじゃん!? 真ちゃんが我儘聞いてくれる上に、デートだよ!? デート!!」
「デートなどではないのだよ。バカかお前は……」
緑間は呆れた風にため息を吐いて、即座に否定するが、高尾の耳には、緑間の言葉は全く入っていないようだ。俄然やる気が沸いてまいりましたとばかりに、指を鳴らして、気合を入れている。時折、デレデレと表情を崩して、妄想に励んでいるようなので、もう勝った気でいる辺りが恐ろしい。引き気味のバスケ部員一同が、緑間の貞操の心配をしたのは、言うまでもない。
「お前ら、いい加減イチャイチャと気持ち悪いんだよ、このホモどもめ。そういうのは、他所でやれ他所で」
ついには、ごん、と高尾の頭に宮地の拳骨が下った。宮地が、バスケ部一同の心の中を代弁してくれた上に、制裁までしてくれた。頼もしいばかりだ。現主将が、先輩戻って来て下さい!と、うっかり泣き言を漏らしたのは、ここだけの話である。
「いってぇ! 宮地サンひでーっすよ!」
「ったく、自業自得だっつーの。あと、高尾! お前、鷹の目使うの禁止な」
「ええー!」
頼みの綱であった鷹の目を禁止され、高尾が唇を尖らせると、宮地は笑顔を浮かべたまま青筋を立てた。手を掲げて、木村にアピールを投げる。
「アホか、缶蹴りじゃチートすぎんだろーが。木村ァ! パイナップル!」
「パイナップル、さっき差し入れ用にカットしちまったからねーだろ」
「ギャッハハハ」
――こんな騒々しい流れから、秀徳高校バスケ部対抗缶蹴り大会は、幕を開けようとしていたのである。
* * * * *
「それにしても、随分参加すんのな」
「全くなのだよ」
突如決まった缶蹴りの参加人数は、凡そ三十名弱。暑さにやられて体調を崩したり、怪我で大事を取った者、また気後れした一年生の一部を除いた部員が、全員参加である。よっぽど緑間に我儘を聞かせたいのか、単に面白がっているだけなのか。複雑な気持ちのまま、緑間はこめかみを押さえた。
「よーし、できたっと」
ざりざりと、高尾が足で土に円を描き終わり、ジャージの裾についた砂埃を払った。円は、大体直径で三メートルほどだ。この円の外に缶を蹴りだされたら、鬼の負け、という寸法である。
缶蹴りを行う場所は、体育館横にある裏庭になった。校庭だと、缶をアタックするには視野が広すぎるし、他の部活動の迷惑にもなる。その点、裏庭は、ほど良く広く開けており、茂みや建物の影になる部分があって、鬼にもアタッカーにも、バランスが取れた場所であった。
追加ルールとして、作戦の伝達が容易でつまらなくなるため、携帯電話の使用が禁止された。また、捜索にキリがないので、本校舎内への潜伏もNGとなった。利用できる建物は、体育館、その向かいの北校舎、体育館と北校舎を繋げる渡り廊下、そして部室棟である。加えて、校庭、裏庭などを合わせた外全てが、今回の缶蹴りの範囲として設定された。
缶蹴りをするに当たり、バスケ部員があちこちをちょこまかするので、本日校庭を利用している野球部と陸上部へ、現主将の富士が、予め説明をしに行った。すると、「また面白そうなことをやるな。つーかバスケ部、バスケしろよ」と、笑われたのは余談である。こういった突発的なことを厚意的に受け入れてくれるのは、どれもこれも緑間のラッキーアイテム関連で、多かれ少なかれバスケ部がやらかすことに、秀徳高校全体が慣れてしまったせいだ。おは朝と緑間は、かくも罪深い。
「そういや真ちゃん、昼にお汁粉飲んでたろ? 缶、まだ捨ててなかったよな。丁度いいから、アレ使おうぜ」
お汁粉缶は、スチールで出来ているから強度がある。サイズも程よいので、缶けりにうってつけだった。
「待て、高尾」
高尾が、体育館に放置されているお汁粉缶の空き缶を取りに行こうとすると、がっと力強く、緑間に肩を掴まれた。
振り返った高尾が見たのは、眉間に深く皺を刻み、不機嫌を顕にして、酷く威圧的に睥睨してくる緑間の姿だった。これ以上もなく怒っているのが、ひしひしと伝わってくる。
ぶわっと背中に冷や汗が伝い、高尾の表情から、血の気が引いた。
「え、何? どったの? 真ちゃん……恐い……」
「お前は、お汁粉缶を蹴ろうというのか?」
「は!?」
真剣な緑間から飛び出した言葉が、あまりにも残念な内容だったので、高尾は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「お前は、神聖なお汁粉缶を、足で蹴ろうというのかと聞いているのだよ」
緑間は、そんな高尾の唖然とした様子などお構いなしに、真顔で反芻した。
あっ、これは、逆らってはいけないヤツだ。高尾のハイスペックセンサーが、まずいと警鐘を鳴らす。
「……ああ、うん、ごめんな。そうだよな。お汁粉缶はいけないよな。缶は、別のにしよっか」
「うむ。わかったならいいのだよ」
こくこくこくと何度も首を振ると、緑間はフンと鼻を鳴らして高尾を解放してくれた。
(でも結局ゴミ箱に捨てるのになー……)
最終的にゴミになるのなら、捨てる前に缶蹴りで利用しても構わないと高尾は思うのだが、緑間にとっては、そうではないらしい。寧ろ、そんなに神聖なお汁粉缶を、ゴミ箱に捨ててしまうのはいいのかとか、缶がぼこぼこにされるのが緑間的にアウトなのかとか、疑問がふつふつと沸いて来る。よもや緑間が、そこまでお汁粉を神聖視しているとは思わなかったので、次第にツボに入ってきた高尾の腹筋は、ブルブルと震えてきた。
緑間の中の独自ルールはやはりよくわからないけれども、それが緑間たる所以なのだから仕方がない。
高尾はこみ上げてくる笑いを堪えながら、一年生に頼んでゴミ箱から手頃な缶を回収してきてもらい、円の中央に突き刺すかの如く立てた。
「準備できました! ……あーっと、ちょっとタンマ!」
「何だよ高尾!」
「すんません! 忘れ物思い出したんで、取ってきます」
高尾は、慌てて部室へ踵を返すと、すぐに筆記用具を手に戻ってきた。中谷にそれを託すと、ひそひそと会話を交わす。高尾の言葉に目を細めた中谷は、こくりと頷いた。高尾が頭を下げ、再び緑間の隣へと立ち、部員たちにも待たせたことを詫びた。
「じゃあ、そろそろ始めようかね。制限時間は、一時間。それから、熱中症にならないよう、各自注意すること。無理はしないこと。いいかな?」
中谷の言葉に、参加者が各々手にしたペットボトルを掲げ、こくりと首肯した。腕時計を見る。時刻は、十三時半。
「十四時半で試合終了だ。では、ティップオフ」
バスケ部らしい中谷のコールで、缶蹴りが開始される。現主将ということで、富士が缶を遠慮なく蹴り上げた。弾道と化した缶は、渡り廊下を通り抜け、飛距離を伸ばして、校庭の隅へと転がった。随分遠くに飛ばされたものである。
缶を蹴られたと同時に、高尾が走り出し、蹴る側の面子が、一斉に散開した。緑間だけが、ぽつんとその場に仁王立ちだ。
回収した缶を手に持ち、高尾が全力疾走で戻ると、再び円の中心に缶を設置した。二人は、互いに円の線上に陣取る。そして目を閉じ、緑間がカウントを開始した。
「一、二、三……」
今回のカウントは五十まで。緑間は朗々と、数を数え上げていく。
二人は、背中合わせのフォーメーションを取っていた。というのも、鷹の目による補正が使えないので、四方、特に背後からなだれ込まれるのを防ぐためだ。
缶蹴りにもいくつかパターンがあって、まず最初にアタックされやすいのは、スタート直後である。
「……四十八、四十九……五十!」
双眸をぱっと開く。高尾は、開始ざまの特攻を警戒して、周囲を油断なく見回した。
緩やかに凪いだ生温い風が、二人の間を通り抜けていく。野球部の掛け声と、バットにボールが当たる音が、遠くから響いてきた。
一分経過。
しかし、アタッカーが襲撃してくる気配はない。
「……特攻は、なし、か?」
些か拍子抜けして、緑間と高尾が気を抜きかけたその時だった。
体育館の建物脇から、体育館の中から、渡り廊下の影から、合計四人が、それぞれ同時に飛び出してきた。携帯で示し合わせたわけでもないのに、タイミングがピッタリな辺り、抜かりがない。
「なーんてな!」
けれども、高尾が警戒を緩めたのは、見せかけだけだったようで、すぐさまにやりと口角を上げた。慌てふためくこともなく、順にアタッカーを視界に収め、名を叫んで、缶を踏みつけていく。綺麗に四人を片付けて、高尾はどうよとばかりに胸を張った。
早々に捕まってしまった同級生たちは、くっそーと心底悔しげに退場していく。彼らは、これから自動販売機でお汁粉を購入して、早速外周だ。
「四人か」
「予想より少なくて助かったね、真ちゃん」
最初に特攻をかけるには、戦略を練るための、事前相談時間が少ないこともあったからだろう。割かれた人数は少なかったが、予想以上に至近距離からの襲撃だったため、あと二人来ていたらまずかったと、緑間はほっと胸を撫で下ろした。
「体育館内からの襲撃が、思ったよりも早かったのだよ」
「ほらー、言った通りだろ? 体育館は、一番近いし隠れ易い場所だから、開始直後の襲撃には、うってつけなんだよね。絶対またくるよ。真ちゃんも気をつけてね」
「お前もな」
「それにしても……名前まで言わなくちゃなんないのが、結構なロスなんだよな。誰だよ、そんなこと言ったの!」
「お前なのだよ、馬鹿め」
ぺちんと高尾の額を一撃をくれると、高尾は、たははと額を押さえた。
「だってー。あの時は、真ちゃんに勝ちに行く気だったからさ」
「やり方がセコいのだよ」
少しでもコールの時間を引き延ばして、緑間の不利を誘おうとしていた辺りが狡賢い。結局、その面倒臭さは自分達に返ってきてしまったわけだが。
「んじゃ、まあ、狩りに行きますかね」
「とっとと捕まえて、練習を再開するのだよ」
二人はこつんと拳を合わせて、視線を交わす。互いの瞳の奥に孕まれているのは、絶対の信頼だ。
「厳しいねぇ! 真ちゃんこそ、オレが出てる間に、缶蹴られるんじゃねーぞ」
「誰に向かって言っているのだよ」
「ギャッハ! 頼もしい限りだよ!」
高尾が笑いながら、くんと一度背中を伸ばし、屈伸を二、三回行い、膝に手を当て腰を落とす。にぃと猛禽のように瞳を細めて、猛然と駆け出した。その姿は、まさしく狩りを始めた『鷹』の姿であった。
* * * * *
飛び出していった高尾の活躍は、めまぐるしかった。
まずは北校舎から、潜伏しているアタッカーを総ざらいしていく。鷹の目を稼動させていないというのに、身を潜めて、機会を窺っていたアタッカーを次々と発見し、緑間の待つ円陣へと戻っては、缶を踏みつけた。
校舎内に潜伏している場合、見つかってしまうと、後は鬼とアタッカーの追いかけっこになる。高尾はバスケ部でも、かなり俊敏な部類に入るので、よっぽどのことがない限り、先んじられることもない。
それを繰り返して、北校舎、部室棟に潜んでいた部員を、十人程捕獲しただろうか。これで、既に半分以上を捕まえた計算になる。
高尾が無双している間に、緑間がやっていたことといえば、腕を組み、不遜な態度でその場に仁王立ちしていただけである。鬼が一人、しかも厄介な高尾が忙しなく動き出したことで、アタッカー側も様子を見たのだろう。その間、缶に対する襲撃はなかった。
捕まって、外周に入った先輩たちが、立ち尽くしている緑間の様子に「緑間、働け!」と、野次を飛ばしたのは言うまでもない。
「……暇なのだよ」
じりじりと焼け付くような太陽の元、袖口で汗を拭いながら、緑間がため息を漏らした。
高尾が「んじゃちょっと流してくんね~」と、意気揚々と、再びアタッカーを狩りに出てしまったため、緑間は一人で円陣を防衛している。現在、開始から三十分が経過。高尾によって、部員の半分以上が、既に外周を走っている。
きょろきょろと周囲を警戒するが、今のところ初回の襲撃以来、円陣は平和なものだった。
これも高尾の奔走のおかげだ。あの相棒は、エースの手を一切煩わせないつもりなのだろうか。何というか、つくづく敵に回すと厄介だが、仲間だと頼もしい男である。
――と、その時だった。
ばっと、体育館内から部員が飛び出してきたのだ。しかも、一斉に三人。
緑間は、アタッカーを視界に入れて、冷静に缶をキープする。
「ははは! 緑間は、オレたちの名前まで、ちゃんと覚えてねーだろ! もらった!」
未だレギュラーになれず、ベンチにいる先輩は、そんな切ない言葉を吐きながら、全力疾走でこちらへと向かってくる。
緑間は、む、と不愉快げに眉根を顰めた。
「天城満先輩、見つけました。霧島大輔先輩、見つけました。空木裕一郎先輩、見つけました」
ガンガンガンと、名前と共に三回。まるで八つ当たりのように缶を踏みつける。
走るスピードが、徐々に弱まっていく。缶までたどり着けずに、ゲームオーバーとなった先輩達は、立ち止まって、何故とばかりに不思議そうな表情で緑間を凝視した。
悠然と缶から足を外して、緑間は、ゆるりと頭を振った。
「あれだけ人事を尽くしている先輩方のことを、どうしてオレが覚えていないと思っているんですか」
酷い侮辱なのだよ、と緑間は憤然としている。
「緑間……」
三年間、レギュラーの座をつかめていないとはいえ、それでも腐らず、真面目にずっと部活を続けている人たちだ。レギュラーになれないことに挫折して、部活を辞めてしまった者など山ほどいる。それでも、諦めずにずっと部活を続け、試合の応援をし、率先して後輩の指導を行い、密かに練習もしている先輩の努力を、緑間だけでなく、部員全員がちゃんと知っている。
「早く、罰ゲームを済ませてきてください。そして、練習を再開しましょう」
緑間は、フンと鼻を鳴らして、かちゃりと眼鏡のブリッジを押し上げる。照れ隠しなのだろう。
和んだ雰囲気に場が支配された矢先に、緑間の丁度背後、北校舎一階にある家庭科室の窓が、がらっと勢い良く開いた。突如、後ろから聞こえた音に、緑間がびくっと身体を震わせる。三人の襲撃をかわしたことで、些か油断していたこともあり、不本意ながら、緑間はそれに気づくのが遅れた。とっさに反応できず、不意を付かれる形となってしまった。
緑間が振り返った時には、既に窓枠を乗り越えて、アタッカーが単独で飛び出してきていた。――相手は現主将、富士だ。
大坪から、主将を引き継いだ男だ。いい判断力を持っている。虎視眈々と、緑間が気を抜く瞬間を狙っていたのだろう。緑間にとって、最悪のタイミングで、仕掛けられた。
「折角のいいところ、邪魔しちまって悪ィな!」
「くっ……!」
にっと、口角を上げる富士に、緑間は缶を乱暴に踏みつけ、力の限り死守する。
「富士浩太主将! 見つけたのだよ!!」
――緑間の叫びと、富士が缶を蹴るのは、ほぼ同時だった。
ガンッ!と、鈍い音が響く。ビリビリと、缶から、緑間の脚に衝撃が伝わった。
富士の蹴った勢いに押し負けて、緑間の足からはじき出された缶は、転々とバウンドし、円陣の外で止まった。
しん、と裏庭が静まり返る。判定はどっちだ。息を呑む。汗が、たらりと緑間のこめかみを伝った。
「セーフ、だねぇ」
判定をしていた中谷の声で、その場にいた者たちが、はっとなって彼を見た。
「緑間のコールの方が、僅かに早かった」
「くっそー!! いけると思ったんだがな!」
富士は、滅茶苦茶悔しそうにがばっとその場にしゃがみこんだ。逆に、緑間は胸を撫で下ろして、ふーと深く息をついた。心音が、どっどっと高鳴っているのがわかる。
危なかった。ここで蹴られていたら、高尾に何と言われるか、わかったもんじゃない。
緑間は、円の外に出てしまった缶を拾い上げ、再び中央に戻す。缶は、先ほどの衝撃で、べこんと凹みが出来ていた。ぐっと手で押し出し、歪つながらに形を整えてやる。
「おい、緑間! 足は大丈夫だったか?」
「はい。……先輩こそお怪我は?」
「平気平気。ちっくしょー、出し抜けたと思ったんだがなー。お前、瞬発力良すぎだろ」
「いえ、さすが主将です。冷や汗をかきました」
富士が、ばしばしっと勢い良く緑間の背中を叩いてくる。そして、にかっと気持ちよく破顔するので、毒気を抜かれた緑間も、つられるように唇を緩めて、笑みを返した。
「さーて、捕まったオレらは、さっくり外周いくか」
「うげー、散々高尾から逃げるために走ったのに、まだ走んのかー」
「お汁粉も買ってこなくちゃだな」
「今日の自販機、お汁粉売れすぎだろ」
四人はそれぞれ、緑間の肩をぽんと叩くと、談笑しながら外周へと向かっていった。
* * * * *
間一髪、緑間が缶を死守した後、帰ってきた高尾に缶の凹みを指摘され、事情を説明する。心配したのか、暫く高尾も自陣の守備をしていたのだが、終了時間が差し迫ってくると、積極的に攻撃に出ては、捕獲していった。緑間も、痺れを切らして仕掛けてくるアタッカーから、難なく缶を守り抜いた。
だが、人数が少なくなれば、当然アタッカーも見つかりづらくなる。
残り十分。
アタッカーは、あと三人。けれども、最も面倒な三人が残ってしまった。一癖も二癖もある、元レギュラーの面々である。
「どこにいんだよ、先輩達~」
高尾が、あちこち隈なく探し回ったというのに、一向に大坪、木村、宮地の姿は見つからない。ガタイも良く、タッパもあり、目立つ三人だというのに、どこに雲隠れしてしまったのか。
「時間も、もうないな」
緑間も、表情に焦りを滲ませている。おとがいに指を当て、どうしたものかと思案しているようだった。
缶を囲んで、ごにょごにょと声を潜め、この先の作戦を相談する。
「まさか、時間切れを狙っているのか?」
「いや、先輩らがそんなことすると思うか? あの人たちだぜ?」
「……思わないのだよ。寧ろ、攻めてこないことの方がおかしい」
「だよなー。じゃあ逆に、おびき出すしかないかー」
「そのようだな。まあ、あの人たちのことだから、乗ってくれるだろうが」
「だといいけどねぇ」
そのまま頭をつき合わせて、緑間と高尾は検討を続ける。五分五分の作戦ではあるが、負けるつもりはない。もし負けたとしても、動かないで負けるくらいなら、動いて負けたほうがよっぽどいい。
「よっし。じゃあ頼んだぜ、真ちゃん。恨みっこなしだ」
「ああ」
パンと自然にハイタッチをかわして、高尾は緑間に背を向けた。裏庭を走り抜けて、体育館裏へと折れる。そのままぐるっと一周して、渡り廊下と繋がる体育館入り口とは、対角にある入り口を目指す。
一分で済ませろ、とは緑間の言だ。
高尾は開け放たれている目的の扉にたどり着くと、脱いだ靴を小脇に抱えて、体育館内に侵入した。なるべく音を立てないように、それでいて急いで横断していく高尾を、外周を終わらせ、3ON3に興じていた部員たちが、何事だと目を瞬かせた。
高尾はその視線に構うことなく、渡り廊下側にある三つの扉のうち、中央の開け放たれた扉脇に、びたりと身体を押し付けた。マットが敷いてあるので、後で掃除するからと言い訳をし、靴を履き直す。
先ほど、高尾が行った最後の巡回で、裏庭の両側にある体育館内と北校舎に、先輩達が潜んでいないことはわかっていた。建物内部は、見落としの可能性や、巡回後に隠れられる可能性もあるので、完全に大丈夫だとは言えないが、そこは博打である。そのため、高尾は体育館への潜伏を選択した。一番近くて襲撃しやすい場所ということは、鬼が罠を仕掛けた時に、円陣へ戻るのにも、一番近い場所ということでもある。
これらの消去法から、先輩達が来るなら、校庭か裏庭からのどこかからと予想を立てた。
高尾は、体育館の時計を見上げる。あと四分。あの人たちが仕掛けてくるなら今だ。
囮役の緑間は、時間を気にした様子を見せると、何かに気づいたようにはっと顔を上げた。裏庭側へ、じっと厳しい視線を向けている。
(ということは、襲撃は校庭側か……)
高尾はそう予測して、来るべき攻撃にいつでも対処できるよう、身構えた。
緑間が、一旦周囲を見回す。演技派だなあと高尾は苦笑しながら、すっと瞳を細め、腰を落とした。
焦りにかられた緑間が、先輩達の陽動にかかった振りをして、裏庭側へと動いた。
――来る。
息をつめて、渡り廊下を注視する。校庭側からくるのであれば、渡り廊下を過ぎるはずだからだ。
しかし、高尾は、全く予想もしていなかった信じられない展開に、思わず目を剥いた。
高尾の推測は、半分当たりで、けれども半分外れていた。
アタッカーは、確かに校庭側から来た。――宮地が、渡り廊下の屋根の上から、Tシャツをはためかせて、ぶわっと落ちてきたのだ。
渡り廊下の屋根は、中二階程度の位置で、飛び降りられない高さではない。隣接する北校舎の踊り場の窓を伝って、屋根に上ったのだろう。校庭から素直に襲撃をかけるよりも、缶への距離が近いので、上手くいけば時間の短縮になる。何より、まさかこんなところから出てくるとは、誰も考えないだろうから、襲撃のインパクトが段違いだ。完全に盲点である。
宮地は、どさっと大きな音を立てて、地面に降り立った。着地の瞬間、ややバランスを崩したのだが、無理やり立て直して、疾走してきた。
驚いている場合ではない。我に返って、高尾も慌てふためきながらも、体育館内から飛び出す。
「ちょおお!?!? アンタどっから出てきてんですか!!!」
「うっせぇ! もらった!!」
「させっかよ!!」
缶への距離は、僅かに高尾の方に利があった。
がっと缶を踏みつけて、かろうじてキープする。しかし、名前を呼ぶほどの時間的余裕は、もうなかった。
すぐ目の前には、足を蹴り上げ、シュート体勢に入った宮地がいた。
「くっ……」
缶を守らないと。そう思ったら、身体は勝手に動いていた。
高尾は踏んでいた缶の両サイドに足を滑らせると、缶を両足でぐっと挟み込む。円陣は凡そ半径一・五メートル。それを頭に叩き込み、腕を大きく振りかぶって、斜め後方の中空へと、まさしく跳んだ。
「なっ……!」
宮地の右脚が、見事に空を切る。
高尾は、缶をホールドしたまま、膝を入れて、手を地面へとつけると、ぐっと倒立の形を取る。本来なら、回転の勢いを利用して回るのがバク転だが、高尾はそのまま勢いを殺して、ぐっと腰を折り、膝を抱えた。身体を内側に持って受身を取るように、バク転をこなすと、円陣の線の、僅か内側目掛けて、叩きつけるようにして缶を立てた。高尾本人は、無茶な体勢で回ったせいで、着地を崩し、尻から地面に落ちる。が、座り込んだ状態のまま、目の前にある缶に足を伸ばした。
「宮地清志サン、見っけ!」
缶を死守できたことに、にへっと高尾は笑った。
「大坪泰介先輩、見つけました。木村信介先輩、見つけました」
走って引き返してきた緑間が、高尾が立てた缶を二回踏んだ後、へたり込んでいる高尾の頭を容赦なく、がんと殴りつけた。
「お前は馬鹿か! 高尾!」
「いってぇ!」
高尾が頭を押さえて悶えていれば、すかさず第二陣が訪れた。
「こればっかりは、緑間に賛同だ。このバカ! 怪我したらどうすんだ! 殴んぞ!」
「ぎゃー! 殴ってから言わないでください、宮地さん!!」
ぎゃいぎゃい騒いでいると、ジリリリリリリリリリリリリリリ!と、緑間の携帯していたラッキーアイテムの目覚まし時計が、盛大にアラーム音を鳴らした。
タイムアップだ。
「……というか監督、最後のアレは、缶蹴りとしてありなんですか?」
「缶キープは、ちょっとズルくねぇですか?」
裏庭側で緑間を陽動していた大坪、木村が、騒いでいる三人を眺めながらゆっくり戻ってくると、肩を竦めて中谷に問いかける。
「そうだねえ。でもまあ、円から缶は出ていないし、缶を立てた状態でキープしているし、セーフってことにしようか。バク転セーブとか、かっこよかったしねぇ」
「だとよー、高尾! 良かったな!」
「やったー! オレらの勝ちだー! 真ちゃんとデートなのだよ!」
木村の呼びかけに、高尾が両手をガッツポーズして、喝采をあげた。そこにすかさず、デートではないのだよと突っ込む緑間も、どうにか勝てたことに喜びを露にしていた。
「あと宮地」
「はい」
中谷は振り返った宮地の頭を、ぺちんと扇子で軽く叩いた。別に痛くはないけれども、急にされたことに、宮地は唖然と頭に手をやった。
「お前も、怪我をするから、ああいうことはやめなさいね? 全く、この先輩にして、この後輩ありだよ」
「はは……すんません」
宮地も苦笑いを見せて、ぺこりと謝罪した。
「ところで先輩、一体どこに隠れていたんすか? オレ、随分探し回ったのに、先輩らの影も形もわからなかったんすけど」
緑間の手を借りて、立ち上がった高尾が、ジャージについた砂を払い落としながら、そういえばと疑問を投げかける。先輩たちは、互いに顔を見合わせると、豪快に笑った。
「ああ。北校舎屋上に、ついさっきまでいたぞ」
「はぁ!? だって、北校舎屋上は立入禁止で鍵がかかって……」
「あそこの鍵、去年の年末から、鍵壊れてるから、中に入れんだよ」
「わかるわけないよなー。一部の卒業生しか、知らない情報だしな」
「何それズリぃ!!!」
「つまり、先輩達は、ずっと高みの見物をして、美味しいところだけもっていこうとしていた、ということですか」
「戦略といってくれ。まあオレたち卒業生が、お前たちの息抜きに、ずけずけと出張っていくのもどうかと思って、様子を見ていたんだよ」
緑間がはぁとため息をつくと、大坪がまあまあと宥めた。
「んじゃ、オレたちも外周五周、いってくるか?」
「ああ、丁度いいアップになるだろうしな」
「あっ! せんぱーい、先にお汁粉、お願いしまっす」
そう言って、高尾は三人の先輩の背を、ぐいぐいと押していく。
「わーったよ。わーったから押すんじゃねーよ!」
高尾にせかされた先輩達は、やれやれといった体で、まずは自動販売機へと向かった。何故かそれを追いかけようと走りかけた高尾が、立ち止まって、緑間を一旦顧みた。
「お汁粉タワーにすんだろ? まとめちゃうから、真ちゃんは、ちょっとそこで待っててくんねー?」
「あ、ああ?」
緑間の返答を聞いてから、高尾はぶんぶんと手を振りつつ、先を行く先輩達を追いかけた。先輩に何かを話しかけているのを眺めて、はて、と緑間は首を傾げる。が、思ったより缶蹴りで疲労したのか、日差しにやられたのか、休憩もかねて、みんなが戻ってくるまで、木陰で大人しく立ち尽くすことにした。
こうして、一時間の息抜きである缶蹴り大会は、幕を閉じたのであった。
* * * * *
「ではでは~、勝者の真ちゃんに賞品でーっす!」
戻ってきた先輩達と高尾に合わせて、緑間も体育館内に入ろうとしたのだが、真ちゃんは勝者なんだから待ってて!と高尾に引き止められた。先輩達には、早くと急がせたにも関わらず、だ。高尾の行動が、不審すぎる。暫くしてから、やっとのことで体育館に足を踏み入れれば、ステージの上に、凡そ三十本のお汁粉が、三角形のタワー型に重ねられていた。
「じゃーん、お汁粉タワー!」
「壮観なのだよ」
自分の好物をでんと目の前に積み上げられて、普段は仏頂面の緑間もわかりやすく上機嫌である。
「ん?」
緑間がお汁粉タワーに近づくと、缶に何かが書いてあることに気がづいた。
「何だ?」
一番上に積み重ねられている缶を、そっと手に取る。そこには、油性ペンでこう書かれていた。
『緑間、誕生日おめでとう』
緑間が、目を見開く。
他の缶にも何か書いてあるようで、上から順に崩していけば、どうやらタワーの缶全てに、何らかのメッセージが書いてあった。『スタメンで遊びにいくぞ!』だの『今年こそは、お前らが優勝旗を持って笑え! じゃなきゃ轢く!』だの『今度1ON1やろうぜ』だの『先輩、3Pのフォームを見てください!』だの、各々好き勝手なことが書かれており、内容は様々である。だが、そのメッセージに必ず添えられていたのは、一様に『誕生日おめでとう』だった。
一通り、缶に書かれている内容を吟味して、緑間はじとり、と高尾を睨んだ。
「……お前の仕業か、高尾」
「へへー、サプライズなのだよ。驚いた?」
「……ああ」
やったねと、したり顔で笑った高尾が、ブイサインを見せた。そういえば、缶けりの開始前に、高尾が筆記用具を握り締めて、中谷と何かこそこそしていたが、もしかしてこのためだったのだろうか。緑間は、ふうと息を付いた。
「オレの誕生日は、明日なのだが」
「知ってる。けど、明日は日曜日じゃん。だから前倒し。な? っていうか、ちゃんと誕生日が明日だってこと、覚えてた?」
「……今の今まで、忘れていたのだよ」
「だと思ったよ」
既に、コートでパス練習を再開している部員たちへと目を向ければ、そちらもみな一同に、にやにやと口元を歪めて、緑間の様子を窺っている。
「全く、悪趣味なのだよ」
「とかいってー、実は嬉しいくせに~!」
「煩い」
そう悪態をつきつつも、じんわりと、緑間の胸に暖かさがこみ上げてくる。くすぐったいというのは、こういうことをいうのだろうか。表情を崩さないようにするのが、精一杯だった。高尾には看破されているようなのが、酷く悔しい。
と、練習を眺めていた中谷が、ぱたぱたと扇子で扇ぎながら、緑間と高尾の元へ歩み寄ってきた。
「お疲れ。みんなからの気持ちとはいえ、お汁粉ばっかり飲んでちゃ、いくらなんでも糖尿になるから、ちゃんと一日一本にするんだよ?」
「はい。……その、大事に、いただきます……」
かすかに頬を朱に染めた緑間が、大人しく頷くと、中谷は満足げに瞳を細めた。
「よろしい。では、お汁粉タワーは邪魔になるから、部室に片付けてくること。高尾、手伝ってやりなさい」
「うぃーっす!」
「それから、はい、緑間。明日、誕生日なんだってね。おめでとう」
中谷が差し出したのは、コットンのエコバッグだった。大量のお汁粉缶を、持って帰るための配慮だ。多分、缶蹴りで遊んでいる間に、見学の部員をそっと外出させて、手に入れてきたのだろう。
「ありがとう……ございます」
手渡されたのをしっかり受け取って、緑間は礼を述べた。中谷はぽんと一つ緑間の肩を叩くと、また練習の指示へと戻っていった。
ぼんやりしている間に、緑間からエコバッグを貰った高尾が、手際よくぽいぽいとお汁粉をつめていく。こんもりとお汁粉缶で膨れ上がったエコバッグは、軽く一ケース分はあるので、ずっしりと重かった。
「ありがとうございました」
高尾に促されるままに、部室へ荷物を置きに行く前に、コートに向けて、緑間はぺこりと頭を下げた。
コートの部員達は、おー!といって、手を振ってくれた。
体育館から部室への道すがら、高尾がほいと差し出してきたのは、やはりお汁粉缶だった。
「コレはオレからね」
「……何も書いてないな」
高尾がよこしたお汁粉缶は、ぐるりと一回転させても、他の缶のように、メッセージが記されていなかった。
「お前からは、何もないのか?」
ぴたりと立ち止まって、高尾を見据える。
急に隣からいなくなった緑間に、高尾は振り向いて、柔らかく目を細めた。
「ちげーよ」
高尾は、ゆっくりと首を横に振った。
「オレは、ちゃんと七日の零時になったら、一番に真ちゃんへ『誕生日おめでとう』って言いたいの。だから、今は書かなかったってだけ。でも、みんなが楽しそうだからさー。オレも、まざりたくなっちゃったんだよ!」
頬をかいて、高尾が少し照れくさそうに呟いた。
「しかし、日付が変わった頃には、オレはもう寝ているぞ?」
「知ってる! 知ってるけどいーの! 単にオレの自己満足なんだから」
ぶーとむくれる高尾に、緑間はふむと一つ頷いた。
「そうか。なら、オレは、お前がくれた汁粉を、一番に誕生日に飲むとしよう」
「えっ……!」
高尾が、口をあんぐり開けて絶句する。そこまで驚かれるとは思わなかったので、緑間は、眼鏡のブリッジを押し上げながら、ぷいとそっぽを向いた。
「真ちゃん、なにそのデレ!!! オレお汁粉になりたい!!!!」
「アホか。というか、暑苦しいのだよ! くっつくな!」
がしゃん、とお汁粉缶の詰まったバッグが、音を立てて揺れる。感極まって、ぎゅーと抱きついてきた高尾を追いやりながら、緑間は眉を顰めた。高尾がスキンシップ過多なのにはもう慣れたとはいえ、汗でべたついた状態でくっつかれるのは、いくらなんでも気持ち悪い。
緑間が本気で嫌がっていることを察したのか、高尾はちぇーと唇を尖らせて、すごすごと身を離した。
「んじゃさ、真ちゃん、明日出掛けたいとこあるー?」
「……抹茶パフェが食べたいのだよ」
「仰せのままに!」
――そうして、迎えた深夜零時。
普段であれば、緑間は既に夢の世界の住人になっている時間帯だ。
けれども、今日ばかりは起きていた。
ぴったり零時になった瞬間に、マナーモードにしていた携帯が、ブルブルと震える。
緑間は、携帯を開いて、届いたメールを目で捉える。
唇が、ふっと緩やかに弧を描いていく。
『真ちゃん、誕生日おめでとう』
「ありがとうなのだよ」
予告通り、一番に高尾からのメールが届いたことを、密かに確認してから、一七歳になったばかりの緑間は、ゆっくりとベッドへ横になったのだった。
緑間君お誕生日おめでとうございます!!!!