というわけで宮緑♀テキストです~。いつものじゃないお話なので、緑間さんの性格を掴むのに苦労しました(笑)。そしてまだ底が知れない…。おかしい、こんなにシリアスっぽくなるはずではなかったのですよ。コメディのはずだったのにどうしてこうなった。
正直なところ、宮地清志はラッキースケベの似合う男だなと思って書き上げたお話なのですが……ううーん?。
緑間君が女体化してますのでご注意ください。また、若干特殊嗜好?になるので、何でも許せる方のみご覧下さい。ネタバレっぽくなってしまうので、設定諸々は一番最後に。でも多分タイトルでお察し。
「あ。やべっ。ノート忘れた」
四限の授業で使った音楽室にノートを忘れたことに気づいたのは、昼休みが終わる一五分前だった。
宮地は、授業で基本的には大学ノートを利用している。だが一部配布物の多い授業では、綴じ易さを優先して、バインダーとルーズリーフの組み合わせで使い分けている。音楽はバインダーとルーズリーフで取っており、五限の化学もそれだった。つまり、このままではノートが取れない。
面倒くさい。そう思いつつも、次の授業で必要なため、やむなしと宮地は立ち上がって教室を出た。
音楽室は、北校舎の二階に位置している。どちらかというと体育館寄りの校舎で、宮地のクラスからは少し遠い。
施錠されている教室なので、宮地は鍵を借りるために、まず職員室へと寄った。音楽担当の教師に事情を説明すると、教師は思いもかけない言葉を発した。
「音楽室の鍵なら開いてるわよ。お昼休みは、緑間さんがピアノを弾くのに利用しているからね」
「緑間が?」
飛び出てきた後輩の名前に、宮地はぱちりと目を瞬かせた。そういえば、以前緑間の趣味はピアノだと、高尾が言っていた気がする。随分優雅な趣味だったので覚えていたが、よもや学校で弾いているとは意外だった。普段バスケに人事を尽くしているから、自宅でピアノを弾く時間を割けなかったりするのだろうか。
教師に礼を述べ職員室を辞すると、宮地は渡り廊下を通って北校舎に足を踏み入れた。
秀徳高校でも比較的新しい建物になる北校舎は、音楽室や家庭科室、実験室といった移動教室向けの部屋が集約されている。そのため昼休みの今となると、喧騒から離れたここは人の気配が殆どなかった。
リノリウムの廊下から階段を登っていくと、微かにだがピアノの音が聞こえ始める。
(緑間……ねぇ)
生意気で仏頂面のくせに、顔だけはやたらといい可愛げのない後輩の姿が、宮地の脳裏をよぎった。
緑間がピアノ。白と黒の鈍く光る鍵盤に、あの神経質で美しく白い指先を、軽やかに滑らせて音を刻むのか。はまりすぎて嫌になる。自分の想像に、宮地は眉間に皺を寄せてちっと舌打ちをした。
階段を登りきる。音楽室は最奥にあった。比較的新しいとはいえ、伝統ある秀徳高校の校舎だ。完全に防音が施してあるわけではない。近づくにつれ、ピアノの音はうっすらではあるものの、徐々にはっきりと耳に届いた。
重い扉に阻まれているせいか途切れがちになってはいるものの、どこか聞き覚えのある曲。映画音楽だったろうか。堅物の緑間が弾くのだから、どうせクラシックオンリーだと思い込んでいたので、ピアノアレンジは予想外だった。どこか悲しく、懐かしく紡がれる清らかで荘厳な音。シンプルなメロディライン。決して難解な曲ではないのに、それでも高く鳴く主旋律は、普段アイドル音楽にまみれている宮地の胸にも、ゆっくりと響き渡った。
宮地は何故か、緑間の演奏に動けずにいた。他教室に較べると厚手になっている音楽室の扉は、今は開けてはいけないような気がした。
暫く聞き惚れていると、ピアノがポーンと低音の細やかなトリルを奏でて止まる。訪れた静寂。暫くして演奏が終わったことに気がつくと、宮地ははっと我に返った。
(ノート! ノートを取りにきたんだっつーの!)
本来の目的を思い出して、宮地は慌ててドアに手をかけた。広めに作られた音楽室は、扉の真向かいにグランドピアノが設えられている。
そこからちらちらと覗く見慣れた緑色。だが、どことなく宮地は違和感を覚えた。
緑間は譜面台から楽譜を取り、前屋根と鍵盤蓋を閉じて椅子から降りる。
入り口で立ち尽くしている宮地と目が合い、そこで漸く彼の存在を認識して小首を傾げた。豊かな睫毛に縁取られた、翡翠を想起させる虹彩。さらりと長い髪が、肩口で跳ねる。手には譜面と、今日の蟹座のラッキーアイテムである英和辞典。朝、緑間が確かに持っていたものだ。
――しかしピアノを弾いていたのは、緑間であったが宮地の知る緑間ではなかった。
「え?」
宮地は息を呑んだ。狐にでもつままれているのだろうか。
宮地が怪訝に感じてしまうのも無理はないだろう。何故なら目の前にいる緑間は、宮地よりも背が高くて、細身の割にしっかり筋肉が付いていて、こざっぱりとした短い髪の毛の、ぴっちり隙なく学ランを着込んだ、小憎たらしい男ではない。宮地よりも一回り華奢で小さく、長い髪の毛をなびかせ、秀徳の女子のセーラー服を着込んでいたのだから。
「み、どり……ま?」
「はい?」
やや低めに伸びる声はアルト。だが抑揚の少ない、硬質な雰囲気は宮地の知る緑間のそれだ。
「えっ? おま……女!?」
声を聞いて、余計にわけがわからなくなってしまった宮地は、ついつい指を指して困惑を口に出した。
戸惑いを隠せない宮地に、得心いった風の緑間はどうしてか、ふふっと控えめに吹きだした。
「ええ、女です。宮地先輩、こんにちはなのだよ」
不敵に口角をつり上げて、緑間が宮地へと返す。自信に満ちた緑間が稀に見せる、可愛げのない緑間の笑い方。そこに少しだけ、悪戯めいた色が混ざっていたのに、動揺していた宮地は気づいていなかった。
緑間が女。いやいやまさか。今朝、朝練で一緒だった緑間は確かに男で、こんなんじゃなかったはずだ。しかし目の前の緑間は、女だというのに緑間たらしめる特徴しか持ち合わせていない。
「忘れ物ですか?」
「お、おう?」
混乱する宮地をよそに、楽譜と英和辞典を前屋根に乗せた緑間は、グランドピアノの大屋根を支えながら、突上棒を下ろす。重いのか、力をこめないとばたんと落下してしまいそうで、緑間には随分重労働に見える。ゆっくりと、慎重に大屋根を閉じて、緑間はふうと息を漏らした。
「なら施錠をお願いします。鍵はここに置いておきますので」
スカートのポケットから鍵を取り出して、緑間がグランドピアノの上に置く。ちゃり、と金属のこすれる音が響いた。
「では、お先に失礼します」
未だ頭がこんがらがって呆けている宮地に、緑間は会釈をする。大事そうに胸に楽譜と英和辞典を抱きこむと、凛と背筋を伸ばして颯爽と音楽室を出て行った。宮地の横をすり抜けて行った緑間の背丈は、宮地の肩口ほどしかなく、翻った鮮やかな緑髪からは、仄かによい香りが漂った。
「どういうことだ……!?」
ばっと背後を振り返る。当たり前だが誰もいない。緑間は既にドアの向こうへと消えてしまった。
あっという間の出来事に、白昼夢でも見たのではないだろうかと疑う。宮地は思わず頬を抓った。痛い。夢じゃない。
「……ってか授業!!」
やがて鳴り響いた予鈴にハッとなって、宮地は取るものとりあえずノートと鍵を回収するのだった。
* * *
放課後。部室にて遭遇したので、宮地はじーっと無遠慮に着替え中の緑間を凝視していた。
背は宮地より高く、髪は短く、体格はまろく柔らかそうなラインを描くことなく、しっかりと筋肉が付いている。何より着用しているのは学ラン。そして当然胸はまな板で、どこからどう見ても、まごうことなく男である。
危ないところだった。真偽がわからなかったら、緑間を触りに行っていたかもしれない。後輩男子にセクハラする先輩男子の図なんて、とんだ変態だ。日々緑間にセクハラ行為を働いている高尾と、一緒にされたら困る。
そんな宮地に、緑間は酷く胡乱な視線を向けてくる。ワイシャツのボタンを外す手を止めて、迷惑そうに嘆息した。
「何ですか、宮地先輩。さっきから……」
「なっ、何でもねーよ!」
後ろめたさにぎくりとして、宮地はぶっきらぼうに返してそっぽを向く。だがやはり気になって、意識は緑間の方へと向いてしまう。
挙動不審な宮地に、先に練習着に着替え終わった高尾が、ニヤニヤと茶々を入れてきた。
「やだなぁ、オレの真ちゃんを視姦しないでくださいよー。宮地サン!」
「アホか! 轢くぞ!」
「お前は何を言っているのだよ、高尾……」
間髪入れずに入った鋭い二つの突っ込みに、高尾はいやーんと冗談めかして身体をくねらせる。
「そうかそうか、よっぽど高尾はシメられたいようだな。よしよし、可愛がってやんよ」
「あだだだだ!! ちょお、宮地サン、ギブギブギブ!!!」
高尾の態度にカチンときた宮地が、青筋を立てて笑顔で高尾を拘束し、両拳でこめかみをはさんでグリグリっと圧をかける。それなりに力を加えたためか、高尾が痛いと盛大に騒いだ。溜飲を下して、フンと鼻を鳴らし解放してやれば、高尾はうっすらと涙を浮かべてしゃがみ込んだ。じわじわとダメージをくらった頭を押さえ悶えている。自業自得だ。
「……それにしても、本当にどうしたんすか、宮地サン。何かすげー腑に落ちないって顔、真ちゃんに向けてますけど」
暫くして痛みが落ち着いたのか、蹲ったままの高尾が上目遣いで首を傾げてくる。高尾の言に、緑間もこくこくと頷いた。まあ、二人からしたら最もな疑問だろう。
ぶっちゃけ、宮地自身午後の授業に全く身が入らない程には動転していた。未だ昼休みの出来事は、夢だったのではないかと思うくらいである。
緑間真太郎そっくりの少女。
一番可能性が高いのは緑間の姉や、親戚という血縁の線だろう。だが緑間に姉がいるという話はとんと聞いたことがなかったし、もし二年にあんな緑髪の美人がいたら、去年の段階で話題になっているはずだ(因みに三年にはいない)。それ以上に、緑間は普段の態度からして、どう考えても一人っ子にしか見えない。万が一親戚だとしても、緑間にそっくりすぎて、どことなく違和感がある。
ありえないと否定しても、緑間が何かの理由で女になったという憶測が一番しっくりきて、宮地は自分の想像力のアホさ加減に、授業中だというのに机に突っ伏してしまった。勿論、教師にはまんまと当てられたのは言うまでもない。
こんなとんだ思考回路になるのも、偏におは朝に命運を握られている緑間ならではだ。以前にも、ラッキーアイテム関連ですったもんだに巻き込まれたことがあって、緑間に関してはどんなファンタジーな出来事があったとしてもおかしくないという、よくわからない認識が強かった。
鍵を返却する際、音楽教師にでも尋ねられれば良かったのだろうが、本鈴が鳴る間際で、教師も宮地も時間に余裕がなく聞きそびれてしまった。
正直もやもやしすぎて気分が悪い。もはや緑間に問いただしたほうが早いし、すっきりするだろう。
宮地は観念して、腹を括った。
「いや……昼休みに、緑間の女版が音楽室でピアノを弾いていたから、驚いたってだけだよ……。夢でも見たのかなーオレ」
流石に緑間が女になったのではないか、というどうしようもない疑惑は、恥ずかしくて暴露はしなかった。
宮地が、はははと空笑いしながらぽつりと呟くと、緑間と高尾は双眸を丸くして顔を見合わせた。
「え、宮地サン知らないんすか?」
「何がだ」
「ええー……有名なのって一年の間だけなの!?」
「そもそも、オレは有名になったつもりなどないのだよ」
「あのねー、真ちゃんは秀徳で有名人なんだってば!」
「だから何がだっつってんだよ、早く言えよ!!」
一年二人の煮え切らない会話に、宮地がイライラして先を促す。緑間と高尾は、ぱちくりと目を瞬かせて、もう一度アイコンタクトを取る。
口を開いたのは高尾だった。
* * *
昨日と同じ、昼休み終了の凡そ一五分前。北校舎二階の階段では、僅かにピアノの音が漏れ聞こえてくる。今日の演奏はクラシックだったが、宮地も知っていた。サティのジムノペディ。演奏自体の難易度は高くはないものの、表現が難しい曲だ。耳を澄ませば、やはりピアノの音はしっとりと心地よく宮地の胸に染み渡る。ゆったりと穏やかに流れてくる曲調に、眠気を誘われそうだ。
きっかり一曲弾き終えて、予鈴の鳴り始める三分前に、彼女は音楽室の扉から姿を見せた。ドアに施錠をし、リノリウムの床をきゅきゅっと上履きで鳴らしながら歩いてくる。階段のところまでやってくると、彼女はそこで立ち尽くしている宮地を目に留めて、足を停止させた。
胸に抱くのは、楽譜のファイルとラッキーアイテム。昨日と違うのは、ラッキーアイテムが英和辞典でなく、ウサギのぬいぐるみに変わっていることだ。彼女が持っているのは、ピンク色のウサギ。けれども今朝朝練で緑間が手にしていたのは、水色のそれだった。
宮地はにやと笑って、挨拶がてら掌を上げた。
「よぉ。昨日はどうも。緑間真さん」
「……こんにちは。二度目ましてなのだよ、宮地先輩」
緑間は悪びれた様子もなく、瞳だけを猫のように細めた。
* * *
「真ちゃんは双子なんですよ」
「は?」
高尾が発した言葉を、宮地が咀嚼するのに随分時間がかかった。
「だからぁ、真ちゃんは双子なんですってば。宮地さんが見たっていう緑間女版っていうの、きっと真ちゃんの双子の妹ちゃんっすよ」
「はぁあ、双子だあ!? だってお前らのクラスで見たことねーぞ!?」
ご丁寧に高尾が何度か繰り返してくれたおかげで、漸く消化できた単語に驚き宮地は声を上げる。
「クラスが違いますから」
何を今更とばかりに、フレームを押し上げて、しれっと緑間が返してくるのが憎たらしい。
「つーかお前一人っ子じゃねーの!? どこからどう見ても一人っ子だろ!? あんなに我儘言ってるのに、お前が兄とか嘘だろ、轢くぞ!?」
「ギャッハ!! やっぱりそう思いますよね!?」
「煩いのだよ!!」
怒涛の勢いで緑間一人っ子説を推す宮地に、腹筋を震わせながら高尾が同意してくる。緑間は顔を顰めてがなった。
緑間が兄。弟ならまだわかる気がするが、兄ときたものだ。しかも双子。晴天の霹靂である。本来なら可能性としてありうる一番正しい形なのだろうが、今まで周囲に双子なぞいたことのなかった宮地にとって、この顛末は想定の範囲外である。
未だに緑間双子の事実が信じられなくて、騙されているのではあるまいなと、宮地は怪訝そうに眉間に皺を寄せた。
「だってあいつ、オレのこといかにも知ってますって顔して、平然と話してたぜ……?」
「あー……妹ちゃんには、割と宮地先輩のこと話してるから、特徴でわかったんじゃないんすかね?」
「どうせ宮地先輩が、オレが女になったとでも勘違いして、驚いたのでしょう? だからきっと揶揄かわれたのだよ」
はっと緑間が鼻で笑う。何故わかった。宮地はさっと頬に朱を走らせ、ぐぎぎと歯噛みした。
蓋を開けてみれば、別に不思議なことでも何でもなかったのだが、勘違いしたのは全部緑間の性格が悪い。宮地は内心で緑間に責任転嫁をした。
「いやー、でもあれはびっくりしますよね~。オレも最初、見比べちゃいましたもん。性格もツンデレだし、おは朝信者だし、語尾なのだよだし、マジ真ちゃんそっくり。完全に女子緑間」
「おい、そんな風に言うんじゃねーのだよ。双子なのだから当たり前なのだよ」
「まだ信じらんねー……」
などと緑間について衝撃の事実を知らされたところで、遅いぞと大坪にどやされることとなり、強制的に部活モードになったのであった。
* * *
――昨日明かされた真相を思い出して、宮地は深々と吐息を漏らした。
「いつも兄がお世話になっています。でもこんなに早くバレるとは、正直思っていなかったのだよ」
「……お前結構いい根性してんのな」
「いえ、先輩が随分驚いていたので、高尾辺りがもう少し面白可笑しく脚色するのかなと」
案外あっさりばらしたのですねと、緑間はおとがいに指を当ててくすくすと笑った。最近幾分か笑みをみせるようになったものの、基本的に男の緑間は無愛想なので、自然と零れた彼女の綺麗な微笑みに、宮地の胸が思わずどきりと高鳴る。
そのまま緑間は、にやと意地悪げに唇を歪めた。
「兄が女になったと思ったのでしょう?」
「ぐっ」
「高尾にも最初、勘違いをされましたよ」
図星を指摘されて、宮地は黙り込んだ。高尾と一緒にすんなと主張したいところだが分が悪い。いたたまれなさを誤魔化すようにして、宮地は後頭部に手をやり、ぱりぱりとうなじを掻いた。
「仕方ねーだろ。緑間が双子で、妹まで秀徳にいるだなんて知らなかったんだよ、轢くぞ!」
照れ隠しもあって、思わず顔を顰めて、真正面に立つ緑間を睨みつけた。宮地は童顔だが、仏頂面になると目つきが悪くなるのと金髪のせいか、ヤンキーじみた迫力が出る。口もガラも悪いから、女子や後輩に怒った宮地は近寄りがたいと認識されてすらいる。しかし緑間は怯えるどころか、暖簾に腕押し、糠に釘だった。
「ああ、本当に轢くぞって言うんですね」
「あいつらは何を吹き込んでんだ何を……」
宮地はがくりと肩を落とす。何やら真顔で妙に感心されてしまって、すっかり毒気を抜かれてしまった。
昨日まで存在すら知らなかった緑間と、こうやって他愛もない会話をしているのが、どうにも不思議だ。
宮地の前に立っているのは、男の緑間そっくりの女の緑間。男女の双子だから二卵性なのだろうが、それにしたって容貌だけでなく雰囲気すらも酷似している。ここまできて双子を疑うわけでもないけれど、女のせいか幾分穏やかな佇まいに違和感を覚えてしまい、どうにも慣れない。
というのも兄の緑間はつんけんしていても、もう少しわかりやすく感情を露わにする、案外熱い男だ。逆に妹の緑間は今のところ水の、漣のイメージだ。兄ほど感情的ではなく、クールな印象を宮地は受けた。
「なぁ、お前はバスケしてねーの?」
ふと、緑間兄と同様、指先に丁寧に巻かれたテーピングに目を向けて宮地が尋ねる。当たり前だが、女子バスケ部に彼女は在籍していない。
緑間はそっと左手を小さく掲げて、ふっと瞳を伏せた。長い睫毛が、ゆるりと影を落とす。
「帝光中の時は、桃井と一緒にマネージャーをやっていましたが、今はピアノに人事を尽くしたかったので」
「じゃあプレイは全然してなかったのか?」
緑間を上から下までじっと眺める。緑間は華奢でいて、必要な筋肉がしっかりと付いているように見えた。基礎トレーニングをきちんとこなしている体つきをしているので、宮地ははてと首を傾げる。
「まあ……ストバス程度ならやりますけど、基本的に見ている方が好きですし」
その時の緑間の表情は酷く綺麗だった。まるで血の通わない人形のように。
「それに、キセキの世代の緑間は、一人で十分でしょう?」
紡がれた言葉に酷く重みと含みを感じて、宮地はそれ以上追求することができなかった。
「……お前って、学校でもずっとピアノ弾いてんのか?」
「はい。時間がある時の昼休みと放課後に。でも身を入れて練習すれば、兄の方がきっと上手いですよ」
緑間は首を振って謙遜してみせる。良し悪しまで詳しくはわからないが、宮地の耳には緑間の演奏は十分凄いもののように聞こえたのだが。
宮地は忌々しげにちっと舌打ちをした。
「……あいつは何でもできんのな」
「ええ。自慢の兄です」
「ブラコン」
「褒め言葉と受け取っておきます」
意趣返しのつもりで放った言葉にも、緑間はつんと澄まして揺るがない。可愛げがないところまで緑間に似なくても良かっただろうに。
そんな話をしていると、きーんこーんと予鈴が鳴り響いた。
ではこれでと緑間が礼儀正しく頭を下げて、踵を返す。このまま終わってしまうのが何だか惜しくて、背筋のしゃんと伸びた美しい背中に向けて、宮地は声を放った。
「なあ。オレ、お前の演奏、結構好きだぜ?」
「は?」
緑間が、階段を数歩降りたところで振り返る。さらりと、花緑青の艶やかな髪の毛が、虚空に舞った。眼鏡の奥の翡翠が、ぽかんと大きく見開かれる。
済まし顔の緑間の表情を崩すことができて、気をよくした宮地は、にっと不敵に笑った。
「今度ちゃんと聞かせろよ、ピアノ」
「え……」
ぶわ、と緑間の頬に熱が上る。
一体どこに反応して動揺したのだろう。わからない。だが、狭い階段の上だということを忘れてしまったのか、緑間が何故か酷く焦って身じろいだせいで、うっかり足を滑らせた。がくんと、緑間の身体が大きく揺れる。まるでスローモーションのように、後方の中空へと華奢な体躯が傾ぐ。
「……っ!?」
「あぶな……っ!!」
ばさばさと、緑間が抱えていた楽譜のファイルとウサギのぬいぐるみが、派手な音を立てて踊り場へと落ちて行った。
間一髪の出来事だった。
宮地が飛び出して、落ちかけていた緑間の手を掴み、上からぐいと身体を胸に引き寄せる。体勢を崩して数段階段をずり落ちたので、したたかに尻を打ち付けたが、緑間を転落させず、かろうじて助けることが出来た。ギリギリだ。
二人して強張っていた力を抜き、はーっと胸を撫で下ろした。今もって、バクバクと心臓が激しく音を立てている。
階段にいるのに何ぼんやりしてんだ、あぶねーだろ、そう怒鳴ろうと宮地が力をこめた瞬間。
「え……?」
「あ……?」
変な格好で、勢いに任せて抱き込んだせいだろうか。ふにゃん、と暖かく柔らかな感触が宮地の掌に当たった。何だコレは。その感触を本能のまま揉みしだく。すると、緑間が小さく悲鳴を漏らしてびくんと震えた。
――宮地の手は、あろうことか緑間の胸に触れていた。
さーーーっと宮地の顔色が青ざめていく。
「わっ! 悪い! わざとじゃねーから! 事故! これは不慮の事故だ!」
ばっと両手をホールドアップして、宮地は光の速さで緑間から離れた。不可抗力とはいえ、触れた緑間の胸があまりにも柔らかかったので、どぎまぎしてしまったのは、悲しいかな男子高校生の性だ。発言が弁解くさくなってしまったのもそのためである。
「わ、わかっているのだよ……っ!」
一応納得した姿勢を見せてはくれたものの、緑間は胸元を押さえて、宮地から視線を逸らしている。若干狼狽えているのか、敬語は忘れられていた。眉をハの字に下げ、頬は困惑と恥じらいのためか、赤に染まっている。こんな顔もするのか。兄の緑間では絶対に出てこない表情に、宮地はつい場違いな感想を覚えてしまった。
ギクシャクしてしまった雰囲気に、宮地が身を堅くしていると、緑間はあたふたと立ち上がり、踊り場まで一気に下っていく。落っことした楽譜のファイルとウサギのぬいぐるみを回収すると、頭を垂れて礼を述べてきた。
「助けてくれてありがとうございました」
「お、おう。気をつけろよ、あぶねーからな!」
目を合わせないまま身を翻した緑間は、宮地の忠告など耳にも入っていないのか、陸上部もかくやというスピードで、逃げるように階段を駆け下りて行ってしまった。
残された宮地は、掌を一度見つめてから、肩を落として肺に残った息を全て吐き出した。柔らかかったとか、大きかったとか、暖かかったとか、細かったとか、もやもやこみ上げてくる衝動を、首を振って思考から追い出す。ついでに制服に付いた埃をパンパンと手で払って、腰を上げよろよろと階段を下りた。
「ん?」
踊り場に差し掛かると、隅っこに一枚の紙が落ちているのが視界に入った。ぺらりと拾い上げて見てみれば、それは五線譜に酷く複雑な音符が沢山描かれた楽譜だった。落下した時に、一枚だけファイルから飛び出して分離してしまったのだろう。明らかに冷静さを欠いていたであろう緑間が、気づかなかったのも無理はない。
「……まあ、落ち着いてからだな」
すぐに返してやりたいのは山々だが、さっきの今ではどうにもバツが悪い。とりあえず宮地の手元で保管して後日返却してあげるなり、部活の時に緑間に頼むなりすればいいだろう。
そんなことを思案していたら、二回目のチャイムが鳴った。本鈴だ。
「うっわ、やっべ!!!!!」
すっかり頭から追いやっていたが、午後の授業が始まってしまう。こんなところでのんびりしている場合ではなかった。宮地は先ほどの緑間同様、大慌てで足を動かし突っ走った。
とはいえ、今からどれだけ全力疾走してみたところで、宮地の教室から北校舎は程遠い。
こうして宮地清志は、一枚の楽譜と引き換えに、五限目の授業に遅刻をしたのであった。
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蛇足的設定
・緑間真太郎(兄)
双子の兄。シスコン。
泣く子も黙るキセキの世代秀徳高校バスケ部3Pシューター。高尾さんと仲良し。
・緑間真(妹)
緑間くんとは別クラスの双子の妹=にょたりまさんだと思ってください。そのためおは朝信者でやっぱり変人。二卵性だけど兄とそっくり。ブラコン。
お名前は「しん」さん。高尾が呼ぶ「真ちゃん」がどっちを指しているかお察しできる。
帝光バスケ部では桃井と一緒にマネージャーをやっていたが、秀徳では帰宅部で、のんびりピアノを弾いている。両手のテーピングはピアノのために巻いている。
・高尾和成
歪みない緑間(兄)厨。緑間(妹)とも仲良しだが、あまりにも兄ラブすぎて、妹にちょっと引かれている。
・宮地清志
今回の可哀想な人。
おまけのどうでもいい高尾さんの特技
高尾「真ちゃん」
緑間♂「何だ」
高尾「真ちゃん」
緑間♀「何なのだよ、高尾」
宮地「……つーかどうしてそれでわかるんだ!?」
緑間♂「何となく……?」
緑間♀「兄さんを呼ぶ時の方が、若干口調に甘さが入るのだよ……」
宮地「わかりづれーし面倒くせぇ……!」
私も地の文をどう処理すればいいのか、かなり悩みました(笑)。
私も地の文をどう処理すればいいのか、かなり悩みました(笑)。