お久しぶりの宮緑♀テキストです。スパークでお友達にあげる用に作った再録本の書き下ろし分に少しだけ加筆したものです。前にちょっろりと書いたポキプリの日宮緑♀。緑間君が女体化してますのでご注意ください。
11月11日。
陽光も徐々に鈍くなり、吹きすさぶ風も否応なく寒さを増してきた初冬。
外気の冷たさに、流石に屋上で日向ぼっこをしながら、のんびり昼食という気候でもなくなってきた。密かに屋上での昼食を気に入っていた緑間には、寂しい季節がやってくる。
その日はたまたまラッキーアイテムが楽譜で、それならばと緑間がピアノを弾きたがり、高尾を引き連れ音楽室で昼食を取ることになった。窓際の席を陣取り高尾と相向かいに座って、柔らかな日差しの中、他愛もない話に興じる。大抵は高尾が延々しゃべり続け、緑間が聞き役に徹して、時折相槌を打ったりツッコミを入れたりするのが常だ。
今日も今日とて、高尾の話に耳を傾けつつ、ゆったり時間をかけて昼食を取り終わり、緑間がご馳走様でしたと手を合わせて、弁当箱を袋にしまう。そのタイミングを見計らったのか、突然高尾がじゃーんと効果音を呟いた。何事かと怪訝げに緑間が視線をやれば、高尾は意気揚々とビニル袋からお菓子の箱を取り出した。
「真ちゃんのために、新発売の大納言あずきポッキーを買ってきました!」
あずきの一言に、緑間の瞳がキラキラと輝く。入荷のタイミングが悪く、購買のお汁粉が売り切れていて、今日はまだお汁粉を摂取できていなかった。そのせいで何となく物足りなさを感じていたところだ。さすがは下僕、もといハイスペック、気が利く。
「ところで真ちゃん、今日が何の日か、知ってる?」
緑間の視線を一身に受けるポッキーの箱を頬の横で掲げながら、高尾が唇を歪めてにこにこと胡散臭そうな笑みを浮かべた。
「何だというのだよ」
「あ、やっぱり知らねーのか。今日って、ポッキー&プリッツの日なんだよね」
「……そういえば、いつだったか、黄瀬や桃井辺りが騒いでいた気がするな」
こういったイベントごとにとみに疎い緑間は、こめかみに指を当てはてと考え込む。おぼろげな記憶を辿ってみれば、帝光中時代にそんな単語を耳にした覚えがあるようなと、かろうじて浮かんでくる程度の認識でしかない。
「お菓子メーカーに踊らされている印象しかないのだよ」
やれやれと眼鏡のブリッジを押し上げながら、緑間が盛大にため息を付く。バレンタインもこんな感じなのだろうと予想の付きそうな、身も蓋もない、けれども緑間らしい言い草に、高尾は思わず苦笑を漏らした。
「いいのいいのー。こういうのは楽しんでナンボっしょ。でさ、今日はポッキーゲームをする日なんだぜ?」
「ポッキーゲーム?」
「そう。知らない? ポッキーの両端を銜えて食べていって、先に口を離したり、折ったりした方が負けっていう、チキンレースみたいなもんかな」
「下らんな」
案の定緑間が小首を傾げたので、高尾が簡潔に説明をしてやれば、緑間は呆れ混じりにばっさりと切り捨てた。
「ええー、真ちゃんノリわるーい。やったことないなら、試しにやってみようぜー」
「何故私がそんなことをしなければならないのだよ」
高尾からの提案に緑間が眉を顰めると、彼は手に持ったポッキーの箱を二、三度軽くかしゃかしゃと振った。
「……大納言あずきポッキー、食べたくない?」
「ぐぐっ……卑怯だぞ、高尾」
これはやらないとあげないよという、脅しの入った意思表示だ。緑間が歯噛みすると、高尾はふふんと意地悪そうに瞳を細める。そして唇に指先を当てて、にんまりと愉しげに笑った。
「あー、わかった。真ちゃんってば、負けるのが恐いんだろー?」
「……はぁ? 誰に向かって言っているのだよ。いいだろう、受けてたつのだよ!」
カチンときてまんまと安い挑発に乗った緑間が、ばんっと机を叩いて高尾を睨み付ける。負けず嫌いの緑間は、クールな印象を与える外見に反して、煽り耐性が極めて低かった。
「さっすが真ちゃん。なら決まりね」
緑間の鋭い視線を受け流して、高尾は口笛を吹きながらぺりぺりとパッケージを開けた。小分けにされた袋の一つを取り出して、開封する。その中の一本を摘まんで、緑間に差し出した。
「はい、あーん。そのまま銜えててね」
いきり立っている緑間を全く意に介していない高尾は、その唇にポッキーのチョコレートがかかっている方を軽く押しつけた。油断していた緑間は、すっぽりと先っぽを唇の上下で挟み込んでしまう。
緑間の体温で徐々に溶けてくるチョコレートを、条件反射でぺろり舐めれば、あずきの味が微かに舌先へ広がる。
(……美味しいのだよ)
緑間がチョコレートの甘さに一瞬気を取られていると、いつの間にか高尾の顔が至近距離まで迫っていた。
「じゃ、レディーゴー」
高尾がぽつりと発すると、チョコレートとは反対のプレッツェル側に唇を寄せ、がりっと端を噛み始めた。
「!?」
緑間は目を見張った。
ポッキーは一本およそ14センチ程度の長さだ。当然、両端を二人で銜えれば、顔を突き合わせるような体勢になる。
緑間の目と鼻の先にあるのは高尾の顔。今までこんな至近距離で、高尾と接したことなどあっただろうか。高尾は、軽く睫毛を伏せて、唇をもぞもぞと動かしている。
ぬばたまの真っ直ぐな黒髪に、意志の強さを秘めた綺麗な橙の瞳。改めてじっくり高尾の顔を見やれば、それなりに整った容姿をしている。
緑間が固まったまま、高尾を見ていることに気づいたのだろう。高尾はに、と悪戯っぽく口角を持ち上げた。酷く余裕めいた表情だ。
どうにもおちょくられている気がしてならない。むっとした緑間は、躍起になって止まっていた唇を動かし始めた。
とはいえ、上品な緑間である。普段、唇と歯だけを使って物を食べ進めることなどしないので、どちらかというと行儀の悪い部類に入るこういった食べ方にはとんと慣れていない。そのせいか、如何せん咀嚼しづらく苦戦を強いられていた。
その間にも、ゆっくりと、だが確実に高尾はポッキーを食んでいる。プレッツェルのみの部分はとうに制覇され、チョコレートがかったところまで進入している。
――あと9センチ。
カリ、カリ……。
静かな音楽室に、小さく咀嚼する音だけが響く。ほんの僅かな音だというのに、やけに耳元に煩く聞こえた。
高尾との距離がじりじりと詰められていく。
ほんの僅かであるが、より密になった空間で、ふわと互いの前髪同士が触れた。
(……あれ、これ)
はっと我に返った緑間は、そこで漸くこの先起き得る可能性の一つについて思い当たった。
頭に血が上っていたせいで、鈍った思考が正常に戻ってくる。興味がなくさらりと聞き流してしまったのが災いした。冷静になってみれば、この状態はもしやとんでもないことになっているのではないかと、今更緑間は息を呑む。
しかし目の前にいる高尾は、何食わぬ顔でポッキーを噛み砕いている。その瞳に浮かぶのは、やはりからかいの色が強い。
今までの傾向からして、高尾は緑間の反応を窺って楽しんでいる節がある。つまり今回もそういう魂胆なのだろう。
だからここで慌てて口を離したりしたら、きっと高尾の思う壺なのだ。それには引っかからないのだよと、緑間は内心ふふんとせせら笑った。
――あと6センチ。
緑間も高尾も、まだどちらも唇を離さない。
そろそろ鼻先が触れようとした瞬間。――音楽室の防音のため重厚に作られた扉が、突如ぎぃと音を立てて開かれた。
「おい。高尾、緑間、いるのか?」
ぱきん。
どちらともなく込められた力が、ポッキーを中央からあっさり折る。たった数十秒の攻防は、突然の侵入者によって終わりを告げた。
そろそろと二人して入り口へと顔を向ける。そこに立って、呆れたような、咎めるような視線を投げかけてくるのは、先日から緑間とめでたくお付き合いを始めた宮地清志だった。
「つーか何やってんだ、お前ら……」
緑間と高尾が、近づきすぎるほど顔を近づけていることに、宮地はぴくりと片眉を押し上げ、不快感を隠しもせずに呟く。
高尾は飄々としたまま、銜えたままの短くなったポッキーの片割れをひょいと口に押し込んで噛み砕いた。
「あっま!」
甘いものを得意としない高尾にとって、ポッキー程度でも甘さが過ぎるのだろう。
悪びれもしない様子で、高尾は自分の弁当箱とポッキーの箱を手に立ち上がると、宮地の元へと駆け寄る。目元を険しくする宮地に、高尾は人好きのする笑顔でポッキーを掲げて見せた。
「ほら、今日ってポッキー&プリッツの日じゃないっすかー。真ちゃんがポッキーゲームを知らないっていうから、実践してたんですよぉ」
「あほか、轢くぞ!」
宮地の威嚇に、高尾が肩を竦める。
「いや、もちろんちゃんと途中で折るつもりでしたよ!?」
「当たり前だ、ボケ!」
宮地が高尾の額に向けて、指を弾く。しかも結構強めに。強烈なデコピンを食らった高尾は、あいてっと声を漏らすと、唇を突き出して恨めしげな視線を宮地に向けた。宮地から言わせれば自業自得である。
高尾はじくじくと痛む額を押さえながら、小首を傾げた。
「んで? 宮地サンてば音楽室までどうしたんすか?」
「ああ……今日の体育館設備点検だけど、点検時間を延長すんだとよ。だから、今日は基礎トレだけやって解散。レギュラーは先にミーティング。ったく、先輩自ら伝えにきてやったっつーのに、お前らときたら」
「わざわざあざっす。つーか、真ちゃんに会いたかったんでしょ、宮地サン」
「ばっ! そんなんじゃねーよ!」
「やだー、照れなくたっていいじゃないっすかー」
「おいこら高尾、刺すぞ!」
照れ隠しに物騒な言葉を吐きながら高尾を捕らえようとする宮地の手から逃れて、伝達に素直にぺこりと軽く頭を下げると、高尾は持っていたポッキーの残りを、ひょいと宮地に投げて寄越した。空に弧を描いた箱を、慌てて宮地はキャッチする。
「残りは宮地さんにあげますね。好きに使ってください」
「は?」
「じゃあ真ちゃん、オレは先に教室帰ってるから。またな」
「高尾!?」
きょとんとしている緑間と宮地に、高尾は手を振って颯爽と音楽室から姿を消した。
嵐のように賑やかな高尾がいなくなると、とたんに音楽室はしんと静まり返った。残された二人は、気まずげに視線を交わす。
「……つーか、うかつすぎるだろ」
宮地が盛大にため息をつきながら、緑間のいる席へと足を向けた。程なくして着席している緑間の前で立ち止まった宮地は、机に手を付き、上からじろりと緑間を見下ろした。
「また高尾に誑かされたのか?」
「そういうわけでは」
「どうせ『負けるのが恐いんだろ』とか何とか高尾に煽られて、かっとなって引くに引けなくなったんだろ、お前」
「……」
「おい、当たりかよ」
図星を指されてだんまりを決め込んだ緑間に、子供かと宮地は内心突っ込んだ。
「だって、今日はポッキーゲームをする日なのでしょう?」
「は?」
「……そういう日だと、高尾が」
恐る恐る紡がれた言葉に、宮地は頭を抱えそうになった。将来緑間は詐欺にあってツボでも買ってしまいやしないだろうか。しっかりしてそうに見えて、意外に抜けているところがあるから、ほとほと心配になる。
「緑間、お前高尾に騙されてんぞ……。今日はポッキーゲームをする日なんかじゃねぇし」
「は!?」
宮地からの指摘に、緑間はぱちくりと目を瞬かせた。そのまま決まり悪そうに、宮地から顔を逸らした。怪しいと思っていたのだよなどと、今更臍を噛んでいる辺り、まんまと高尾の掌の上で転がされている。
長くもなく短くもない時間を共に過ごしてきた中でわかったことだが、緑間は懐に入れた人間に対して殊更甘く、警戒心が薄くなる。それが美点でもあり、宮地にとっての頭痛の種でもあった。
「お前さあ、危機感足りなさすぎ」
「またそれですか」
何度も口を酸っぱく宮地に注意される単語に、緑間もむっと唇を尖らせた。
「ポッキーゲームがどういうゲームかわかってんのか?」
「どちらかが耐え切れずに口を離したり、折ったら負けのチキンレースだと教わりました」
「間違っちゃいないがな……」
罰ゲーム的な意味合いでは、確かにそういった色合いが強いだろう。
「キスの口実だよ」
「へ?」
宮地は高尾から押し付けられた箱からポッキーを一本取り出して、有無を言わせず無理やり緑間の口に押し込んだ。
「んむ!?」
急に差し込まれたお菓子に緑間が面食らっていると、息を付く暇も与えず、宮地が腰を屈めて、緑間が銜えたポッキーの反対側を唇で捉えた。
伏せがちな宮地の視線とかち合う。その瞳はぎらぎらとした光を帯びていた。食べられてしまう。緑間の脳裏にそんな言葉が過って、思わず身を堅くした。
まさしく食らうといった表現が似合うほど、荒々しく一気に口を動かし進めた宮地によって、あっという間にポッキーはその長さをゼロにされてしまう。
辿り着いた先は、緑間の唇。
柔らかく暖かい感触が強く押しつけられる。
一度緑間の唇をやわく食んでから、ちゅっと小さく濡れた音をわざと立てて、宮地の唇が離れた。
どうだ、と言わんばかりににやと口角を歪める宮地に、展開の速さに思考回路が止まっていた緑間がはっとなる。瞬時に白皙の頬をバラ色に染め唇を戦慄かせて、緑間は宮地を睨め付けた。
「……別に宮地先輩が考えるようなことにはなりませんでしたよ。最初から、高尾は私をからかうつもりだったのですから。どうせ途中で折る気だったんでしょう? あいつは」
つんけんとした態度で、緑間は腕を組んで、ぷいと顔を逸らす。ツンデレな彼女のことだ。恥ずかしさから、憎まれ口を叩いてしまっているのは、想像に容易い。
しかし宮地の中で、何かがぷつんと切れた音がした。
緑間が、完全に高尾をそういう対象として見ていないのはわかる。ある意味、高尾にとってはご愁傷様状態だ。だからこそ心を許せる友人として、相棒して、恋人の宮地とはまた別の強い関係性を築き上げているのもわかる。
きっと高尾が、緑間に対して恋心を抱いているだなんて可能性、これっぽっちも考えていないのだろう。緑間はそういう人間だし、高尾も恋情を容易く悟らせるような真似はすまい。
今回のことだって、緑間の言う通り、本当にただ高尾の悪巧みに過ぎないのだろう。
頭ではきちんと理解している。とはいえ、やっぱりそれとこれとは話が別だ。
「はーん、そういうこと言うわけか」
低くドスの効いた声が宮地から漏れて、緑間がぎくりと身体を強張らせた。
宮地の内にこみ上げてくるのは、ふつふつとした憤りだ。さて、この頑固な分からず屋をどうしてくれよう。そういった気持ちでいっぱいだった。
「……みっ、宮地先輩!? 顔が恐いのだよ!?」
宮地の機嫌を本気で損ねてしまったのが流石に伝わったのか、緑間の顔色がさっと青ざめていく。だがもはや後の祭りだ。
「いや、俺としては、お前がごめんなさいの一つも言えば、未遂だったわけだし、今回のことは水に流してやろうと思っていたわけなんだわ」
心中の苛立ちとは裏腹に、吐き出された口調はやけに軽い。にも関わらず、それがいっそう宮地の腹立たしさを表しているようで、緑間の背筋に冷たいものが走る。
えもいわれぬ空気に、慌ててがたんと椅子を背後に引き腰を浮かせた緑間だったが、逃がさないとばかりに宮地が身を伸ばして左手を掴む。宮地はそのまま向かいの椅子にどっしりと腰を下ろした。宮地の双眸がまあ座れと、問答無用の圧力をかけてくる。逃げられないと悟って、緑間はへなへなと椅子に戻った。万事休すだ。
「なあ、緑間」
「なっ、何なのだよ」
宮地の迫力に怯えた緑間が、ひっと息を呑む。宮地は酷薄な笑みをはいて、おもむろに緑間の左手の人差し指のテーピングを剥き始めた。
「ポッキー&プリッツの日ってさあ、菓子を数字の1と見立ててるから11月11日がそう言われてんだよな。つまり真っ直ぐなものなら、ポッキーとかじゃなくてもいいと思わねぇ?」
ぱらりと、外されたテーピングが机の上に落ちた。丁寧に手入れの施された、緑間の細くて白い人差し指が露わになる。
「どうせ口にするなら、俺はポッキーじゃなくてこっちだな」
宮地はそこに、躊躇いなくぺろりと舌を這わせた。
「な、な……っ!? 何して……!?」
二の句が告げない。目の前で起きている光景に、緑間はくらりと眩暈を覚えた。
ぬるりとした宮地の舌が、緑間の肌を這う。ちらちらと見える赤い舌が、やけに淫靡で、緑間はこくりと唾液を嚥下した。伏目がちの宮地も何だか普段よりもずっと色めいて見えて、かあっと頬に熱が上ってくる。今の緑間は、耳元まで熟れた林檎のように真っ赤に染まっていた。
(どっ、どうしてこうなったのだよ!?)
混乱する緑間に構いもせず、宮地は指先から指の股へと舌で辿っていく。生暖かい感触と背中をせりあがってくる形容しがたい感覚に、緑間がふるりと肩を跳ねさせると、宮地は調子に乗って、ちゅっと爪に口付けを落とし、笑みを深めて面を上げた。
「何って……オシオキ?」
「意味が分かりません!!」
「お前、言ってもわからないんだから、ああいう不用意なことしたら、こういうことされるって、身をもって教え込むしかねぇだろうが」
呟く合間にも、宮地の手は忙しなく動き、今度は緑間の中指のテーピングを剥いて行く。時折、悪戯に宮地の左指が緑間の甲をすっと撫でやって、それだけでぞわりと背筋が震えた。
現状から逃れようと身を捩る。しかし宮地はそれを許してはくれなかった。
「せ、先輩?」
テーピングを外し終え、宮地は改めてぱくりと中指を口に含んだ。一応大事な左手ということで配慮をしているのだろう。宮地に指を傷つけないよう細心の注意を払われながら、舌を這わされ、優しく、やわく、甘く噛まれて、緑間は耐え切れずに声を漏らした。
「……っひぁ!?」
自分でも聞いたことのない高い声が上がってしまって、緑間は反射的に右手で唇を覆った。そんな緑間の様子に、宮地は酷く満足げに口の端を歪めている。
宮地の舌が肌を掠める度、ゾクゾクと這い上がってくる覚えのない感覚に、わけがわからなくなって、緑間の眼に自然と薄い涙の膜がうっすらと浮かぶ。
「先輩、やめ……っ!」
懇願するけれども宮地は知らんぷりを決め込んで、緑間の指を嬲っている。時折ぴちゃと濡れた音が上がるのに、益々羞恥心を煽られた。全身が熱くて、のぼせてしまったみたいにくらくらする。
せめて声を漏らすまいと右手を唇に当てたまま、与えられる責め苦に緑間が必死で耐えていると、暫くして満足したのか、ちゅっというリップ音と共に宮地がゆっくりと指を解放した。
やっと終わった。乱された息もそのままに、緑間は涙目のままほっと胸を撫で下ろす。
だがそんな緑間を嘲笑うかのように、宮地は緑間の薬指のテーピングに手をかけた。
「宮地先輩っ!?」
「11月11日なんだから、4本だろ? 何、まだ昼休みは残ってるから心配するな?」
先ほどまでの不機嫌さは、一体どこに吹き飛んでしまったというのだろう。
狼狽えている緑間に、宮地は酷く愉しげに目を細めながら、無常な言葉を突きつけるのだった。
――昼休み終了3分前。
緑間真は、教室に至る廊下をそれはそれは一心不乱に突き進んでいた。俯きがちに唇を真一文字に結んで、近づくなオーラを撒き散らしながら、競歩ばりの物凄い速さで足を動かしている。かろうじて廊下は走らないを遵守している辺りが、優等生の彼女らしい。
普段の言動から人々の話題に乗りやすい緑間だったが、その姿は特に周囲の生徒たちの好奇の視線を集めていた。
耳まで赤く染まった顔。いつもならば丁寧に巻かれている左手五指のテーピングは、何故か親指のみになっており、部活動以外は基本的に保護されている繊細な指が無防備に晒されている。また、よくよく見ればその翡翠の瞳はほんのりと潤んでおり、いつもは高潔な彼女がどうにもなまめかしい雰囲気を湛えている。
一体何があったのか。まだ廊下に残っていた口さがない生徒たちは、緑間の様子にざわつくほどであった。
緑間は自分の教室に辿り着くと、ばんっと扉を勢い良く開いた。
「高尾ぉぉお!!」
「真ちゃん、お帰り。遅かったねー」
開口一番名を叫ばれ、音楽を聴いていた高尾はイヤホンを耳から外しひらひらと手を振る。そんな高尾の元につかつかと歩み寄って、緑間は恨みがましげに見下ろした。
乗ってしまったとはいえ、元はといえば全ての元凶は高尾である。
緑間の様子を上から下まで眺めやって、事態を察した高尾は、あははと困ったような笑顔を浮かべながら、緑間の左手を指差した。
「ええと、テーピング、巻き直してあげよっか? 真ちゃん」
「いらん! もうお前の戯言は、絶対に信用しないのだよ!!」
結局、ごめんなさいもうしませんと緑間が謝るまで、宮地のお仕置きは続いた。
……緑間の危機感が、やっと少しだけ上がったようだった。