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マーキング

12 05 *2013 | text

突然の黄緑です、ご注意ください。

ツイッターでフォロワーさんと黄緑ちゃんが百合っぽく、きゃっきゃしてたら可愛いという会話から書かせていただいたお話なのですが、黄緑ちゃんが直接的に一切接触しない可愛げの全くないお話になりました。どうしてこうなった???黄緑と呼ぶには、大変な黄緑詐欺な気がしてなりません、すみません。



続き


 『それ』はゆっくりゆっくり日常に侵食してきた。


 高尾和成の証言・1


 高尾が初めて『それ』に気づいたのは、昼休み、いつものごとく緑間が爪の手入れをし始めた時だった。
「あれっ? 真ちゃん、今日はやけに爪がつやっつやじゃね?」
 相向かいに座る高尾の言葉に、テーピングを剥く手を止めた緑間が軽く目を見開く。
「良く気づいたな」
「ホークアイ舐めんなよー、なーんてな。朝練なかったから、爪も荒れてないしわかりやすかっただけ。もしかして何かケアでもしてんの?」
 高尾はにやりと笑った。テーピングから解放された緑間の左指の爪先は、しっとりとした光沢を帯びている。元々爪を大事に扱う男だ。普段から指先は美しかったけれども、今日は一段と艶めいている。
「ここのところ、これを使っているのだよ」
 中途半端になっていたテーピングを全て剥がし終えてから、緑間が鞄から取り出し机にことんと置いたのは小瓶だった。
 その小瓶はキャップに刷毛が付いていて、色鮮やかな黄色の小花が浸された透明の液体が入っている。大変女の子が好みそうな、可愛らしいアイテムだ。
 高尾はひょいとそれをつまむと目の前に掲げた。微かに甘い匂いが鼻を掠める。軽く左右に振ると、黄色の花が中でゆらりとたゆたった。
「……マニキュア?」
「爪のトリートメントオイルだそうだ」
「へー? そんなんがあるんだ。つーか、どしたのこれ?」
 見慣れないどころか初めて見る、正直男には縁のなさそうなアイテムに、高尾が小首を傾げた。
 緑間が、変な物を持ち歩いているのはいつものことである。それがラッキーアイテムとしておは朝に指定されたものであるならば、男が手にするには全くそぐわないものであっても、彼は必ず身に着ける。だが、今日のラッキーアイテムは『風鈴』だ。緑間の鞄に取り付けられ、そよそよと揺れるたびにリーンと季節外れの涼を運んでいる。
 緑間は爪やすりを手に、丁寧に爪を磨きながら応えた。
「黄瀬に押し付けられたのだよ」
「黄瀬君てーと海常の?」
「そうだ」
 意外な人物の名が緑間の口から飛び出して、高尾はきょとんとする。緑間は偏屈で変人故、どちらかというとキセキからも苦手とされていやしなかっただろうか。誠凛と海常の練習試合を見に行ったこともあったが、あれは親しいからというより敵情視察だ。たまに黒子と本の貸し借りをしたり、赤司とオンライン将棋をしているという話を聞いてはいたが、どう見ても緑間と対極に位置する黄瀬とまで、連絡を取って会う程の仲だとは知らなかった。
「そんなに黄瀬君と仲良かったっけ?」
「あいつの気まぐれに呼び出されて、たまに会う程度なのだよ」
 緑間はそっけない様子で、集中して爪にやすりをかけている。興味などない風を装っているが、その気まぐれに律儀に付き合ってやるのだから、結局のところ緑間は優しいなと高尾は内心笑う。口にしたら緑間が絶対に不機嫌になるので、言わないけれども。
「何でも撮影の時に貰ったらしいのだが、自分では使わないし、爪の保護とマッサージにも使えるからと、オレによこしてきたのだよ」
「ふーん。それにしても乙女趣味全開だな、これ」
「全くなのだよ。まあ、使い勝手は悪くないがな」
 そう言って緑間は綺麗に整え終えた爪を見つめて、満足そうに微笑むのだった。



 高尾和成の証言・2


 ガラガラガラと朝の清清しさに似つかわしくない、やかましい音が響き渡る。
 同じ時間帯にすれ違うランニング中のお兄さんや、犬の散歩をしているご老人など、すっかり顔見知りになった方々に挨拶を投げながら、高尾は今日もぎこぎこと自転車を漕ぐ。高尾と緑間のチャリアカーは、すっかりこの界隈の名物になってしまった。
 6時15分。高尾が緑間家にチャリアカーを伴って訪れる時間だ。
 ブレーキをかけて、緑間家の前にチャリアカーを停車させる。門扉の前では、緑間がラッキーアイテムを抱えて立っていた。今日の蟹座のラッキーアイテムは『ペンギンのぬいぐるみ』。ぬいぐるみ系のアイテムは、比較的手に入れやすいこともあり、緑間が人事をつくしてしまい、えてして大きくなりがちだ。つまり今日の獲物はでかかった。
「おはよう、真ちゃん。今日も美人だね!」
「おはよう。お前は今日も朝から煩いな」
 温度差のあるいつも通りのやり取りを交わして、二人は同時に手を出した。
「じゃんけんぽんっ!」
 緑間がパー、高尾がグーで、緑間の連戦連勝は更新される。
「おぅふ!」
「フン、今日の蟹座は2位、蠍座は7位。ラッキーアイテムもきっちり持っているオレに、勝てると思うのが甘いのだよ」
 敗北に頭を抱える高尾に対し、緑間は得意げにかちゃりと眼鏡を押し上げた。
「くっそー。おら、そのペンギン貸せよ」
 緑間が抱えている大きなペンギンをリアカーに積み込むのも、じゃんけんにあえなく敗退した高尾の仕事である。確率とかどうなってんのと毎度の事ながらぶつぶつ文句を言いつつ、緑間からぬいぐるみを受け取る。すると、ふわりと微かに品の良い香りが漂った。
「ん?」
「……どうした? 高尾」
「いや、何か今、真ちゃんから柑橘系の匂いが……」
 すんすんと高尾が鼻を鳴らすと、緑間がああと小さく首肯した。
「もしかしてきつかったか?」
「いんや。ほんのりしてていい香り。つーか、香水つけてんの、真ちゃん?」
「つけているわけではない」
 緑間は、制服のポケットから小さな布袋を取り出した。その袋からは高尾がかいだ香りが、先ほどよりも色濃くふんわりと漂ってくる。黄色のリネン生地で作られたそれは、テトラ型の形状をしており、実は可愛いもの好きな緑間好みである。
「いい香りだな」
「レモンとグレープフルーツの香りだそうだ」
「誰かからのもらいもの?」
「ああ、黄瀬だ」
 また黄瀬だ。ここ最近緑間の口からよく出てくる名前に、高尾は気づかれないように軽く眉を顰めた。
「何でも、黄瀬がイメージモデルをした、新作の香水らしいのだよ」
「ああ。そういや、どっかの雑誌で見たような気がするわ。あれかー」
 雑誌の紙面をめくっていた時に、ふと見たことのある顔に出会って、高尾が知る黄瀬のイメージとかけ離れたイケメン写真に、当時思わず吹きだしたのだ。それが香水のCMだと覚えていたのは、黄瀬にしては随分大人びたカットで、バスケをしている彼とのギャップに、本当にモデルなんだなあとしみじみ眺めた記憶があるからだった。
「香水は匂いがきついからいらんと言ったのだが、和紙やサシェにつけて持ち歩けば、仄かな香りになると、一緒にこれも押し付けられてな。それに柑橘系の香りは、集中力を高める効果もあるらしいのだよ」
 確かに香水は、緑間のような実直で真面目な男には扱いが難しいし、縁遠いものだろう。何よりまだ高校生だ。それをさりげなくフォローして、さながらモテ男の使うテクニックばりに品良く香りを漂わせるとか、黄瀬君やるなと高尾はついつい感心してしまった。使っているのが可愛らしいサシェなので、モテ男というより寧ろ女子寄りの実感はあるが。
 押し付けられて渋々の感じを露わにしているが、緑間も密かに機嫌が良いのでこの香りを結構気に入っているはずだ。
 レモンとグレープフルーツの香気に、高尾の脳裏にぱっと黄色いイメージが過る。そういえば、先日緑間が見せてくれた爪のトリートメントオイルとやらも、全体的に黄色で占められていた。この香水のボトルも、思い返せば確か黄色でなかっただろうか。
 ちらちらと緑間の周りに垣間見える色に、高尾はんんーと考えを巡らせる。
「そんなことより高尾、朝練に遅刻するのだよ。さっさと行くぞ」
 が、せかす緑間によって強制的に中断され、高尾の纏まりかけていた思考はぱっと散り、うやむやになってしまった。
 遅刻をしたら、先輩たちにどやされてしまう。それはまずい。はっと我に返った高尾は、慌ててペンギンをリアカーに積み込んだ。
 それにしても、朝も早くから爽やかな柑橘系の香りを纏わせているのは、下睫毛が長くパーツの整った、指先まで洗練された美しさを持つ、長身痩躯の色白眼鏡美人である。字面にすると物凄いが、実際はバスケットボールで汗水流す男子高校生だ。
 つい物言いたげに見上げてしまった高尾に、緑間は何だと視線で促してくる。
「……真ちゃんって、女子力高ぇよな」
「なっ! オレは女子ではないのだよ!!」
「でっ!」
 リアカーに乗り込む間際、高尾の頭を軽く叩いて、ぷんすこと頬を膨らませる緑間は、己の女子力に対する自覚は全くないようだった。



 高尾和成の証言・3


 その日は朝から雪が降っていた。
 滑って転んでは危ないとチャリアカーの出番はなくなり、朝練も雪のため急遽中止になったので、緑間と高尾は徒歩からの電車で登校である。雪で交通網が著しく混乱しているため、電車もきっと混雑していることだろう。
 人でぎゅうぎゅうの満員電車はうんざりするなーなどと、雪を見上げながら会話をしていると、ふと緑間が小首を傾げた。
「……高尾、お前手袋はどうしたのだよ?」
「ああ」
 傘を持つ高尾の右手は何も覆われておらず、寒さでかじかんで赤くなっている。普段ならば、紺の毛糸の手袋をはめているのだが。
「昨日うっかりひっかけちまってさー。ほつれて駄目にしちゃったんだよね」
 えへと苦笑すると、緑間ははーと深くため息をついた。立ち上る息は真っ白だ。
 予備の手袋などあるはずもなく、朝雪が降っているのを見て、絶望的な気持ちになったのは言うまでもない。とりあえず鞄を持った左手はコートのポケットに収めて、カイロで暖を取っているものの、流石に傘を持つ手はどうにもならなかったので素のままだ。
「全く、こんな天気だというのにやらかしたものだな」
「本当だよ。ついてねーのな。まあ学校に着けばあったけーから、ちょっとだけ我慢すんよ」
 はーと凍える手に息を吹きかけ、一瞬の暖を取る。しかしその程度で肌が暖まるはずもなく、すぐさま周囲の冷気に熱を奪われてしまう。吹き込んできた風にぶるりと震えて、くしゃみを一つ。高尾はずずっと鼻をすすって首を竦めると、照れくさそうに緑間に笑いかけた。
 雪の中のんびり登校していては、防寒しているとはいえ風邪を引きかねない。高尾の隣にいるのは、大事な大事なエース様だ。
「うおー、寒ぃ! 真ちゃん、早くいこうぜ!」
「そうだな」
 高尾は緑間を促して、通学路をいそいそと歩き始めた。


* * *


 学校へ到着したものの、始業10分前だというのに教室にいるクラスメイトたちはまだまばらだ。雪のせいで、通学に手間取っているのだろう。かくいう高尾たちも、学校へ辿り着くのに普段の1.5倍くらい時間がかかっていた。
 教室は暖房が利いていて、外の寒さが嘘のように暖かい。激しい寒暖の差で、緑間の眼鏡も真っ白に曇るというものだ。そこを突っ込んで吹き出したところ、緑間から綺麗に手刀を食らってしまった。
 ずきずきする頭頂部を押さえつつ、安堵のため息を漏らして、高尾は肩の力を抜いた。暖かいって最高だぜーと頬を緩めて幸せに浸りつつ、コートとマフラーを外してカイロでかじかんだ手を温めていると、先に着席した緑間がこつんと机に何かを置いた。
「高尾、これを恵んでやる」
 緑間からの珍しい発言と縦置きされたチューブ状の白い容器に、高尾は目を瞬かせた。
「ハンドクリーム?」
「ああ。そのままでは手が荒れる。全く、真っ赤でみっともないのだよ」
「おお。あんがとね」
 緑間のきつめの言葉を『高尾の手が荒れたら、バスケに支障がでてしまうかもしれないし真っ赤で心配だ』と上手に翻訳して、高尾はにかっと相好を崩した。
 元々きめ細かな白さをもっているからか、テーピングしているせいなのか、手が荒れやすい緑間は普段からハンドクリームを携行している。しかしこうやって高尾に使わせてくれるのは初めてだった。
 ありがたく手に取ってみれば、嫌が応にも目に入るのは黄色のパッケージシールだ。高尾は、反射的に口角を引き攣らせた。
「……もしかして、これ、また黄瀬君からもらったやつ?」
「む。オレがもらってばかりいると思うんじゃないのだよ、失礼な」
 緑間は不機嫌そうに高尾を睨み付けてくる。拍子抜けしたのは高尾である。
「あれっ!? 違うの?」
「これはオレが購入したものだ」
 というものの、どこかバツが悪そうに目元を淡く朱に染めて、眼鏡のブリッジを押さえながら、緑間はふいと視線を逸らした。
「……まあ、黄瀬が勧めてきたものではあるがな」
(やっぱり黄瀬君じゃん!)
 先ほど機嫌を損ねてしまったため口にはしなかったが、高尾は内心でツッコミをいれた。
 しかし今までのパターンと違い、黄瀬からのプレゼントではないということは、やはり高尾の気にしすぎなのだろうか。何となくひっかかりを覚えつつも、緑間の厚意をありがたく受け取る。
「んじゃ折角だし使わせてもらいますよっと」
「恩に着るといいのだよ」
「真ちゃんの優しさに涙が出ちゃう」
 茶化しながらチューブを押して、薄い卵色をしたクリームを適量手の甲に乗せる。この時期特有のすっきりとした芳香が、高尾の鼻をくすぐる。口の中に、じわりと唾液がたまりそうだ。
「……柚子?」
「いくつかあったのだが、これが一番香りが良くて購入したのだよ」
 柚子ってチョイスが緑間っぽいなーなどと感想を抱きながら、高尾は両手をこすり合わせてクリームを塗り広げていく。さっぱりめのクリームは、清清しい香りを残してすっと肌に馴染んだ。
「ん、サンキュ。ベタつかなくて使いやすじゃん、これ」
「だろう」
 ふふんと、緑間が得意げに胸を張って口角を釣り上げた。何故そこで緑間がドヤ顔をするのだろう。一体このクリームをどれだけお気に召しているというのか。
 そうこうしているうちに、本鈴が鳴った。雪のせいで遅刻間際の生徒たちが、一斉にバタバタと教室へと駆け込んでくる。緑間はハンドクリームを掴んで鞄に戻し、代わりに一限の授業で使う道具を一式取り出した。
「ほら、前を向け」
「へーい」
「授業に人事を尽くすのだよ、高尾」
 背後からかかる声に、机の中に入ったままの教科書を引っ張り出しつつ、高尾はちらりと鷹の目を使って、先ほど緑間の鞄中へと収められた物に意識を傾けた。
 ここのところずっと、緑間の周辺にちらつく色、ひいては存在がある。けれども今回は普段のように直接的ではないため、どうにも違和感を覚えてしまう。
 腑に落ちないのは、緑間が自分で購入したというハンドクリームだ。高尾はうーんと首を捻った。先ほど交わした緑間との会話を脳裏に浮かべる。複数種類があったというハンドクリームについて調べてみたら、もしかして違和感が形になるのではないだろうか。そう考えて、まだ教師も来ていないこともあり、高尾はポケットからこっそりスマホを取り出した。記憶していたメーカーのサイトを検索する。何度かタップして呼び出されたハンドクリームの一覧を眺め、高尾は思わず机に突っ伏してしまった。
 柚子のクリーム以外に取り扱っているのは、ローズの香り、ラベンダーの香り、フランキンセンスの香り。これなら本人も言っていた通り、まず間違いなく柚子を選択する。
 ついでとばかりに、他のメーカーのハンドクリームをリサーチしてみるが、意外なことに黄色でパッケージされたものはなかなか見当たらなかった。あったとしても女性向け過ぎたり、値段が張ったりと、少々手に取りづらいものばかりだ。
 明らかに、緑間が自主的に選んだという構図を取らせるための誘導としか考えられない。選択肢を与えているように見せかけて、その実確実に一つしか選ばないようなものを仕向けられているのだ。
 これは回りくどい。
「……オイ」
 彼をじわじわと取り囲んでいく黄色。
 高尾は何となくもやもやしていた考えを改めて確信に変えた。



 高尾和成の証言・4


 日曜日の昼過ぎ。昼食にしてはほんの少しだけ遅い時間帯。
 普段ならば厳しい部活のせいで昼頃まで寝こけている高尾だったが、久しぶりにCDのチェックと、新しいバッシュ購入のため午前中からショップへ足を運んでいた。どのバッシュがいいか悩んでしまい、結局昼がこんな時間になってしまった。その分、満足できる買い物ができてホクホクではあるのだが。
 トレイを手に、高尾はまだ些か混雑しているマジバをぐるりと見渡した。ちらほらと空いている席を視認する。こういう時、鷹の目は本当に便利である。
「……お?」
 そこで、高尾の双眸が一つのテーブルを捉えた。
 一番奥にある四人掛けのテーブルに、男二人が陣取っている。一人は眼鏡をかけた金髪の少年、そしてもう一人は影の薄い水色の髪の少年。
 随分珍しい組み合わせだなと、高尾は唇を三日月に歪めて、面白そうだとそのテーブルに近づいていく。
 途中、一人が高尾の存在に気づいて、飲んでいたドリンクから顔を上げた。
「よ! 黒子じゃん!」
 高尾が軽く手を振ると、目が合った水色の髪の少年――黒子テツヤはぺこりと小さく頭を下げた。
「高尾君。どうも」
「ここ、座ってもいい?」
「どうぞ」
「サンキュ。黄瀬君も、久しぶりー元気だった?」
「高尾君じゃないっスか。おかげさまで元気っスよ」
 キラキラしたオーラを撒き散らしながら、黒子の相向かいに座っていた黄瀬も、眼鏡の奥の瞳を嬉しげに細めた。彼の存在感は眼鏡程度で隠せる類のものではないが、それでも一応の変装のつもりなのだろう。四方八方から窺うような熱視線を感じるが、高尾はとりあえず気にしないことにした。芸能人にだってプライベートはある。
 簡単な挨拶を交わして、高尾は黒子の隣の席に腰を下ろす。黒子と黄瀬は、メインを食べつくしており、ドリンク片手にだべっていたという風だ。
「今日は緑間君と一緒じゃないんですか?」
「ぶっは。オレだって、四六時中真ちゃんと一緒なわけじゃねーよ。今日、あいつは家族でお出かけだとさ」
 高尾が購入したバッシュの袋を軽く見せると、二人が目を輝かせて食い付いて来る。やっぱりみんなバスケ馬鹿だなーと、高尾は顔を綻ばせた。
 見せて見せてと請われて新品のバッシュを預け、高尾はバーガーの包みを開いてかぶりつきつつ、二人の姿を上から下まで見つめる。シャツにジーパンとラフなスタイル。何よりボールの入った袋にバッシュだ。
「そっちこそストバス帰り?」
「ええ」
「さっきまで青峰っちもいたんスけど、桃っちに呼び出されちゃって~」
「いいなー! オレもストバスやりたかった!」
「では今度、よかったら高尾君もいかがですか? 緑間君も一緒に。火神君も誘えば3on3できますよね」
「黒子っちナイス!」
「いいねいいねー!」
 お互いライバル校同士ではあるけれども、プレイヤーとして学ぶところは多々あるし、何より純粋にバスケが一緒にできるのは楽しい。
 高尾と黒子と黄瀬という、組み合わせとしては異色ではあったが、高尾と黄瀬が話題をリードし、黒子が相槌を打つという体で和気藹々と会話が弾む。ストバスの話題から始まり、先日放映されていたNBAの話、練習中に起こった珍事件など、散々しゃべり倒したところで、喉が乾いて高尾は氷で薄まったコーラを口に含んだ。
 丁度窓から陽が差し込んできて、黄瀬の金髪が淡く光を帯びる。それで高尾は、目の前にいる男が持つ色彩を意識させられた。バスケの話に夢中になっていて、すっかり頭から抜け落ちていた。
 ず、と飲んでいたコーラが音を立てる。高尾は残りを全て飲み干し、カップをトレイに戻してから、小さく息を吐いた。
「そうだ。オレ、黄瀬君に聞きたいことがあったんだわ」
「何スか?」
 にこりと黄瀬は人懐っこく瞳を細めた。高尾が切り出してくるのを予測していた、という雰囲気を漂わせた、何とも胡散臭い笑顔だ。こういう手合いには直球勝負が一番だと、高尾は頬杖をついてさりげなさを装いながら、じっと黄瀬の顔を見つめた。
「黄瀬君ってさぁ、真ちゃんのこと狙ってんの?」
 高尾の問いかけに、黄瀬は笑みを深めた。
「どうしてそう思うんスか?」
「だって、ここのところずっとマーキングみたいなことしてるっしょ? 真ちゃんに。あいつは全然気づいてないっぽいけど」
「あはっ。高尾君にはわかっちゃうっスよねえ、やっぱり」
「そりゃ、あんだけ真ちゃんから黄瀬君の名前が出たり、黄色の物体が溢れてたらねー」
 呆れまじりにじとりと半眼で睨む高尾へ、黄瀬は悪びれもせず愉しそうに声を立てた。
 あの後も、気がつけば緑間の身の回りのものには、悉く黄色が侵食していた。フェイスタオルにハンカチにストラップ、ラッキーアイテムのぬいぐるみや、アクセサリなど、ごくさりげなく、でも気づく人には気づくように仕掛けられている。黄色、つまり黄瀬を想起する存在に、緑間は囲われている。まるで緑色を黄色が覆って、季節はずれの蒲公英を彷彿とさせるほどだった。
「何、黄瀬君って、オレ色に染めちゃいたいっていうタイプ?」
「やだなあ。緑間っちが染まってくれると思うっスか?」
「いいや、全然」
 高尾はこれでもかと首を横に振った。確固たる信念とそれを貫く強い意志を持つ緑間を染めようなど、そうそう簡単にできるものではない。
「染まってくれないから余計染めてみたくなるっていうのもあるけど、緑間っちは染まらないでいてくれた方が絶対に綺麗だし。どっちかっていうと、オレのことちょっとでも意識して頭いっぱいになってくれねーかなーっていう期待っスかね」
「まあ真ちゃんには大して効果は見受けられなかったっていうか、寧ろオレが気になって仕方なかったっていうか……」
 それでも黄色を傍に侍らせることを許していたり、ひそかに機嫌がよかったりするのだから、頭がいっぱいになったかどうかはともかく、緑間とてまんざらでもなかったはずだ。ただ正直に伝えてあげる義理は、高尾にはないわけで。
 黄瀬はよよよと大げさに泣く仕草を見せると、ぱたんと上半身をテーブルの上に投げ出した。
「デスヨネー。ああーん、それは言わないで欲しかったっス……」
「つーか! オレに牽制なんて、する必要ってねーんじゃないのって思うんだけど」
 突っ伏したままの黄瀬に、高尾は呆れた目を向ける。顔だけ上げて、黄瀬はぺろりと悪戯っぽく舌を出した。ウザい。
 黄瀬の婉曲的なマーキングの意図は二つ。一つは、先ほど黄瀬本人が言ったこと。そして二つ目は、自分への牽制だとうっすら高尾は気づいていた。
「だって緑間っち可愛いじゃないっスかー。不安になるじゃないっスかー」
「真ちゃんが可愛いのはわかるけど、性質悪すぎだっつの」
「緑間君を真顔で可愛いと言ってしまえる高尾君も、相当アウトだと思いますが……」
 静かに話に耳を傾けていた黒子が、横から胡乱げな視線を黄瀬に投げて、本日二本目のバニラシェイクのストローから口を離しため息をついた。
「……というか黄瀬君、まだそんなことをしていたんですか?」
「まだ……つーと、前もこんなことやっていたんだ?」
「はい。帝光中の頃、緑間君とハンドクリームの塗り合いっこをしていたり、オススメのスイーツを教え合ったり、髪の毛を結ってあげたり……。『女子中学生の戯れか!』と何度突っ込みを入れようかと……。桃井さんも混じると、それはそれは華やかでしたね」
「あー……なんかわかるわ」
 黒子と高尾は思わず遠い目をする。緑間も黄瀬も、顔の造詣は女子以上に整っている。男に対して男が目の保養だの美人だのという言葉を送るのは非常に癪ではあるが、まだ成長途中で大人になりきれていない中学時代は、うっかりすると新たな扉が開けてしまうかもしれない。だが男だ。
「でもまあ、大方目標は達成したんで、見逃して欲しいっス」
 苦笑を漏らしながら、黄瀬は不意に空き席に置いておいた鞄を漁り始めた。
「そうそう、丁度よかった。高尾君。これ、緑間っちに渡してくれないっスかね?」
 鞄から取り出したのは、一本のリップクリームだった。案の定黄色いキャップに、本体に蜂蜜の絵が描かれているリップチューブは、既に使われたのか開封されている。
「いいけど……直接本人に渡した方がいいんじゃねーの?」
 今回はまた随分と中途半端なものをプレゼントするなと、高尾が怪訝げに窺うと、黄瀬は違う違うと慌てて手を振った。
「いや、それ、緑間っちの忘れ物だから。高尾君が渡してくれれば」
「ふーん? なら預かるよ。明日渡しておくわ」
「助かるっス! ……っと、もうこんな時間なんスね!」
 黄瀬がスマホで時間を確認して、驚きの声を上げる。かれこれ1時間ほど話し込んでいたようだ。
「ああ、本当ですね。黄瀬君はこれから打ち合わせでしたか」
「そうなんスよー。もっと二人と話していたかったっス!」
「黄瀬君これから仕事なの!? うわ、大変だな。頑張れよ~。つかすっげ楽しかった。今度マジでストバスやろうぜ。真ちゃん誘っておくわ」
「じゃあ、火神君にも都合を聞いておきますね」
 席を立ち、トレイを持って片づけをしながらわいわいとマジバを出る。黄瀬と黒子とは方向が別だったので、そこで解散となった。
 暖房の効いていた店内から出ると、外は冷たい風が吹きすさんで、自然と眉間に皺がよる。二人に手を振って見送りつつ、高尾はマフラーに首を埋めた。偶然だったとはいえ、有意義で楽しい時間を過ごせたのでラッキーだった。
 さて帰るかと身を翻し、コートのポケットに手を突っ込むと、先ほど黄瀬から預かったリップクリームに指先が触れる。
 取り出して、目の前に翳す。もはや見慣れてしまった黄色のマーキング。
「……目標は達成した?」
 意味深な黄瀬の言葉に、高尾は首を傾げた。



 次の日の朝。
「おっはよー真ちゃん。今日も美人さんだね!」
「おはよう。お前は今日もやかましいな」
 恒例の挨拶を交わして、すかさずじゃんけん勝負を行う。高尾がチョキで、緑間がグー。高尾の連敗記録は、今日も絶好調更新中だ。
 おお神よ……と高尾はチョキのポーズのままぶるぶる手を震わせていると、当たり前だといわんばかりに緑間がリアカーへ颯爽と乗り込んだ。彼の体重でぎし、とリアカーがきしんだ音を立てる。
 リアカーに乗り込む緑間とすれ違った際、高尾はあれ?と疑問を覚えた。
「そういや今日はサシェもってねーの?」
「あ、ああ……。そういう気分だったのだよ」
「ふーん?」
 ここのところずっと緑間が纏わせていた、レモンとグレープフルーツの香りが漂ってこなかった。緑間の返答も、どうにも歯切れが悪い。
 何だろう。このこみ上げてくる、もやもやともどかしい感覚は。
「あ、そういえばさあ」
 香水で頼まれていたことを思い出して、高尾はリアカーに荷物を置いていた緑間へと振り返った。
 昨日黄瀬から預かったものをポケットから取り出して、高尾は緑間に差し出す。
「これ、真ちゃんの忘れ物って、黄瀬君から預かったんだよね。ほい」
 ころんと高尾の掌に転がるリップクリームを見て、緑間が軽く目を瞠った。
「……っ!!」
 次の瞬間、緑間の顔が林檎のように真っ赤に熟れた。ぽんっと湯気でも出そうな勢いで、頬を紅潮させている緑間に、高尾もぽかんと口を開けてしまった。ここまで狼狽える緑間など、初めて見たかもしれない。
「へっ!? ど、どうしたの真ちゃん!?」
 驚く高尾の声にはっと我に返った緑間は、慌てて手からリップクリームをひったくるように奪っていった。それはそれは、素早い所作だった。
「うううううるさいのだよ高尾!!! お前は黙ってさっさと漕げ!」
 高圧的に命令を叫ぶと、緑間は表情を見られたくないのか、すかさず高尾に背を向けて、リアカーにしゃがみこんだ。あまりにも取り乱していたせいか、ガタガタとリアカーが派手に音を立てる。
 緑間の顔は高尾から見えない。しかし覗く耳が今もなお真っ赤な辺り、どれだけ恥ずかしがっているのかが丸分かりだ。
 開封済みのリップクリーム、意味深な黄瀬の言葉とこれまで行ってきたマーキング、そして緑間のこのあからさまな態度。少し考えれば、自ずと黄瀬が何をやらかしたのか、想像は容易い。それで漸く鈍い緑間も、いい加減自覚したのだろう。
 今日香水をつけなかったのは、黄瀬をばっちり意識し始めたためか。ここのところ鞄についていたぬいぐるみタイプのキーホルダーも、今日はその姿を消している。
 察しのいい自分と、人間観察に優れた眼を、ちょっとだけ高尾は恨んだ。
 緑間の首筋。ぎりぎり制服のカラーと襟足で隠れて、見えるか見えないか微妙なライン。そこに、注意しなければわからないほどに、うっすらとした赤い痕が小さく刻まれている。多分、緑間本人も気づいていないだろう。
(そりゃ目的も達成するわな、あんな遠まわしのマーキングなんて、しなくて良くなったんだもんね! つーか黄瀬君手がはえーよ!)
 いや、間接的なマーキングをしていた頃から考えると、寧ろ遅いほうなのだろうか? 高尾はどうでもいいことで首を傾げた。現実逃避である。
 先ほどから緑間の携帯は、ガンガン着信音を流している。緑間が黄瀬に『死ね』とでもメールを送り、リプライが大量に着ているのだろう。ややあって、ついに耐えかねた緑間が電源を落としたのか、音がぷっつりと鳴り止んだ。
(これきっと黄瀬君が放課後辺りに、すげえいい笑顔で飛んでくるんだろうなー)
 そんな予想を立て、何だかんだと文句を零しながらも、嬉しそうにツン全開の応酬をするであろう相棒の姿を想像して、ぶくくと笑いを堪えると、高尾はペダルに足を掛けて勢い良く自転車を漕ぎ出した。

23:03