緑間君がお茶を淹れるだけのお話です。2と付いてますがオムニバスなので1を読んでいなくても問題ありません。同棲、大学生設定です。
若干消化不良気味…ううーん。
ピピピと、携帯が味気ない音で着信を告げる。オレはリビングに持ち込んだノートパソコンのディスプレイから顔を上げて、携帯を手に取った。
待ち受け画面に表示される時刻は、夜10時と時計の長針が4分の1を少し回った頃。
着信は、バイトに赴いていた高尾からのメールだ。
高尾はオレが部屋にいると分かっている時には、必ず駅からメールを寄越してくる。部屋まで僅か10分程度だというのに、毎度毎度律儀なことだ。
『駅に着いた。今から帰るね!』
たったそれだけのメール。なのに高尾らしく、絵文字や色でごてごてとデコレーションされていた。
オレは思わずため息をついた。
どうせもうすぐ帰ってくるのだ。いつものように返信をせず、ぱちんと携帯を閉じる。
書きかけのレポートを保存し、コタツから立ち上がってカーテンを開いた。窓は寒暖の差で曇っている。冷え切って白に染まったガラスを指先で拭って、出来た隙間から外を覗き込む。すっかり真っ暗な屋外は、月明かりもなく、今にも雪が降りそうな曇天。時折びゅうと聞こえる強い風の音が、より一層寒さを誘う。
カーテンを引き直して、オレはキッチンへと向かった。
*****
手鍋は水を注いで火にかける。その間に冷蔵庫から牛乳を、戸棚からアッサムのCTC茶葉を取り出す。
鍋の水がこぽこぽと泡を沸き立たせ沸騰するのを待って、通常よりやや多めに茶葉を投入する。CTC――Crush、Tear、Curlの頭文字をとった茶の製法だ――の茶葉はコロコロと丸くて小さいが、手頃な値段の割に味はどっしりと濃く、寒い冬のオレのお気に入りである。余談ではあるが、以前高尾に茶葉を見せたところ、「何だか、小動物のフンみてぇ」と言われたので、一発殴っておいた。
火を止め、蓋をして、2分程度そのまま放置する。CTCはフルリーフの茶葉に比べ、蒸らし時間が短くて済むのがメリットだ。
ふわり、と紅茶の芳香がキッチンに漂って、自然と唇が緩んでいく。茶を淹れている最中、この瞬間がたまらなく好きだ。
かけていたタイマーが鳴ったのと同時に、オレは牛乳を手鍋に加えた。水と牛乳の比率は1:1、もしくは心持ち牛乳多めだと、こっくりとしたコクになって美味しい。
再度コンロに弱火を点して、ゆっくりと加熱していく。スプーンで適度にかき混ぜながら、飲み頃になるまで温める。目安としては、沸騰直前の、手鍋のフチが小さく泡立つ程度が、個人的にベストだ。
牛乳は最初から茶葉と一緒に煮込むのが一般的ではあるのだが、緑間家の作り方はこうだった。一定の温度に達すると牛乳が臭みを持ってしまうのと、紅茶の香味成分を牛乳が損なってしまうのを回避してのことである。……母親の受け売りではあるが。
時計を見上げる。そろそろ10分。
火から手鍋を引き上げて、温めている合間に湯通ししておいたマグカップ2つへ、茶漉しを使って注ぎ分ける。
――ロイヤルミルクティーの出来上がりだ。
オレは、戸棚から砂糖のスティックを2本手にした。3本取ろうとして、砂糖に関しては口煩くなる高尾のことが頭を過って、ぐっと我慢したのはここだけの話だ。グリーンのマグに砂糖を半分だけ投入して、湿気ないように口を折り曲げて元に戻す。もう1本はオレンジのマグに注いだ。
スプーンで砂糖をかき混ぜて、トレイにマグを乗せていると、丁度いいタイミングで玄関から「ただいまー!」という高尾の声が響いた。
「お帰りなのだよ、高尾」
「うあー、つっかれたー。めっちゃ外寒いぜ、真ちゃん!」
両腕をさすりながら、バタバタと足音を立てて高尾が賑やかにリビングへと駆け込んでくる。
「ほら」
そんな高尾の前にずい、とトレイを突き出した。淹れたばかりのロイヤルミルクティーは、ほこほこと暖かな湯気を立てている。
突如勧められた茶に、高尾はきょとんと目を瞬かせた。視線がオレとマグカップを幾度も彷徨っている。
「え?」
「飲まないのか? 暖まるのだよ」
「いや、飲むけど! つーか急にこんなことして……何かあったの、真ちゃん!?」
オレが紅茶を差し出した位で血相を変えるとは、こちらこそどういうことなのだよと言いたい。全く失敬な。
「……何かあったのは、お前の方ではないのか。高尾」
「……」
オレの指摘に、ぐっと高尾が言葉を詰まらせた。高尾の目を、真っ直ぐに見つめる。視線が絡むが、すぐに気まずげに逸らされる。が、それで観念したのか、高尾は肩を落とした。
「……どうしてわかったのさ」
「あんなメールを送ってきて、わからないわけがないのだよ」
「ええー、メール!? オレそんなにおかしなメール、送ったっけ?」
疑問符を浮かべ、心底わからないという顔をする高尾に、オレはフンと鼻を鳴らした。
「気づいていなかったのか? お前は落ち込んでいる時に限って、メールが短くなるし、これでもかとデコってくるのだよ」
多分、落ち込んでいるせいで普段煩いほど綴られている文面が少なくなり、だがそれを悟らせないために、過剰な装飾を施して誤魔化そうとしてしまうのだろう。この法則にオレが気づいたのは、情けないことに高尾と同棲を始めてからだった。元々高校の頃から、塞ぎこんでいる時に限って、普段よりも元気に振舞おうとするきらいがあるのだからタチが悪い。
「マジでか!」
「マジなのだよ」
「うえぇ……。まさか真ちゃんに気づかれるとはなあ」
よもやそんなところで悟られるとは、思ってもみなかったのだろう。額に手を当てがっくりと項垂れ、己の失態を悔やむ高尾にむっとなったオレは、眼鏡のブリッジを上げて唇を引き結ぶ。
「失礼な。オレだってお前のことくらい、ちゃんと見ているのだよ」
高尾は一瞬、間抜けなツラでぽかんと口を半開きにしたあと、くしゃりと顔を歪めた。泣きそうな、それでいて笑っているみたいな、複雑な表情だ。
「参った」
高尾が、甘えるようにきゅっとオレに抱きついてきた。大した衝撃ではなかったものの、危うくトレイに乗ったマグカップの中身が零れるところだった。
腹に当たるコートの生地は、ひんやりと冷たい。外は高尾の言う通り、気温が随分と下がっているのだろう。
「……オレは暖房器具ではないのだが」
「ぶっは。ちげーよ、真ちゃんを補給しているのだよ」
「いつも抱きついてくるくせに」
「全然足りねーっつの」
高校の頃からそうだ。高尾はむやみやたらと抱きついてきては、補給だの充電だのとのたまうのだ。ぽんと、頭を撫でてやる。高尾は嬉しげに、オレの胸へ頬をすりすりと寄せた。
「何があったかはわからんが、とりあえず離せ。紅茶が冷めてしまうし、突っ立ったままでは寒いのだよ」
「おおっと、そうだった」
ぱっと身を離すと、高尾ははにかみながら微笑んだ。
「わざわざ真ちゃんがオレのために淹れてくれたんだもんな!」
「……フン、単なるレポートの息抜きついでなのだよ」
からかわれているわけではないのだろうが、どことなく気恥ずかしくなって、オレはつい憎まれ口を叩いてしまう。だがきっと、高尾もそのくらいお見通しのはずだ、悔しいことではあるが。
ひょいとオレの手からトレイを奪った高尾は、心なしか浮かれ気味にダッフルコートのトグルに外しながら、コタツの上にトレイを置いた。とにもかくにも、気分が浮上してきたのならいいことだ。表にはあまり出さないから分かりづらいが、高尾が沈んでいるとオレも心苦しい。
オレは放置したままになっていたパソコンの前に腰を下ろし、スリープさせるとディスプレイを閉じた。
すると、コートとマフラーをソファに投げ捨てた高尾が、何故かオレの隣にもそもそ侵攻してくる。大き目のコタツだとはいえ、一箇所にガタイのいい男二人が入るには些かきつい。
思わずじとりと高尾を睨み付けた。
「……何故隣に来るのだよ、狭い」
「ええー、いいじゃーん。真ちゃんにひっついていたい気分なの! あー、コタツあったかーい」
「全く……」
高尾はぴとっとオレの肩にもたれかかってくる。落ち込んでいるからなのか、随分と甘えただ。オレは、やれやれと肩を竦めた。
高尾はいそいそとオレンジ色のマグカップをオレの前に置き、緑色のマグカップを手に取る。ふーと息を吹きかけてから、ミルクティーを口にした。
「……んまい」
「そうか」
「いつものミルクティーより、甘くて濃いな?」
「とっておきだからな。砂糖は少なめにしたつもりだが、甘すぎたか?」
「いや、今はこのくらいが凄い丁度いいわ。てか、とっておき?」
「ああ。これはオレが疲れている時に良く淹れる紅茶なのだよ」
普通にミルクティーを作るよりも、幾分手間のかかるロイヤルミルクティーは、オレが疲れている時にあえて作っているものだ。紅茶を淹れる時間を取るくらい、心に余裕を持とう。そんな考えと、たっぷりと牛乳を使い、甘めに淹れる紅茶の効果なのか、余計な力が抜けて一息つけるのだ。今回紅茶を作った目的は主に後者であるが、そういえば高尾にロイヤルミルクティーを振舞うのは初めてだった。
「疲れた時の、とっておき、ねえ」
「……その顔をやめるのだよ」
「はいはい」
にやにやと目元を脂下がらせる高尾に、オレは憮然と返す。
高尾はミルクティーをもう一度啜って、まじまじとマグカップを見つめた。
「なんか、真ちゃんみたいだよなー、これ」
「は?」
一体どういう意味だ。視線で問えば、高尾はへにゃりと顔を綻ばせた。
「暖かくて、ほんのり甘くて、ほっこりするってこと!」
「……意味がわからん」
「わかんないなら、わかんないでいいよ~」
一人で納得して、高尾はマグカップを大事そうに両手で抱え込んだ。じっくり味わうように紅茶を飲んでから、大きく息を付くと、高尾は身体を弛緩させてだらっと寛ぎ始める。体重をかけられているこちらとしては、正直なところ重い。
「ちょっとさ、バイトで嫌なことあってなー」
ぽつぽつと語り始めたので、高尾の声に耳をそばだてながら、オレもマグカップを傾けた。
ミルクティーは、充分に抽出された濃い紅茶と牛乳の甘さ、砂糖がアクセントになって、どっしりと濃厚なコクのある味になっている。温かな液体が喉を通り抜け、腹に収まると、身体の芯が緩やかに熱を帯びていく。高尾の言う通り、身体が温まり、仄かな甘さにふっと緊張がほぐれていく。オレの唇からも、ほうっと吐息が漏れた。
「そいつも機嫌が悪かったんだろうけど、『お前は何でも要領よく出来る世渡り上手だし、悩みとかなさそうでヘラヘラ笑っていられていいよな』って言われてな。オレだって嫌なことも、苦手なことも、悩みもあって、それをひっくるめて必死に頑張ってんのに、要領良いの一言で片付けられちまったのがモヤモヤしてさ。こういうこと言われんの久しぶりだったからか、何だか沈んじまった。慣れたかと思ってたんだけど、結構くるもんなのな」
「……痛みは、慣れていいものではないのだよ、馬鹿め」
照れくささを誤魔化すみたいに、高尾が弱々しく眉根を下げて瞳を細めた。
滅多に弱音を吐かない男が、漸くほんの少しずつオレに垣間見せてくれるようになった柔らかい部分。それがたまらなく嬉しく、愛おしい。
「まあ確かに、お前は要領いいと思うのだよ」
「真ちゃんまでそういう」
唇を尖らせた高尾の頭頂部をこつんと叩く。
「拗ねるな。大体悪いだなんて、オレは一言も言っていないのだよ。オレは、お前が要領良く立ち回るために、どれだけ気を配って人事を尽くしているか、ちゃんと知っている。だからそれを誇りこそすれ、卑下する必要はないのだよ」
そんなぽっと出のバイト仲間の心無い言葉で、目の前の男が傷つく必要などこれっぽっちもない。
腕を回して、背後から高尾の頭に手を置く。ささくれ立ってしまった高尾の心に届けばいいと、しなやかな黒髪を繰り返し撫でてやれば、高尾の頬は見る見るうちに真っ赤に染まっていった。いつも余裕めいてばかりの表情を崩せるのは、正直なところ楽しい。
「うあー、そういうのやめーい!」
「なんだ、照れているのか」
「照れるわ!!」
半ば逆切れ状態で高尾が叫んだ。
そのままあーとか、うーとか、言葉にならない呻き声を漏らしたかと思えば、律儀に紅茶を飲み干して、高尾はぎゅーとオレの腰に手を回して抱きついてきた。顔を見られたくないのか、照れ隠しにぐりぐりとおでこを押し付け肩口に顔を埋めて悶えているのだが、耳が紅潮しているのが丸見えだ。
「ああもう、真ちゃんのデレ大放出で、色々吹っ飛んじまったじゃねーか。真ちゃんの馬鹿……! 好き……!」
「罵るのか告白するのか、どっちかにするのだよ」
もう苦笑するしかない。何やら支離滅裂になっている高尾を落ち着かせるべく、背中をぽんぽんと叩いてあやしながら、オレはくつくつと忍び笑いする。高尾が僅かに面を上げて、恨めしげな視線を送ってくるが知ったこっちゃないのだよ。
「ああ、そうだ。高尾」
「ん?」
「バイト、お疲れ様なのだよ」
「……おう」
止めとばかりに声をかければ、高尾は完全に撃沈したのだった。